~憂い・愁い~
『憂い・愁い』とは、予測される不安や心配、悲しみ、苦しみ等に心が沈む様を言う。
とあるが、人は長い人生を生きていく上で、幾度となく経験することでもある。
どの様な状況下でも、普段と変わることなく、常に明るく微笑んいられる人で有りた
い、それが私の人生最大かつ最終の課題であると思っています。(凡人には、極めて難
しいことなのだが・・)
禅宗語録とも云うべき「禅林句集」(白隠禅師)の中に
『君看(み)よや、双眼の色。 語らざれば、憂いなきに似たり。』
(きみみよや、そうがんのいろ。 かたらざれば、うれいなきににたり)
と言う言葉がある・・・すなわち
「私の二つの眸を見て下さい。 愁うることなど何一つないように見える。
私は誰にも断腸の想いなど語りはしない。 語り尽くせないほど愁いは深いからだ。
しかし、同じく深い愁いを抱く者が看れば、私の心は分かるはず。
目と目があうだけで一語も交えずともすでに志は通じている。
愁いを抱くものならでは、この想いを同じくすることは出来ない。
だから君よ、私の双眸の色をみてほしい。」
と、説いている。
「武士道」にも、今は死語と化しているが「惻隠の情」という、相手の立場に立って
その心情を推し量るという、古来日本人の美しい心がある。
また、
「誰にだってあるんだよ 人には言えない苦しみが 誰にだってあるんだよ 人に
は言えない悲しみが ただだまっているだけなんだよ いえばぐちになるから」
(相田みつを)
「最高の人間関係は、自分の苦しみや悲しみは、できるだけ静かに自分で耐え、
何も言わない。人の悲しみと苦労を無言のうちに、深く愛することができる人間同
士が、付き合うことである」(曽野綾子)
「竹中半兵衛は、決してその苦痛や憂鬱を人に頒(わ)けない。きょうも変わらない
微笑を静かに見せていた」 (黒田如水:勘兵衛)
先人の、こうした言葉に出会う度に、私自身人としていかに生きるべきか、深く考え
させられるのである。
~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~
しかし理想に程遠い自分に、いつも恥じ入るばかりの私です。
苦しみや悲しみ直ぐ云いそうです(*^_^*)
>常に明るく微笑んいられる人で有りたい
とは心の中では思ってるのですけど・・・