カンチャナブリに到着。午後2時30分になっていた。とりあえず今夜の宿探しにゲストハウスの立ち並ぶ川沿いの通りを目指す。
カンチャナブリバスターミナル
ターミナル内売店
バスターミナル内。色とりどりのバスあり。
同待合
結局うろうろしたあげく、ソンテオで移動。満席でステップに立つ。後続車が突っ込んでこないか注意。来ませんでしたが。
連合軍墓地前で下車。宿探しの途上、以前見逃した「泰緬鉄道博物館」に入る。入場料80バーツでコーヒーか紅茶が一杯ついてきます(ただしホットのみ)。この博物館は「泰緬鉄道の技術的解説や、犠牲者の数は連合軍捕虜より東南アジア労務者のほうが多かったなどの客観的事実の展示が」あるなどと旅行ガイドブックに書かれてありましたが違います。少なくとも2008年2月23日時点では、日本人にとって針のムシロでした。前項のJEATH博物館と肩を並べる展示内容です。
博物館の二階喫茶コーナーからホットコーヒーをすすりつつ、連合軍墓地を眺める。館内は撮影禁止でした。やはり捕虜の遺品や鉄道建設のジオラマ模型、当時の映写フィルム(捕虜の犠牲は50%に達したとか何とかナレーション入り)、生々しい蝋人形(前項の第二次大戦博物館のマンガチックなやつではない)による捕虜収容所内での外科手術の様子や病棟で苦しむ負傷捕虜のありさま等、かなりショッキングな内容。
一番ショックだったのは当時の日本軍が発行した捕虜の管理用紙のようなもの。 IMPERIAL JAPANESE ARMY と印刷されたわら半紙にオランダ人の捕虜について「生年月日」「氏名」「父の名」「母の名」「捕獲場所」「連絡先住所」などの記入欄があり、英文で情報が手書きで記入されてあり、更に朱印で「死亡」「打電済」と押印されていた。
博物館を出た後、連合軍共同墓地へ。前項のチョンカイ墓地より規模が大きく、こちらにもやはりイギリス軍、オーストラリア軍、オランダ軍捕虜の方々 約7,000名弱のお墓があるそうです。
地元の方が墓地管理をされておられるようです。
草むしりをしておられました。
市街地にあるため、訪れる人は多いようで、やはり白人の方が圧倒的。ツアーのコースにもなっています。
30分ほど歩いて今夜の宿へ。実は去年11月に来た時に利用したゲストハウス。別のところを探す時間も語学力も度胸も気力もなく安直に決めました。日本人は珍しいのか、なんと顔を覚えていてくれた。エアコン、テレビなし、ホットシャワーつきでコテージ一軒一泊250バーツ(邦貨換算約850円)。去年来たときも飛び込みで泊れたが、今回も飛び込み。
川べりにあって、桜に似た花が満開でした。経営者も気さくで、自然環境も抜群ですが、このゲストハウスの最大の欠点、それは隣にある屋外カラオケ。生バンド演奏でドラム、ベースは低音をずんずん効かせ、エレキギターはギンギンに鳴り響く、これが深夜2時まで営業、酔っ払った地元の方々が大声で歌いまくり、騒ぎまくり。しかも営業終了後、酔いのさめないお客さんが居残って歓声を上げながら盛り上がる。去年泊ったときは、午前3時まで寝れませんでした。逆に昼間はものすごく閑静。
ガイドブックには「川沿いはカラオケボートが深夜まで騒がしいので川からある程度離れた宿の方が良い」という事を書いてある場合もありますが、私は断言します。川沿いどうのこうのより、近くに①カラオケ②バンド演奏のあるバー がないかどうかを確かめるべきです。川を行くカラオケボートはしょっちゅう通りませんし、深夜まで運行はしません。
クワイ河を行く名物 カラオケボート。いつもはタイ人が酔っ払って大声で歌いまくりですがまだ時間が早いのか今日は静かです。(この理由は後で判明)
異国の地にて美しい国、日本を想う。
しばし休息したのち、いよいよクワイ河鉄橋方面へ。続く
カンチャナブリバスターミナル
ターミナル内売店
バスターミナル内。色とりどりのバスあり。
同待合
結局うろうろしたあげく、ソンテオで移動。満席でステップに立つ。後続車が突っ込んでこないか注意。来ませんでしたが。
連合軍墓地前で下車。宿探しの途上、以前見逃した「泰緬鉄道博物館」に入る。入場料80バーツでコーヒーか紅茶が一杯ついてきます(ただしホットのみ)。この博物館は「泰緬鉄道の技術的解説や、犠牲者の数は連合軍捕虜より東南アジア労務者のほうが多かったなどの客観的事実の展示が」あるなどと旅行ガイドブックに書かれてありましたが違います。少なくとも2008年2月23日時点では、日本人にとって針のムシロでした。前項のJEATH博物館と肩を並べる展示内容です。
博物館の二階喫茶コーナーからホットコーヒーをすすりつつ、連合軍墓地を眺める。館内は撮影禁止でした。やはり捕虜の遺品や鉄道建設のジオラマ模型、当時の映写フィルム(捕虜の犠牲は50%に達したとか何とかナレーション入り)、生々しい蝋人形(前項の第二次大戦博物館のマンガチックなやつではない)による捕虜収容所内での外科手術の様子や病棟で苦しむ負傷捕虜のありさま等、かなりショッキングな内容。
一番ショックだったのは当時の日本軍が発行した捕虜の管理用紙のようなもの。 IMPERIAL JAPANESE ARMY と印刷されたわら半紙にオランダ人の捕虜について「生年月日」「氏名」「父の名」「母の名」「捕獲場所」「連絡先住所」などの記入欄があり、英文で情報が手書きで記入されてあり、更に朱印で「死亡」「打電済」と押印されていた。
博物館を出た後、連合軍共同墓地へ。前項のチョンカイ墓地より規模が大きく、こちらにもやはりイギリス軍、オーストラリア軍、オランダ軍捕虜の方々 約7,000名弱のお墓があるそうです。
地元の方が墓地管理をされておられるようです。
草むしりをしておられました。
市街地にあるため、訪れる人は多いようで、やはり白人の方が圧倒的。ツアーのコースにもなっています。
30分ほど歩いて今夜の宿へ。実は去年11月に来た時に利用したゲストハウス。別のところを探す時間も語学力も度胸も気力もなく安直に決めました。日本人は珍しいのか、なんと顔を覚えていてくれた。エアコン、テレビなし、ホットシャワーつきでコテージ一軒一泊250バーツ(邦貨換算約850円)。去年来たときも飛び込みで泊れたが、今回も飛び込み。
川べりにあって、桜に似た花が満開でした。経営者も気さくで、自然環境も抜群ですが、このゲストハウスの最大の欠点、それは隣にある屋外カラオケ。生バンド演奏でドラム、ベースは低音をずんずん効かせ、エレキギターはギンギンに鳴り響く、これが深夜2時まで営業、酔っ払った地元の方々が大声で歌いまくり、騒ぎまくり。しかも営業終了後、酔いのさめないお客さんが居残って歓声を上げながら盛り上がる。去年泊ったときは、午前3時まで寝れませんでした。逆に昼間はものすごく閑静。
ガイドブックには「川沿いはカラオケボートが深夜まで騒がしいので川からある程度離れた宿の方が良い」という事を書いてある場合もありますが、私は断言します。川沿いどうのこうのより、近くに①カラオケ②バンド演奏のあるバー がないかどうかを確かめるべきです。川を行くカラオケボートはしょっちゅう通りませんし、深夜まで運行はしません。
クワイ河を行く名物 カラオケボート。いつもはタイ人が酔っ払って大声で歌いまくりですがまだ時間が早いのか今日は静かです。(この理由は後で判明)
異国の地にて美しい国、日本を想う。
しばし休息したのち、いよいよクワイ河鉄橋方面へ。続く