記帳堂にあった資料によると、ここには約2,000名の英連邦をはじめとする連合国将兵及び抑留民間人の方々が永遠の眠りについており、そのうち1,555名が戦時中に日本国内の捕虜収容所で病気や事故、重労働や虐待、処刑などでなくなった方々、171名は進駐軍として活動中、あるいは朝鮮戦争の折になくなった方々だそうです。
墓地の説明があります。
傘をさしたまま手を合わせて一礼の後、埋葬地へ入る。わたくし以外誰もいません。
納骨堂。英連邦に加え、アメリカ、オランダあわせて335名の遺灰が収められていますがそのうち51名の方は身元が判っていません。
納骨堂の前に広がる広大なイギリス軍エリア。雨足がだんだん強くなってきた。ごろごろと雷も鳴り出した。
イギリス軍エリアの横を通って階段を上った所にひっそりとたたずむのは
インド部隊、現在のインド、パキスタン出身の将兵のエリアです。
死亡が確認されたものの埋葬地がわからない20名の方の名前が記されている。この方々は今も日本のどこかで眠っています。
既に靴の中まで雨でびしょびしょ状態だが全エリアを回って手を合わせようと先へ進む。
さらにインドエリアの上隣にはイギリス連邦諸国軍エリアがあって
オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アイルランド軍将兵が埋葬されていました。
歩きながら「武器を捨て降伏した相手にまあなんとむごい事を、よくこれだけ殺したもんだ。」とつぶやいた途端、大きな雷がとどろく。
イギリス軍エリアを右に入るとオーストラリア軍エリア。イギリス軍エリアについで広い。
オーストラリア軍エリアの隣にもう1ヵ所埋葬エリアがあった。墓碑銘を拝見しますとここにもカナダ、ニュージーランド、オーストラリア軍将兵の方々が埋葬されていました。さっきの英連邦諸国軍エリアと何か違うのであろうか。
1944年3月3日に20歳の若さで人生の旅路の終わりを異国の地で迎えたカナダ軍兵士の墓標。
お名前の部分は加工してあります。合掌
雨が芝生を打ちつけ、芝生からはもうもうと水蒸気が立ち上り、霧がかかってきた。少々心細くなってきたので手を合わせて引き返す。
イギリス軍エリアで見つけた第二次世界大戦の全戦死者を弔う墓碑。墓碑銘は「神が知り給うた兵士」
1時間弱、全5エリアでのお参りを終え、保土ヶ谷駅へ向かうバスに乗ったときには雨は上がっていた。
バスの中でこのとき着ていた半袖ワイシャツの左肩口に染みがついているのを発見。
墓地へ行く前にはこの様な染みはついておらず、恐らく墓地の樹木の樹液を取り込んだ雨が肩口についたのであろうと推測。
先の大戦終了後、67年過ぎた今でも世界各地で紛争が耐えないこんにち、何かのメッセージの様にも思えた。
軍民、国籍を問わず、戦火にたおれたすべての方々のご冥福をお祈り申し上げます。