タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

 ~宍道湖を見下ろす大燈籠「お加代燈籠」~

2017-04-15 | 風景

昨日、野外スケッチ会の下見に行った際、明日は天気予報では雨と出ていたので、持参のスケッチブックに一枚だけスケッチしておいた。        予報通り今朝は、雷鳴とどろく雨が。。。この天気では、スケッチ会は多分中止になるだろうと、写してきた写真も参考にしながら、色を乗せて見た。         この石灯篭は宍道湖を見下ろす様に建っているが、元々は明治初期から松江の歓楽地として賑わった、天満宮裏にあった料亭の一つ「青柳楼」にあったものの様である。        幕末、明治初期にかけて、この辺は宍道湖の波打ち際であり、この大石燈籠は、入江の燈台の役目を果たしていたもので、松江名物の一つとなっていたとか。        その後、松江開府三百五十年祭(S33)にちなんで、現在の地に移築されている。         この灯篭のすぐ近くにあるのが、明治維新の際に、松江藩の危急を救ったといわれる「侠女 玄丹お加代」の銅像がある。       お加代が芸妓として勤めていたのが、青柳楼の隣にあった「鳴玉楼」(めいぎょくろう)だったことから、この石燈籠は「お加代燈籠」とも呼ばれている。

銅像の碑文には
~お加代は、もと松江藩士で鍼医・錦織玄丹の娘。
明治維新のとき窮地にたった松江藩のために、身を挺して活躍した女性である。
慶応4年(1868)山陰鎮撫使一行は、松江藩が徳川の親藩であるため、その動静に不信を抱き、更に種々の行き違いがあって松江藩に3か条の難問題をつきつけ、ために家老大橋茂右衛門は切腹して謝罪することとなった。        藩はこの対策に苦慮し、松江入りした彼らのいうままであったが、この時これら荒武者を酒席で操縦し、一行の態度を和らげて出雲女の義侠心を発揮したのが彼女である。        白刃に貫いたかまぼこを平然と紅唇に受けたとか、幹部に迫って家老のいのちを助けたなどが伝えられる。        大事となれば一身を捧げて対処するという行為を誇りに感じ、玄丹お加代の胸像を白潟公園に建立しその功を後世に残すものである。~        と刻まれている。

「灯台下暗し」、我々は、案外郷土のことを知らないものである。        

~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~

 

 

ボサノバ

 

 コルコバード:小野リサ