ある気功師・512
性は生(命)の素。
当たり前なのだが、当たり前だと気づくには壁がある。
性を表に出さない、社会が、常識が壁をつくる。
太古なら何でもない当たり前が歪んでしまっているのが現代だ。
チベット仏教の大曼陀羅図での中心。
何故、男女交合神が本質なのか。
当たり前に気づけば、実に納得できる。
性は聖でもあるのだ。
そうか。
生命を扱うには、スケベは重要な要素だ。
こうして私はスケベを正当化している。
スケベはサトリともいう・・・
いや、いわないかぁ・・・
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