撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

揚州商人 新横浜店にて刀切麺を食った

2015-12-01 06:54:19 | 神奈川
10月13日(火) 横浜出張、横浜でよく利用する


揚州商人 新横浜店にて


醤油ラーメンの刀削麺を食った。
ウマかった。


横浜スタジアムの外周を見て回った

2015-08-30 08:15:55 | 神奈川
8月5日(水) 横浜スタジアムの外周を散策した。


ビアガーデンがあったが、弱小不人気球団のDENA、客入りも悪いのか申し訳程度の席数であった。



トラックのクレーンでつるされた大型テレビがあった。DENAの中継するのであろう。






球場の外周階段の手すりには選手が言ったのであろうスローガンが書かれてあったが山崎憲晴はマルちゃんカップめんの回し者か。



金満弱小不人気球団のDENA、いつの間にやら定位置の最下位をゲット、今年も優勝どころか3位以内も不可能の体たらくだが、洋松ロビンス時代み含む親子二代にわたるファンとして今後の奮闘に期待したい。

横浜スタジアムは狭かった

2015-08-29 08:06:17 | 神奈川
8月5日(水)、横浜スタジアムにおいて子供野球教室みたいな催しがあってグラウンドが開放されていたので入ってみたら


狭かった。この狭さは筆者の郷里長崎にある大橋球場なみである。これではDENA投手陣も苦労するであろう。



横浜スタジアムを見た

2015-08-28 06:25:11 | 神奈川
8月4~5日、神奈川出張。8月5日に


宿近くの横浜スタジアムに行ってみた。



この球場を本拠地とするDENAベイスターズは今季当初首位を走っていたが



「ぬるま湯大洋」の伝統を受け継ぎ今や5位。十分にその実力を発揮している。
以下次号

神奈川県のPOLICEパトカー

2015-04-18 18:52:55 | 神奈川
神奈川のPOLICEパトカーのご紹介をした事があるが、さらに鮮明な未公開写真があった。ネタがないのでご覧願いたい。

2011年4月17日 横浜市内散策中に目撃


筆者が目撃したPOLICEパトカーの分布状況
千葉県(写真なし)
神奈川県(写真あり)
静岡県(写真なし)
愛知県(写真あり)
滋賀県(写真なし)
兵庫県(写真あり)
徳島県(写真あり)
岡山県(写真なし)
広島県(写真なし)
福岡県(写真なし)
熊本県(写真なし)

今後も折に触れPOLICEパトカーを探していきたい。

飛翔入手(香港映画?)の看板

2014-10-12 20:53:28 | 神奈川

ネタが古いが2011年8月に見た神奈川県内のJR駅(どこだったか失念)で見た


香港映画の看板。白い中国服のあんちゃんは「魔太郎がくる」みたいだった。


横浜ベイブリッジからアクアラインに入った

2014-07-11 23:11:05 | 神奈川
御殿場で小休止後、東名の横浜町田から保土ヶ谷バイパス、首都高狩場線を経て


横浜ベイブリッジを渡る。


車中。実際渡ってみるとかなりくたびれた橋であった。ずんずん進み川崎浮島から


羽田空港を目の前にして東京都をかわして右折、神奈川県内である東京湾トンネルへ入るのであった。



小田原近辺新幹線車窓から富士山を見た

2013-01-02 15:48:48 | 神奈川
12月14日(金)神奈川県小田原市付近より


富士山を望む


本年も拙ブログをご覧くださいまして誠にありがとう存じます。
皆様方がご健勝であらせられます様お祈りいたします。

さて年末に渡タイして参りましたので明日3日よりはそのネタをご覧頂きます。

神奈川県横浜市 英連邦戦死者墓地その2

2012-07-26 18:48:34 | 神奈川
記帳堂にあった資料によると、ここには約2,000名の英連邦をはじめとする連合国将兵及び抑留民間人の方々が永遠の眠りについており、そのうち1,555名が戦時中に日本国内の捕虜収容所で病気や事故、重労働や虐待、処刑などでなくなった方々、171名は進駐軍として活動中、あるいは朝鮮戦争の折になくなった方々だそうです。


墓地の説明があります。

傘をさしたまま手を合わせて一礼の後、埋葬地へ入る。わたくし以外誰もいません。


納骨堂。英連邦に加え、アメリカ、オランダあわせて335名の遺灰が収められていますがそのうち51名の方は身元が判っていません。


納骨堂の前に広がる広大なイギリス軍エリア。雨足がだんだん強くなってきた。ごろごろと雷も鳴り出した。


イギリス軍エリアの横を通って階段を上った所にひっそりとたたずむのは


インド部隊、現在のインド、パキスタン出身の将兵のエリアです。


死亡が確認されたものの埋葬地がわからない20名の方の名前が記されている。この方々は今も日本のどこかで眠っています。

既に靴の中まで雨でびしょびしょ状態だが全エリアを回って手を合わせようと先へ進む。


さらにインドエリアの上隣にはイギリス連邦諸国軍エリアがあって


オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アイルランド軍将兵が埋葬されていました。

歩きながら「武器を捨て降伏した相手にまあなんとむごい事を、よくこれだけ殺したもんだ。」とつぶやいた途端、大きな雷がとどろく。


イギリス軍エリアを右に入るとオーストラリア軍エリア。イギリス軍エリアについで広い。


オーストラリア軍エリアの隣にもう1ヵ所埋葬エリアがあった。墓碑銘を拝見しますとここにもカナダ、ニュージーランド、オーストラリア軍将兵の方々が埋葬されていました。さっきの英連邦諸国軍エリアと何か違うのであろうか。


1944年3月3日に20歳の若さで人生の旅路の終わりを異国の地で迎えたカナダ軍兵士の墓標。
お名前の部分は加工してあります。合掌

雨が芝生を打ちつけ、芝生からはもうもうと水蒸気が立ち上り、霧がかかってきた。少々心細くなってきたので手を合わせて引き返す。


イギリス軍エリアで見つけた第二次世界大戦の全戦死者を弔う墓碑。墓碑銘は「神が知り給うた兵士」

1時間弱、全5エリアでのお参りを終え、保土ヶ谷駅へ向かうバスに乗ったときには雨は上がっていた。


バスの中でこのとき着ていた半袖ワイシャツの左肩口に染みがついているのを発見。
墓地へ行く前にはこの様な染みはついておらず、恐らく墓地の樹木の樹液を取り込んだ雨が肩口についたのであろうと推測。
先の大戦終了後、67年過ぎた今でも世界各地で紛争が耐えないこんにち、何かのメッセージの様にも思えた。

軍民、国籍を問わず、戦火にたおれたすべての方々のご冥福をお祈り申し上げます。

神奈川県横浜市 英連邦戦死者墓地その1

2012-07-25 21:09:41 | 神奈川
7月19日(木)思うことがあって地図上では東海道線が走っているが側線を通り抜けてしまい、横須賀線と湘南新宿ラインしか停車しない


保土ヶ谷駅で下車。

駅東口のバス乗り場1番、2番または7番からバスに乗り、児童遊園地入口というバス停まで210円、20分かけて行き、そこからさらに歩いて10分、午後3時半頃、到着したのは


英連邦戦死者墓地。東京勤務時に訪ねようと思いながら果たせずにいた。


入り口。写真ではわかりづらいが雨がかなり降っていました。


まず最初に記帳所が見えてくる。


入るとセンサーが感知し自動的に灯りがつく。ここで記帳して埋葬エリアへ入ります。

以下次号