人馬共に充分休養した新発田、斉藤、小越の府中勢は安田城を発進して次なる敵地、菅名(すがな)の砦に向かった
ここを守備する大将は蔵王堂民部少輔、彼の父は三条の長尾平六郎俊景に味方して、平六郎の黄泉への先駆けとして猛威を振るって討死した蔵王堂式部少輔
息子の民部少輔が父の後を継いで城将となっている
民部少輔もまた父に似て勇気凛々の大将であれば、敵を見ること塵芥のほどに思えば少しも怖れず迎え撃つ
しかし、城兵は安田、村松の落城を逃げ込んできた敗残兵から聞いていて力を落していた。
兵も僅かであり、頼みにしている三条の金津、黒田は一向に救援に来る気配なく「黒田、金津は我らを捨て殺しにするつもりと見える」などと語り合い
「これでは我らもまた全滅の憂き目を見ること疑いなし、ここは降参するのが得策であろう」と大将の居ぬところで衆議一致すれば、たちまち大将民部少輔を取り込めて首を打ち、その首をもって降参した。
此度の小越平左衛門の働き抜群なりと、屋形より感状を賜る
すでに村松、菅名、安田の三城落ちて下郡の交通障害消え去り、自由になったので黒滝、新山に籠る黒田和泉守、金津伊豆守の武威は日ごとに陰りを見せ、もはや討ってでる力もなく、三条に籠る 照田常陸介と互いに力を合わせて敵よせくれば挟み撃ちにせんと構えるばかりである。
さて長尾景虎は、越後守護代の府内長尾家に対抗した三条長尾平六郎を滅ぼし、それに組して景虎の二人の兄を殺した金津、黒田兄弟に味方した者どもを討った
心ならずも兄晴景をも滅ぼすことになり、悔いた景虎は屋形上杉殿、諸将から府内の守護代家を継ぐようにと懇願されるもかたくなに拒み続けていたが、毎日のように入れ替わりたち替わりで言われるので、ついに根負けして、しぶしぶこれを受けて府内長尾家をついだ。
そして府内に入ると直ちに三条一帯に勢を張る照田、金津、黒田の父子を攻め滅ぼす為、出陣の準備に取りかかった。