水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説恋愛論・71」

2009-07-21 22:56:07 | Weblog



正常な恋愛はない。
恋愛は全て狂いがあるのだ。
そして・・・勢いで結婚する。
しなくても、子孫を残す。
生物は、皆、同じ、轍を踏む。

同じ間違いを繰り返すから、生物は続く。
間違いは、単純に修正すればいいわけじゃない。
同じ轍を踏むから、生命は存続できる。
冷静だったら、一組の雌雄しか残らない。
その場合は、蜂社会のような仕組みとなる。

人類は幸いに恋愛で狂う仕組みだ。
だから、ワシもアナタも存在できる。
欠点だらけでも存在できる。
しかも、子孫まで残せる。
恋愛はラッキーな神からの贈り物。

           
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説恋愛論・70」

2009-07-20 22:59:17 | Weblog



人間の中身。
大した事ねぇぞ。
恋愛すると、それが解る。
解るのは、終わってからだが・・・
それと、周りの人達は解る。

恋愛中の本人は狂ってるからわからない。
恋愛中は、わけがわからない思考と行動する。
冷静になると、恋愛は終わる。
失恋しても、終わらない恋愛もある。
ストーカーとかになる。
恋愛は終わらないと迷惑なのだ。

恋人同士と変人同士は兄弟姉妹と解る。
普段、どんな肩書きがあっても同じだと解る。
老若男女、皆同じだと解る。
人種も時代も関係なく、中身は愚かだと解る。
そして、人間って、結構、可愛い生き物だと解る。

           
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説恋愛論・69」

2009-07-19 22:29:36 | Weblog



恋愛というと心の(見えない)世界だと思ってしまう。
心の世界なら、崇高なモノにした方が箔が付く。
というわけで、最高の恋愛は真・善・美・・・
何しろ哲学者とか学識者は箔が命・・・
中身は人類皆一緒だもの・・・

箔ばかり気にして理屈付ける。
だから、中身の一番大切な生命を忘れる。
この世にあるモノは、生命の為に存在するのになぁ。
個人の精神の向上に存在するわけじゃない。

特に恋愛は種の生命存続の鍵だ。
種は個々から成り立つ。
個々の雌雄の結びの鍵だ。
だから、勘違いが必要なのだ。
アバタはエクボに見える必要があるのだ。

           
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「迷説恋愛論・68」

2009-07-19 00:11:27 | Weblog



愛というと範囲が広すぎる。
何でも「愛」に含まれる。
もっと狭いモノ。
もっと偏ったモノ。
恋愛は、愛と付くけど別物だ。

愛のベクトルは広がる。
恋愛のベクトルは個に収縮する。
愛は自を超える。
恋愛は自に固執する。

だから恋愛は生命を紡ぐ。
個と個だから、生命を繋げる。
愛では生命は昇華してしまう。
この世(肉体界)では昇華したら存在できない。
精神世界では生命を維持できないのだ。

           
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「迷説恋愛論・67」

2009-07-17 23:23:49 | Weblog



ワシは他人の趣味まで口を挟まない。
プラちゃんの同性愛や少年愛。
決して少なくない偉人達のソッチ系の趣味。
同意の上なら、勝手にしてくれ。

だけど、哲学者として大声で言うのは間違いだろう。
同性愛こそが至上の愛・・・
その少年達だけの軍隊が最高・・・
古代ギリシャでは少年愛が普通であっても間違いは間違いだ。

愛に上下はない。
愛に種族もない。
愛に男女もない。
そうかもしれない。
だが、少年愛こそ至上の愛は言いすぎ。
同性少年愛は、プラちゃんのこだわりだ。
こだわりは、間違いを生む種だぜ。

           
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「迷説恋愛論・66」

2009-07-16 23:08:13 | Weblog



哲学者が勘違いしてもいい。
間違えるのは、当たり前だ。
プラちゃんが本質論(イデア)を説くのも自由だ。
自由だけど・・・説得力はないぜ。

精神的な愛。
真実の愛。
恋愛は精神的な真善美。
少年同性愛をしながら説いてもなぁ・・・

少年同性愛だから、プラトニックだ・・・
酒を飲みながら「酒に飲まれるな」と説教する。
金儲けの果てに「奉仕の心」と法則を説く。
偉い人達って、自分を見失うようだなぁ・・・

           
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「迷説恋愛論・65」

2009-07-15 23:00:32 | Weblog



考える、哲学する。
それは人間の能力の一つだ。
生きる事を応援するグッズでもある。
愉しみの一つでもある。

だが、結論はその先に無い。
解明は別の次元だ。
悟りとか真実とかは、別次元だ。
考えの先にあるモノじゃない。

仮に、もしも、という前提で・・・
解明、悟り、真実が人間に解るとしたら・・・
何も考えない、哲学しない状況ならありうるかもしれない。
自然と一体の状態なら、もしかしたら・・・
いずれにしろ、考えから真実には到達しない。

           
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「迷説恋愛論・64」

2009-07-14 22:54:56 | Weblog



物事を哲学する。
それは好奇心の根源かもしれない。
わからないモノ、わからない事、知りたい。
だが、哲学する事は過程であり、生き方だ。
本質が解明されるわけじゃない。

哲学者の致命的欠点。
本質に迫る、解明できると勘違いする。
哲学するのは自由だ。
どんな風に思おうと自由だ。
それは愉しい事でもあるだろう。

だが、基本的に人間だ。
個の能力で判断する。
どんなに自を離れても、別にはなれない。
まだ、人間だもの。

           
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「迷説恋愛論・63」

2009-07-13 23:33:31 | Weblog



プラちゃんはヒマだった。
哲学者はヒマでないとなれない。
しょうもない事を突き詰めて考える。
物事の本質・・・
それをイデアと名づけた。

最初の間違い・・・
プラちゃんは人間だ。
しかも奴隷に働かせて、自分は遊んでいる。
だから、頭だけで考える。
そんな人間が「本質」を見極める、と前提している。

哲学者だから、傲慢無知だ。
自分は賢く素晴らしいから「本質」を見抜ける。
そう自惚れて、考えを進めた。
だから、出発点から間違っている。

           
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「迷説恋愛論・62」

2009-07-12 20:21:41 | Weblog



プラちゃんは恋愛に理屈を付けた。
何しろ哲学者だ。
理屈が商売道具だ。
言葉が商売道具だ。

愛も恋愛も理屈で動かない。
どんな分析も役に立たない。
いきなり異次元に入り込むのだ。
考えて恋愛するわけじゃない。

だが、哲学者だ。
傲岸無知を振りまかなければ・・・
う、美しい愛を説かなければ・・・
精神的な美の愛・・・

           
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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