夕暮れ時松江大橋の上を、南から北に向かって歩いていると、お城のある
北の方から、小泉八雲の怪談に出て来る幽霊(女性)が、「カラン、コロン、
カランコロン」と下駄の音が鳴らして、渡って来るような錯覚を覚えます。
この橋は、昭和40年代ころまでは、お城のある殿町(北)と白潟(南)の商
店街が栄え、歩いてこの橋を往来する人も結構多かったと記憶していま
す。
今では、夕時ともなれば行き違う人も疎らとなっています。
「松江大橋」は小泉八雲の、「知られざる日本の面影」でも紹介されるなど、
松江を代表する名所の一つになっていて、欄干には「擬宝珠:ぎぼし」が飾
られ、夜ともなれば4つの灯篭が点灯される、風に吹かれる柳と共に、とて
も風情ある橋です。
今から約400年ほど前松江開府にあたって、築城のために物資が運ばれ
る様な「頑丈な橋を作れ」と、城主・堀尾吉晴によっての建設の命が下りま
した。
橋の工事は、幾度も洪水に遭うなど難渋を極めたため、川の神の怒りを静
めるために、マチの無い袴をはいて、朝一番に「カラカラ橋:松江大橋」を
渡る男を「人柱」にすることになり、不運にもほどなく通り掛かった足軽の
「源助」と言う男が、たまたまその服装で橋を渡ったために捕らえられ、「人
柱」として橋脚の下に埋められたという悲しい話があります。(1608年:初
代・松江大橋)
現に、今渡って来た松江大橋南詰めの「源助公園」には、建設工事の犠牲
者と、源助の二人を供養する2つの石碑があります。
また、近くの寺に祀られてある「源助地蔵」は、毎年8月の地蔵盆に「源助
公園」に移されて、地元の人の手で手厚く供養されています。
少し悲しい話になってしまいましたが、子供の頃に聞いた話から、そんなイ
メージが私には強いためなのか、夕暮れ時の、『松江大橋』の情景には、ど
こか物悲しさを感じます。
~今日も良い一日を~
お母さんがテーブルの下に置いた、ミカ嬢0歳児の頃の小屋、物珍しそうに見たいましたが、大きな身体で入り込みました
ん・・・これも悪くないな~・・・と思っているうちに、眠くなって来ました
波路はるかに~ビリーボーン楽団
世界が伝わってきます
takaさんの絵に凄味が増してきたような・・
素晴らしいです。:
というか人柱のお話
酷いです;;
ミカちゃんかわいすぎて
骨抜きです~
で表現して見ました。
また、描く喜びと言うか、面白さが出て来ました。
ミカは最近、昼間はお母さんオンリーで、夜は私
にべったりの生活です。
まだ5歳だと思い込んでいましたが、母子手帳?
を見て、6歳になったことを確認しました。
もう6年も、家族の一員として生活していますから、
うまく付き合ってくていれます。
福島県の白河城にも、残されています。
全国に数多く残されているこうした伝説、いずれも悲しい お話です。
「いけにえ」と「供養」。どちらも、人間のなせる業(わざ)なのでしょう。
黄昏どきの松江大橋、何かしら八雲の世界に通じるような気がします。
私も、かつて勤務していた田舎村で、「今もって、こんな古の「人の上下関係」が残っている地方があるのか・・・」と、驚き再認識させられることがありました。
考えて見れば、これに類する行為は今も変わらず、世界各地至る所で行われていますね。
小泉八雲は、松江での生活は、期間にしては短い間でしたが、大きなものをたくさん残しています。