神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

鬱病の境目

2024年07月14日 19時19分11秒 | うつ病.障碍
抗がん剤治療 一回目 6/14
点滴の副反応は、腕の痛みと手の指先が水に触れると電気が走るピリピリ感が主なものだったが、ここにきて腕はかすかになり、指先のピリピリは水に濡らしていても無くなった。
以上は素人なりに考えてみて点滴薬の副反応だったと思う、点滴は三週間に一回だから日ごとに副反応はひどくなければ日ごとに薄まるのだろう。
あとは毎日、朝夕5錠ずつ飲むゼローダの副反応、それらしい反応は3日目からのふくらはぎの張りだった、家の中で足を引きずって歩いたが、散歩などに出ると普通に歩けるのだった、それも今日は完全に回復して普通になった。
良いことばかりみたいだが、部屋でテレビなど見てじっとしているとやはり「だるさ」を感じる。
一番の問題は、夜中に約50分ごとにトイレに起きる頻尿状態
最初は寝不足はないと言っていたが、昼間、いつの間にかうたた寝してしまうから、やはり完全に睡眠不足だ。
それと感覚も少し違和感が出て来た、貧血っぽい症状も若干ある
ただ一日を通すとそれほど深刻ではない、毎日血圧、体温、体重を計っているが問題はない
血圧は上110前後、下70前後、体温は36度前後、体重が動く、結局夜中の排尿量が1.5Lくらいあるので、その分の増減があるから朝痩せて、夜太る
62㎏から64㎏の間を動いている、それだって考えたら問題ない。
食欲は相変わらず旺盛、体調も前記以外問題ない、あと一週間と少しで一週間の休み期間に入る、それが楽しみだ。

自分はうつ病の人を二人見て来た 30代の男性、20歳の女性である。 10年から30年前の話だ、これについては過去に2回くらい書いている。

最近、身近なところでうつ病の予備軍を見かける
相変わらず元気だった人が、何かのきっかけで不幸な境遇に陥ったり、生活環境に変化が起きた時なりやすい。
これはもともとストレス原因として言われていたことで、引っ越し、結婚、離婚、病気、家族問題、就職、離職、昇進など今までと違う環境になると、ストレスからうつ病になりやすい。
ところがそんな簡単な公式ではない、解決策のない不安に一日中覆われている
不安は心を暗くして、楽しいはずのことをやっていても不安はつねに付きまとっている。
普通の人が「気にするな」「楽しいことをしなさい」「大きな気持ちをもて」「何でもないことで悩んでいるんだよ」などといくら言っても少しも改善しない。

ある知人が、親しくしていた人が次々亡くなってLINEで「結局早く死んだ者が勝ちなんですかねえ」などと送ってくる。
定年退職して自由に暮らしている男なのだから困ってしまう
ただここにきて家庭の不和があってそれが彼の悩みの種であった。
最初は愚痴をなんども聞いていたが、簡単に解決しそうな気がしていた
だが、どんどん夫婦は泥沼にはまっていくようだ、奥さんはきっぱり、彼氏は未練の図、金銭的に困っているわけでもない、だが彼氏を寂しさと不安がどんどん覆い始めている
その挙句のLINEの文句、こうなってからも何度か「寂しい」「死にたい」という言葉が出ていた。
私は「人間は誰でも必ず死ぬ、自分で死ななくても時期が来れば神様が連れて行ってくれるから、それまでは人生を楽しんで生きているのが良い」と返事をしておいた。
それについて感謝の返信が来たが、すぐにその気持ちが変わることは知っている、ただ彼はまだ深刻な鬱ではなく、神頼みに救いを求めている風である
新興宗教ではなく奈良仏教の禅道場に通っている、まだ救いはありそうだ。






「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (139) 長尾家 52

2024年07月14日 09時30分01秒 | 甲越軍記
 これは小者などを使わせたため気を害されたと思い、今一度今度は侍女を彼の若者の若党に遣わせ、丁寧に聞けば
「このお方は館のお部屋様(藤紫)の弟君、原三郎様であると申し捨てて去って行った。

これより、お時の方の胸の中は三郎の面影が全てを占めて心苦しき日々を過ごす
三郎君と言えば名高き御名、越後守護代長尾晴景が寵愛する稀なる御人、いかなる伝手もなく季節は春から夏へと移る
ここに小督(こごう)という目の不自由な女芸人がある
琴、早歌を歌い諸家へ立ち入って芸を披露するが、この日は新発田家に招かれて、内室お時の前で琴を弾き、扇の舞を披露してみせた
そのとき、総金に柳を描いた扇を見ると、何やらの詩歌が書かれてある
あきらかに一首書かれた扇に、ただならぬものを感じて「それを見せて見よ」と言うと、小督は慌てて扇を懐に隠そうとしたのを、無理やりに押さえつけて引き出してみれば
「人ずてにしらせてしがなかくれぬの、みごもりにのみ恋やわたらん」
新古今集、中納言朝忠が恋の歌をしどけなく書かれてある
「これはどなたの形見であるか」と問えば、小督は頬を赤く染めて「神に近い、これは形見などではありません、このほどお部屋(藤紫)の弟君原三郎様邸にて演じた時に、原様が戯れにお書きになり私めに給わられたものでございます」と言った。

これを聞いたお時の方は、これ幸い、渡りに船と小督に胸の内を打ち明けて、三郎との間を取り持ってもらいたいと頼んだ
流石に、事がことであれば小督も五度、六度と断り続けたが、女の執念ついに口説き落とし小督に三郎への恋文を持たせたのであった。

小督は、お時の方より授けられたとおりに細々とお時の胸の内を伝え、文を渡すと、好色な原三郎は拒むことなく受け入れ、その日より幾度となくお時との文の交換は積もっていった。

その頃、お時の夫、新発田尾張守は長尾家の勢として新山砦に出陣していた
「よき折り」と小督を使い、三郎を女装に作り、縫い箔した緋綸子の小袖を打ち重ね、帽子を長く頭を隠し、刀、脇差を琴箱に入れて新発田の屋敷に入ったが誰も三郎を疑うものなく、すんなりと錠口を通過した。
部屋に入ると、腰元たちが三郎を男姿に戻し、内室お時の居間に通す。