遠い日の思い出
『注文の多い料理店』 序
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃(もも)いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしゃ)や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。 ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。 なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾(いく)きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
大正十二年十二月二十日 宮沢賢治
少し山道に分け入ってゆくと、かつては、人の手により植栽されたと思われる花や雑草が生い茂り、静寂の中に、ひとり取り残されたように咲き誇っているのです。
アガバンサスもアザミ(モンシロチョウ)も・・・
アベリアの花には、沢山のミツバチが蜜を吸っています。
近くには、既に使われなくなったミツバチの巣箱が・・・今は使われていない。
道の脇には、ガクアジサイが・・・
アザミの花モンシロチョウが・・・
朽ち果てた廃屋の庭では、キジバトが水浴びを・・・
過疎で失われゆく、廃屋が・・・
「廃屋」に、幼き日に見た農村(実家)の、原風景を見た様な気がする。
宮沢賢治の書籍、読書好きのゆりさんなら当然読まれていますでしょうね。
後世に名を成す作家ですから、当然のことながら、考えさせられる・心打つ詩もたくさんありますね。
松江を旅したとき、タクシーの運転手さんが電信柱に記録?してある水害の水位を教えてくださいました。
今日の雨は大丈夫ですか?
キジバトのお写真、日本画みたいですね。
宮沢賢治のものはたくさん読みました。
銀河鉄道の夜など印象深いものが色々思い浮かんできます。
心打つ詩もたくさん!
雨、どうぞお気を付けて!