水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
オナゴであるなら年齢の上限はない。
それぞれにダンナや彼氏がいるだろう。
だがオトコは欠陥品だ。
生命力が少ない。
生命力を活性化させる工夫も少ない。
世にある健康系教室を覗くがいい。
そのほとんどはオナゴだ。
50・60・70歳のオナゴは元気だぜ。
最後の瞬間まで現役のオナゴで生きられる。
その相棒のオトコは萎縮する。
オトコは定年を過ぎると余生だと思っている。
余生に生命力が生まれるはずがない。
そうして・・・オナゴ達だけが残る・・・。
オナゴ達だけでも元気だ。
だが・・・たまにはオトコに優しくされたい。
優しくしてくれた相手は・・・もういない。
そこでワシの愛人制度がある。
80・90・100~歳のオナゴ達。
もうイケメンだのスマートだのとは言わない。
いまさら結婚相手もいらない。
たま~にナデナデしてくれればいい。
オナゴはたまにのナデナデで数年は元気だ。
そこにうってつけのワシがいる。
ワシは80歳を過ぎるとモテモテになる。
モテモテは望んでいないが、しょうがない。
北海道から沖縄まで。
時には海外まで依頼がかかる。
毎日が仕事だ。
ワシは遠大な計画をするタイプではない。
だが・・・遥か未来は明るい事だらけだ。
いいかげんな愛人制度は未来を創る。
双方、そして、多くが幸せになる制度だ。
誰も困らない。
誰でも喜ぶ。
現実を見つめると、ワシの書いている事が理解できる。
ワシはウソを平気で書くが、デタラメではない。
いいかげんだが、現実はいいかげん側に近づく。
ワシ流の愛人制度。
「未来」と「あたたかさ」は備わっている。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
ワシは例外が好きだ。
何でも例外を認める。
いろいろ目が覚める事がある。
これが宇宙法則だぁ!と一瞬思う事だってある。
ワシはまだまだ未熟だから・・・。
そんな時でも別のワシがボソッと言う。
「でもなぁ・・・例外があると思うよ」
じ、じゃ、絶対法則じゃないじゃん・・・。
そうして、再び目が覚める。
(目覚めは最低二度無いと勘違いするぜ)
ワシは愛人を求めない。
これにも例外がある。
いいかげんなワシだ。
当然、平然、前言をひっくり返す・・・。
求める愛人がいる。
多分、誰も愛人にした事が無いだろう。
フッフッフ。
だからワシがエラソウに言ってやる。
「ワシの愛人(神)にしてあげるぞ」
相手は・・・
幸運の女神だ。
ツキの女神だ。
誰でも平伏して来てもらいたがる。
ワシはそんなのメンドウだ。
(ワシもそうしたが・・・来てくれなかった)
今まで崇め立てられた女神だ。
愛人の立場になった事はないだろう。
イケメンやら立派な人間にコト欠かない女神だ。
だからサエナイおっさんの愛人は新鮮だ。
そこが狙い目だ。
言ってみる価値は充分ある。
幸運の女神は冗談好きだ。
腹を立てるほど小さな神様じゃない。
多分・・・物好きだと思う。
大物の神様は気まぐれだ。
案外、スンナリ受け入れるかもしれない。
ワシは女神相手もネコ相手も適当にする。
だがネコよりも見返りは多い・・・。
(ワシは結構、ズルイと自分でも思う・・・)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
人や人以外やモノ達。
所有は出来ない。
縛る事も出来ない。
縛ったと勘違いする事は出来る。
他を縛る事は出来ないが、
自分を縛る事は出来る。
「こだわり」という縄だ。
だが、この縄は幻で作られている。
自と他。
いつでも自由になれる。
誰も縛る事が出来ない。
誰からも縛られることはない。
人と人。
人と人以外。
縛り、縛られる事はない。
だけど、仲良くする事は出来る。
(例外は必ずある。
縛り、縛られながら、仲良くなる趣味の人達もいる。
もちろん、ワシの事ではない・・・。
少し勉強しようかと思ったが、生理的に縛られるのは苦手だ。)
ワシの愛人観。
愛人ワールド。
解放し、解放される事を知る。
自由になる事を知る。
決して縛り、縛られる関係ではないぞ。
この世は「仲良くする事だけを学ぶ」為にあるのかも。
ワシはそう思っているのだ。
だから愛人達の関係も同じだ。
本妻と愛人達の関係も同じだ。
しかも、ワシがいなくても同じだ。
本妻はデキている。
愛人達もデキている。
ワシは自慢じゃないが、デキてない。
だが幸せ者だ。
きっと祖先が陰徳を積んでくれたのだろう。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
愛人に義務はないがマナーはある。
もちろんワシにも本妻にもマナーはある。
強制する規則や規制は無くてもいいと思う。
だがマナーはこの世に存在するモノ、全てにある。
マナーだけあれば、規則はいらないと思うよ。
本妻は結構マナーが出来ている。
愛人へのツッコミをやたら入れない。
元々、嫉妬と底意地の悪さは少ないタイプだ。
他の自由を認めている。
ワシには何を言っても無駄と諦めたのかも・・・。
愛人達は本妻やワシの子供達に一定の気遣いをする。
本妻が承知の上とはいえ、マナーだろう。
マナーとは思いやりの事だ。
お互いが思い合って関係は楽になる。
ワシは楽になる生き方を仕事としているのだ。
愛人同士の気遣いもマナーであり学びだろう。
苦しい、悲しい、淋しい時は辛い。
だから、辛さをやわらげる温かさはありがたい。
その両方を知っているから、同志なのだ。
愛人同士は姉妹でもある。
そうねぇ・・・書いてて思った。
特典が無いといったけど・・・。
人と人との繋がりの「やわらかさ」と「優しさ」。
これが自然と身に付くかも・・・。
ワシが普段から書いている「この世の仕組み」。
ヒネクレているんだなぁ。
「受けようとすると、得られない」
「放せば、包まれる」
ヒネクレているけど、単純なんだ。
ワシの愛人観。
ワシ抜きでもいいような気がする。
愛人同士が仲良くなれたらいい。
それが広がれば、生きやすい世の中だ。
嬉しい、愉しい事が沢山増える。
そうかぁ・・・。
そういう展開になっていくのかぁ。
これがオチじゃないだろうけど・・・。
書いているワシが感心してどうするのだ。
久々に御筆先様が手伝っているのかなぁ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
愛人フォー!(HG:談)
という時事ネタをしても、後で読んだら意味が通じないだろ?
だからワシは出来るだけ時事社会ネタを避けて書く。
それにしても・・・愛人に反応するオナゴは多い・・・。
オナゴの心の中や底にはあるのだろうね。
愛人願望と愛人羨望。
でもね、残念ながらワシの愛人観は違うぞ。
世間常識的愛人とは、かなり違うと思うよ。
何よりも、愛人になってもイイコトが何も無い。
(強いてあげれば・・・愛人という名前だけかなぁ)
特典は前回書いたように、気まぐれで連絡するくらいだな。
通常のクライアントより若干優しいかもしれない。
それくらいで、ポイントカードも無い。
ワシと会えば普通の氣功料金がかかる。
(ワシは何をしても氣功になってしまうから)
愛人だからといって割増や割引にはならない。
「愛人になってあげようか?」
これも勘違いしている。
ワシは愛人を求めてない。
来れば拒まないだけだ。
ワシは全てが仕事なのだ。
ワシにもプライベートはある。
だが遊びや休みや息抜きは必要無い。
この仕事(氣功)が最高な、ひと時なのだ。
ワシは相手が誰であれ、ナンであれ幸せだ。
そんなワシに共鳴したオナゴ。
だから宣言すれば「愛人」だ。
病み人でなくても愛人にはなれる。
友人にならなくても愛人になれる。
人妻であっても愛人になれる。
おばあちゃんになっても大丈夫。
人間でなくてもいい・・・。
ただし・・・規定料金は支払ってね。
愛人認定料としてなら安いもんだ。
(そ、そうかなぁ・・・。
ワシがオナゴならバカらしいと思う・・・)
ワシは愛人とクライアントを差別しない。
皆、ワシにとっては愛しい相手だ。
縁があるなら、愛しい相手だ。
ワシを必要としてくれる愛しい人達だ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
人類皆平等。
本妻愛人変人を差別しない。
平和は人類以外を大切に。
自由は縛らない事だ。
そういう珠玉の言葉を実践する。
ワシの愛人観はこうして出来た。
ワシが唯一誇れるものだ。
とても尊いものである。
愛人達に上下はない。
順位もない。
ただし何か印がないと混同する。
そこでアルファベットを使用した。
愛人A、愛人B、愛人Cなどだ。
ただしあくまで平等だ。
ABDDは入れ替え制だ。
ワシがその時の独断と偏見で決める。
(そ、それって、平等じゃないじゃん・・・)
会う頻度だけではないが、双方の思いの混同率による。
(尚更、わけがわかんねぇ・・・)
例えば・・・
現在急浮上したのが愛人C。
イキナリ、ワシの唇を奪ったオナゴだ。
しかも何度も何度も・・・。
ワシは相手がオナゴなら基本的に嫌がらない。
挙句にワシに勝手に乗ってくる。
(ワシから勝手に乗っかる事はないぞ)
「この娘、ここまで思っているのだから、
水上さんの愛人に加えて」
年齢は30歳との事。
ワシに異存は無い。
こうして愛人Cは堂々と愛人の振る舞いをする。
愛人皆平等。
だから競争も比較も無い・・・はずだ。
だが心は例外だらけで創られている。
愛人Dや愛人Eは少し複雑な心境らしい。
「なんで私より前なのよ・・・」
う~m・・・。
でもね、ワシはケモノも妖怪も差別しないのだ。
姿形で判断しないでくれ、愛しい人達よ。
愛人Cがダックスフンドというだけで・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
オナゴである事。
ワシはホヤとホモが苦手だ。
差別はしないが、区別はする。
愛人にオトコは入れてあげない。
人間(換算)年齢30歳以上、上限無し。
ワシは若ぇネ~チャンが苦手だ。
何故か「氣」が疲れる・・・。
犬猫は一年で二十歳になる。
後はニャンワン・イヤーを加えてくれ。
妖怪、宇宙人は大抵ン百歳だろう。
それならオッケーだ。
もちろん人妻は大歓迎だ。
孫は可愛い、メンドウになったら親に戻せばいい。
それと同じ心理かもしれない・・・。
ワシの方の条件はそれだけだ。
あとは相手次第。
入会金、年会費無料。
脱退自由。
義務無し。
特典は・・・。
ワシは来るもの拒まず、去るもの追わず。
こちらから連絡する事は基本的にしない。
例え、気になったとしても黙っている。
それが愛人に限り例外がある。
メンドクサガリ屋のワシだ。
普段は何もしない。
連絡があれば返事はする。
それは愛人と愛人以外でも差が無い。
だが、気まぐれが起こる。
その対象者だ。
(つ、つまらねぇ特典だなぁ・・・)
では、どうやったら「愛人」になれるか。
(ワシもここまで書いていて、アホらしくなった。
だがアホは可愛いと、愛人の一人が褒めた・・・。
律義なワシはアホを続ける・・・)
愛人宣言制をとっている。
宣言すれば成立だ。
だが、一応、誰だが連絡してくれ。
ワシは忘れっぽいのだ・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
絶対この題名でアクセスする人がいるよなぁ。
ゴメンネ。期待はずれです。
ここで戻って下さいね。
最後まで読んでから怒らないで・・・。
ワシは誤解されるのが平気だ。
だから誤解される表現も平気で使う。
そもそも誤解は固定概念から生まれる。
誤解する方がオッチョコチョイなのだ。
(これは天上天下唯我独善雑記だぜ・・・)
雑記の中で「愛人」が登場する。
それだけで読者の中には妄想が働く・・・。
勝手に関係を作ってくれる。
きっと、アレやコレをしているのだろう・・・。
(もてない)ワシとしては、ありがたい。
雑記を読んでいるクライアントからも質問される。
みんな、愛人に興味があるのね・・・。
その度、アレコレ説明する。
もう・・・メンドウになった。
だから、ここで説明しておこう。
ワシの可愛い愛人達。
クライアントやそれ以外の縁のある人達。
その中で、選りすぐりの美女達。
というのは冗談なのだ。
(い、いや、愛人達が美女でないというわけじゃない。
と、何故アセッて言い訳せにゃならんのだ・・・)
ワシはビジンとドビンを混同するタイプだ。
美女に価値があるとは思っていない。
冷たくしないが、贔屓もしない。
まぁ、美女でも許してあげよう・・・。
明るいタイプに、やや贔屓するかも・・・。
スタイルもどうでもいい。
い、いや・・・どうでもいいことはないな。
差別はしないが、注意はする。
それがワシの仕事だからだ。
「叶さん、そのオッパイ、不自然!」
クライアントを含めて縁のある人達。
その中でオナゴに限定。
しかも年齢制限も設定。
人間換算年齢30歳以上、上限無し。
つまり犬猫妖怪、全てオッケー。
こうして条件がついているのだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
東北新幹線・はやて。
盛岡から2時間で大宮に着く。
トンネルが多いので景色は・・・。
それにしても速い。
ワシは何処にいっても違和感をあまり覚えない。
九州など最初から馴染んでいる。
前世があるなら、住んでいたのだろう。
来世があるなら、住んでいるのだろう。
そこで出会った人達とも相性がいい。
今回の東北。
といっても盛岡だけだ。
住んだ記憶が無い(当たり前か・・・)
だが相性のいい人達は同じくいる。
だから知人が幾人かいるのだろう。
「縁」はやがて(未来)「円」になる。
だが「縁」は更に以前に「縁」が有った。
だから再び「縁」を結んだ。
ならば以前の「縁」は更にその前に因がある。
いったい、どこまで遡ればいいのだ。
「縁」は「縁」が無くても「縁」となる。
「縁」が合った場合だ。
波動の接近。
そこに引力が働く。
そして接触(縁)。
6年前に本屋で見つけたワシの本。
出版直後は一応全国に発売された。
売れないから、たちまち撤収された。
その僅かな期間に接触した人がいた。
そして感応した。
600キロ離れたワシの治療院まで来た。
う~m・・・。
変った人だ・・・。
その後の6年は一度も会っていない。
電話や手紙もほとんど無い。
(年賀状はあった・・・)
その「縁」が活きる。
ワシが手伝える事があるようだ。
今回の為に6年前が有った。
「時」は関係ないのかもしれない。
「縁」に「時」は関係しない。
人が「時」と共に変化するだけだ。
「時期が来れば」必要な事が起こる。
そう思っていたが・・・違うようだ。
「時」ではなく、「縁」が呼ぶ。
そして「縁」が働く。
それだけの事だった。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
盛岡最終日。
午前中はフリー時間となった。
宅配便店に、衣類・その他を発送。
昨夜遅く(12時頃)洗濯乾燥した衣類だ。
帰ってから本妻の手間が軽減できるだろう。
ああ、何て優しい亭主だ・・・。
(いつもじゃない。単なる気まぐれだし・・・)
だが、ワシがオナゴなら、ワシとは結婚しない。
一生付き合ってもいいが、家庭向ではないなぁ・・・。
結婚は社会の現実の生活だ。
ワシタイプは社会的から外れている。
この点で本妻は見誤っている・・・。
(仮に)観る目があったとしても、選択は間違いだ。
イイオトコやイイオナゴと結婚は別モノだぜ。
(もちろんワシはイイオトコからも外れている)
まぁ間違いは誰にでもある。
そして何時もある。
何処でもある。
間違いくらいでコダワル必要はない。
そんなのにコダワルと疲れるぞ。
間違いが嫌だったら、やり直せばいい。
嫌でなかったら、先に進めばいい。
やり直せなかったら、諦めればいい。
時間は取り戻せないが、やり直しはできる。
全てでなくても、やり直せる部分は必ずある。
ワシはこの仕事を通して気づく事が多い。
目覚める事も多い。
観える事も多い。
だからといって、レベルなんて上がらないが・・・。
病が間違いだと仮定して・・・。
間違いがあるから、その先に未来がある。
間違いに出会って、夢に更に近づける。
(この見解に賛成する人はいるはずだ)
だから、間違いくらいで落ち込む必要はない。
一度沈むと、飛び上がれる。
沈まないと、背伸びで終わるかもしれない。
どちらも好みの問題かもしれん。
だが、ワシなら間違いが面白いと思う。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」