水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
ワシは自分が書いたモノで気づく。
学びや気づきは、自分一人からが基本だぜ。
他から学ぶだけなら、空回りする。
他から教えてもらっても、身に溶け込まない。
こんな基本的な事さえ、現代は知らないらしい。
だから、勉強しても役に立たない・・・だけじゃない。
あの下劣極まりない政治家や官僚は成績優秀者なのだぜ。
冥想、禅の深さは内在智からだ。
ワシのようなモノでも、内在智に繋がっている。
内在智というのは、自分のモノではないからだ。
どんな存在からでも内在智に繋がっている。
それを般若というのだ。
般若心経の最初の部分に書かれているだろ。
何に気づいたか?
ワシは「努力」の使い方に気づいたのだ。
この世に無駄に存在するモノはない。
ワシは「努力」は無駄なモノだと思っていた。
それは、ワシの間違いだった・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
嘗て偉大な大衆歌手がいた。
惜しまれ、若くして亡くなった。
その華女王とよばれた歌手が歌った。
川の流れのように・・・。
川の流れに身を任せ・・・。
ん? これは別の歌手の歌かぁ・・・。
と、とにかくだ。
大きな川の流れに乗ったら身を任せる。
肩の(余計な)力を入れない。
「流れ」に逆らおうなんて思わない。
「流れ」を利用して泳ごうなんて思わない。
自然は、小賢しいヤツは嫌うのだ。
自然は、感謝するモノに微笑む。
少しは、微笑む。
謙虚なモノに微笑む。
微笑むが、それ以上の応援はしない・・・。
だが「流れ」の幅が少しだけ広がる。
嫌な「流れ」に乗ってしまった場合・・・。
懸命に「流れ」から外れようとしよう。
身を任せてはいけない。
この世で「努力」というモノが必要とするなら、
嫌な「流れ」から脱出する為に使おう。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ツキは「流れ」がある。
というか・・・何にでも「流れ」がある。
不運だって「流れ」がある。
体調だって「流れ」がある。
金運だって、仕事運だって「流れ」がある。
「流れ」って、何だ?
考えたって解らない。
解らなくても、ある。
正体が解らなくても、利用はできる。
正体が解らなくても、特徴は判る。
「流れ」は人間より大きな動きだ。
当たり前だ。
だから、人間が勝手に動かそうとしても無理だ。
その「流れ」に乗っていたかったら、
その「流れ」に身を任す。
余計な意志を働かせない。
こ、これって・・・ワシ向き。
ナマケモノ向きの方法だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
誰でもツキの流れに乗る時がある。
ツキの女神は気まぐれだ。
誰にでも平等に流れを向けない。
だが、誰にでも流れが触れたりはする。
平等ではないが、流れは誰にでも届く。
ワシはツキだけで生きて行きたい。
平等ではないのだから、多く接していたい。
そう思って、ナマケモノ根性にムチを打って研究した。
根性は少ないから、ムチも加減して打つ。
加減しながら打たれるのなら、ムチも悪くない・・・かも。
10年以上もツキの女神様をお慕い申し上げていた。
時には・・・押し倒したいと思っていた。
い、いや・・・押し倒されたい・・・。
ツキの女神様は、不マジメなオッサンには親しんでくれる。
マジメな人々には、縁が少ない。
そういう事が判ってきたのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ワシはナマケモノだ。
前世の生息地は南米産だ。
道理でラテン系も混じっているはずだ。
だから、笑って愉しんで暮らしたい。
努力と根性は相性が悪い。
現代は共生意識が少ない。
ナマケモノには誰も助けてくれない。
マジメに働かないヤツには冷たい世の中だ。
縄文の頃が懐かしい・・・。
とモンクを言っても仕方ないし、
モンクはワシの趣味じゃない。
そこで自力と他力の合体で生きる事にした。
平たくいえば・・・ツキで生きる。
幸運の女神様が度々いれば、何とかなるだろう。
何とかなれば、ラッキーってもんだ。
そこで、ツキの研究をしたわけだ。
「流れ」に気づいたのは、ツキの仕組みからだった。
ツキは流れていたのだ。
気まぐれに流れていたのだ。
無いわけじゃないのだ。
何時だって、流れているのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
この世は変化の連続だ。
だが、流れの速度は一定ではない。
一律でもない。
方向があり、濃淡もある。
ある年齢からの同級会。
嘗ての同級生が変わっているだろう。
変わったのは間違いないのだ。
だが、変わり方が様々だ。
方向も速度も様々だ。
物質(肉体)が変わったのだ。
当然、心も変わっている。
変わらぬモノはあるかもしれないが、
それは、人の心の中には無いものだ。
変わらぬ心がある、というのは無知なだけだ。
だが、心は広く深く、とてつもない能力もある。
変わらぬナニか、まで届く能力はある。
それが、真実だか、愛だか、神だかは知らない。
マレに、そこまで届く事はあるだろう。
でも、それは心の中にあるわけじゃない。
ある、とするのは・・・傲慢だろう。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
変化は常に流れている。
万物は流転しているんだ。
当然、人間も変化し続けている。
変わらないモノなど、この世には無いのだ。
あの世は・・・ゆるやかに変化する。
この世の基準からは、変わらないと思える程だ。
心も当然変化する。
変化を自覚できる人もいる。
自覚できない人も多い。
自覚の有無は別問題だ。
変化している事は間違いない。
変化するのが条件で、この世が存在している。
変わらない苦しみなんて、ある筈が無い。
辛さも悲しみも、必ず変化する。
生きていれば。
この世にいられる条件は、生きている事だけだ。
死んだら、楽になれるなんて錯覚だ。
あの世では、苦しみや悲しみが変わらない。
(極ゆっくりと、変化するが、それは嫌だろうな)
生きている、というのは変化する、という事だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
この世は色(物質)界といわれる。
もちろん、別な次元も重なった多重世界だ。
だが特徴として、色(物質・肉体)界がある。
色は深く広いので、多重を許容できるのだ。
(色事が多情なのは当然なのだ・・・)
あの世は重ならない多重世界だ。
層が分かれている、多層世界になる(らしい)。
同じ類(波動帯)しか交流できない。
面白みに欠ける・・・。
あまり、急いで死なない方がいい。
色界はアナログで成り立つ。
アナログとは連続した変化の仕組みだ。
ちなみにデジタルは断続した変化の仕組みだ。
常に連続した変化が色界の特徴だ。
ちなみに、あの世は変化がし難いので成長し難い。
この世に生きているのは、とても貴重で大切なんだぜ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
生命を懸けるから生命力は増す。
だが「仕事」によってはダメージを受ける。
ワシの「仕事」はダメージと交換で成り立つ。
生命力を増すにも、命賭けなのだ・・・。
新宿での「仕事」のダメージがあった。
頭や肩の重いのは数時間で消えた。
だが、一週間ほど心臓が痛かったぜ。
これで、また、少し成長できる。
ダメージと交換して成長する能力なのだ。
新宿〇〇国屋書店の7階シアターの責任者。
ワシの書いた内容に感じるモノがあるなら、
そして23日以降、雰囲気が透き通ったと感じたなら、
お礼の言葉とン十万円くらいは送ってくれてもいいと思うぞ。
勝手にした仕事だが、結果として、大きな清掃をしたようなものだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
生命力の低下現象。
今の日本全体を覆っている現象だ。
それが「働く事」にも影響している。
若者もバカモノにも熟年にも老年にもだ。
日本病は生命力の低下現象なのだ。
生命力が低下すると本来の「仕事」を見失う。
不安と不満の闇に入り込んでしまう。
信じられるのは、お金と言う。
だが、幾ら働き貯めても不安と不満は消えない。
むしろ、増大してしまう。
生き甲斐の「仕事」を選んだ人達。
お金が貯まるか、貧乏かは一定でない。
だが、不安と不満は僅かになっていく。
「仕事」をすれば、するほど少なくなる。
「仕事」は生命力を増すからだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)