松江市・東出雲町上意東にある「美人塚」、塚の周りには色とりどりの菖蒲の花が咲き始めました。
この塚には、今も伝わる「大江(だいご)美人伝説」なる、大変美しい昔語りが残されています。
~大江(だいご)美人伝説~
昔むかし室町の頃、京都に足利将軍の御殿があったげな・・・・松江市・上意東の、ここ大江(だいご)
の里に一人の女の子が生まれ、この子は成長するに従い、輝くように美しい娘となり、「大江美人」と
噂されほどの、村一番の器量良しでした。
娘は年頃になると、近郷から婿を迎えて相思相愛、片時も一緒に居たと思う二人でしたが、片田舎の
貧しい農家では、働かなくては食べて行けず、男は昼間は外で野良仕事、女は屋家で針仕事をしなく
てはならず、いつも一緒に過ごすという訳には行きません。
男は思案の末、地元の絵師に妻の絵を描かせ、この絵を野良仕事の時も手元に置き働いておりまし
た。
ある日、野良仕事をしていると、西の方から強い風が吹いて来て、絵が空に舞い上がってしまいました。
それから数日の後、東方の将軍家の庭に絵は落ちたげな・・・この絵が、時の将軍の目に止まり、「西
国に、この絵の美人がきっと居るはずだ。 連れて参れ」と部下に命じ、とうとう出雲の国上意東の地で
娘を探しあて、京都に連れ帰らせました。
男は最愛の妻を連れ去られ、悲しみに暮れる日々を送っていましたが、風の便りに五月五日の「端午
の節句」には、菖蒲売りが、将軍家の庭に入ることを許されると聞き、近くの池で菖蒲の花を刈り取り、
早速、京都に向け昼夜を問わず歩き続け、遂に京都に着きました。
しかし既に節句の翌日になってしまっておりました。
御殿には入れてもらえないため、塀の外から「菖蒲~や、菖蒲~」と悲しい声で売り歩きました。
御殿の人達は、「六日の菖蒲売りが来た」と笑いましたが、その声を夫の声と聞き分けた妻は、こっそ
り外に抜け出して、夫と会う事が出来ました。
二人は、その晩打ち合わせ通り御殿を逃げ出し、人目を忍んで逃げに逃げ、ある朝やっと懐かしい意
東川の畔に辿り着きました。
南を望むと、生まれ故郷の上意東の山々がぼんやりと見え、女は張り詰めていた気持が一気に緩んで、
そのままそこで息絶えてしまい、男は泣きながら女を故郷の地に葬ってやりました。
上意東の人々は、今もこの話を語り継ぎ、この美人塚に花や線香を手向けて、薄命の大江美人の供養
をする様になりましたげな・・・・・
口伝の悲話にふさわしく、路傍の小さな塚は、菖蒲の花に囲まれて静かに咲いていました。
いい話ですね~、実際にこの伝説が孫、子の代へと語り継がれている事に、感動しました。
今日も良い一日であります様に
菖蒲って青い紫のイメージでした^^色とりどり・・・素敵ですね
あやめ・菖蒲・アイリスって区別できないわたしです(T_T)
二人でめでたしめでたしだったら
良かったのに・
でもそんな悲しい逸話と似つかわしく、
はかなげな雰囲気の菖蒲ですね。
あわくて柔らかな繊細なタッチtが
やっぱり素敵です。これでtakaさんの書いておられる
絵が心に響くものがなければ一年前私は特に
コメントいたしませんでしたが、つよく素晴らしい!!と思ったので書かせていただきまして今まで・・。こちらのほうこそ、いつもお優しいコメントをいただいていて、励まされます。これからもよろしくお願いいたします・・。
私“になった次第で、自慢できません。
菖蒲だけでも、青・紫・ピンク・純白・桃色とたくさ
んあります。
やはり豪華さで言えば菖蒲が一番でしょう^^^か?
していましたが、今は無理せず、自然体
で続けています。
最初の頃、当ブログをご覧になった外国
(籍)の若い女性の方から、「生き続ける
と言うことに、希望が持てるようになりま
した!」・・・とコメントを戴き、やって良か
ったと思いました。
おいで下さる方が、いらっしゃる限り、我
が内なるものを、外に発信することにこそ
意義ありと思いつつ・・・のブログなのです!