水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
めったに驚かぬ(胆が据わっている)弥七だが、
「こうしたことが、あるものでございますかねぇ」
秀と又六の組み合わせには、弥七も驚いたようだ。
しかも、秀から手を出したと看破した小兵衛の話に、
「ま、まさか、あの、お秀さんが・・・」
自分を常に厳しくしている、折り目正しい剣客の杉原秀だ。
弥七、まだまだ人を観るのが甘いなぁ・・・
オンナには、そういうところもあるのだよ・・・
母親と二人暮らしの又六。
秀の事を母に言うと、反対された。
「身分が違うし、人の出来が比べものにならないから無理だ」
又六も、よく働くし心根も良いし、信頼もできる。
だが、秀は人として、一段も二段も上等に出来ていると観たのだ。
又六の母親も、人を観る目があり、人の世の仕組みを知っている。
小兵衛も人の世を観ている。
「たしかに、おふくろの言う事も一理ある」
ワシは若い頃、人と人の組み合わせには、何の障害も無いと思っていた。
まして、身分などは、人が作った幻想だ。
心も、未来も、人は平等だ。
原則論だけで、人の世をみていた、浅はかな頃だ。
もちろん今も浅はかだが、原則をそのまま人の世に使わない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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人の範囲には自分も当然入る。
自分の心、行動が観えない場合もある。
分析して、自分を観える場合もある。
だが、その通りにならない場合も多々ある。
自分も辻褄の合わないヤツなのだ。
アテにならないヤツなのだ。
鰻売りの又六が小兵衛の隠宅に訪れた。
そろそろ嫁を、と小兵衛や弥七も考えていた。
ところが、女を連れてきている。
おはる、の見立てでは妊娠しているらしい。
その顔を見て、さすがの小兵衛も驚いた。
杉原秀、根岸流手裏剣の名手で一刀流の道場主だ。
まさか、という組み合わせ。
さすがの小兵衛も「びっくりしたわえ」
これだから、人と人の不思議さは変わりない。
心など分析しても、とんでもないモノが出てくる。
心とは違った、とんでもない行動もおきる。
いつでも、節穴の目を自覚していた方がいい。
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人を見るのは誰でもできる。
見て、観るのは、少しだけ難しい。
見ないで、観るのは、もっと難しい。
それでも、一部なら、まぁ、観る事はできる。
見えないモノを扱う仕事なら、多少は観えるものだ。
だが、心は不意に動く事がある。
どんなに名人でも予測もできない方向に動く事がある。
元々、心は辻褄が合わない性質なのだ。
多種多様なモノが潜んでいる器だ。
思いもかけないモノが飛び出る事もある。
だから、観えても、その通りにはならない事がある。
間違って観えたわけじゃない。
人は、そういうモノなのだ。
その事を、充分わきまえた上で、人と接していく。
すると、人って、結構面白い。
この世は、結構、悪くないものだ。
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理由なく着る恩が増えると・・・
人の世は、とてつもなく上手くいく。
調和し、共存し、協力して世を盛り立てる。
真の意味の、御蔭様、になるのだ。
御蔭様と恩(感謝)は、深浅があるのだ。
更に、その先がある。
人の世は、平和、になってしまう。
人類が発生してから、一度も創れなかった状態だ。
それが、恩を着るという深い意味だ。
だから難しい。
方法は簡単なのに・・・
人は、未熟で不良品の段階だ。
各自の、一歩で世界は変われるのに・・・
ところで、
ワシは裸族だから
恩は着ないし
着せない・・・
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恩は着せるモノではない、という意味。
更に掘り下げてみる。
~してもらったから(着せられた)、も無くなる。
つまり、~してもらったから、着るのでは無い。
恩(感謝)を着るのに理由は無いのだ。
だから、この言葉が深い。
通常、恩を感じるのは、着せてもらうからだ。
何かをしていただいた、から・・・
だが、その間違いを指摘された。
着るのに、理由無し。
着れば着るほど、温かい人となる。
この言葉の前では、つまらぬ説法など、屁のようだ。
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今日の独善つぶやき・・・
今日も桐生へ。
さすがに、みなかみと比べ暑いなぁ・・・
いろいろあるけれど、生きていこうね。
「迷解剣客商売・68」
奉仕は胞子と同じ。
風任せ(無私)の境地。
ところが長く関わると、私、が出てくる。
奉仕してあげてるのに・・・
そして、恩(感謝)を求める。
評価(感謝)を求める。
奉仕は、油断すると恩を着せてしまうのだ。
奉仕の難しさは、感謝心(恩)を求める自分の心。
奉仕は個人的な趣味なのに・・・
社会的な意味を持たせたら、それは奉仕ではなくなる。
(国が民に求める奉仕は、奉仕じゃないのだよ)
恩(感謝)は、着せるモノじゃない。
だから相手に感謝など無くても関係ないのだ。
恩(感謝)は、着るものモノだ。
自分が、勝手に着るモノだ。
そして、これは着ると結構温かいモノだ。
着せると、薄ら寒いモノでもある。
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度々話の中で出てくるフレーズがある。
「恩は着せるものではない、着るものだ」
この言葉は、かなり深いと思う。
感謝、という単語に置き換えてみればいい。
ワシの学んだ沖道(ヨガ)の話だ。
故沖先生がインドで暮らしていた頃の話だ。
マハトマ・ガンディー師にヨガという生き方を学んだ。
ガンディー師は暗殺された。
その後、しばらくインドで奉仕活動をしていた。
沖道の生き方
「感謝・懺悔・下座・奉仕・愛行」
その中で、奉仕の難しさを語ったことがある。
ある期間は、無私(思)で実行できる。
そのうちに相手に対して
「何故、ありがとうが言えないのか?」
という疑問、不満が生まれてくる。
あるいは、他の人や組織に対して
「私がこれほど奉仕しているのに、何故評価しないのか?」
という不平、欲求などが生まれてくる。
期間が長くなるほど、心の底に生まれ、溜まるモノがある。
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一つの道、仕事、能力などでプロとなる。
一人前となり、更にその先に進む。
同じ道のプロ達にも一目置かれるようになる。
まわりからは、先生、先生と呼ばれる。
家、店、道場、院、会社などを構える。
その頃から、油断すると錆びることがある。
能力、実力が停滞し、下がることさえある。
小兵衛も、一度そういう事があった。
道場を構え、世上の評判が高まり、順風満帆の時だった。
肝に銘じ、剣客として精進し直したから、今の小兵衛となった。
自分より優れた相手と会わなくなる。
嘗ての先生まで、小さく見える。
すると、自分が大きくなったと勘違いする。
人間の一生なんて、止まれば、たかが、なのに・・・
今のところ、ワシはそこまで増長してない。
が、油断は(常に)あるだろうなぁ・・・
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老いや衰えに流されない方法は幾つもある。
はね返す方法も幾つもある。
小兵衛の生き方には、そのヒントが示されている。
例えば今回の20番斬り。
めまい、という老いを感じた直後の出来事だった。
師匠との約束もあるが、小兵衛本人の気に入りがある。
嘗ての弟子を守る、責任感と生きがいもある。
あどけない子供を守る事も、心が静かに燃える。
ふがいない武士社会への憤りもある。
大身武家への反骨精神もある。
頼りになる大治郎を別の大仕事に行かせた。
その為に、自分が奮闘の立場となった事も気を上げた。
もちろん、若い妻や嫁や孫が元気の源の一つとなる。
そして、いい仲間達が支えてくれているから活躍できる。
全ては、小兵衛の生き方の表われでもある。
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老いにセットで付いてくる衰え。
だが、小兵衛は60歳から登場した主人公だ。
40歳下の女房をもらい、40歳下の別の美女から慕われる。
血気盛んな他の剣客を、軽く、あしらう。
そこには、老いも衰えも無かった。
つまり、老いも衰えも単純な年齢ではない。
時は確実に経つ。
肉体は確実に衰える。
それは、間違いない。
ないが、速さは、一定ではない。
マクロにとらえれば、老いも衰えも一方向。
形あるもの、必ず滅する。
だが、人間の一生では、単純な一方向ではなくなる。
時には逆戻りもあるのだ。
数年や、数十年は、何とかなるだろうなぁ・・・
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