神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

健康診断の事

2024年07月11日 18時43分04秒 | 病気と健康
抗がん剤投与 一回目3/14
今日が三日目、吐き気予防のアプレピタントカプセル今日でお終い
抗がん剤ゼローダ朝夕各5錠
今日の体具合 両足ふくらはぎがパンパンで歩くのがロボットのよう、階段を下りるのに注意して下りた。
あと点滴した左手は相変わらずピリピリ感ある、昨日と同じように左腕の背の部分の血管が当たるとピリピリする
右手や肘から方は大丈夫
あとは両手の指先、水道水に当てるとじきにピリピリしてきて通電状態、湯は大丈夫だから手洗いや洗い物は湯でやる
喉は冷たい水を飲むと違和感がある、食べるのやみそ汁などは問題なし、冷たいのが喉にピリピリ来る。
いまのところそのくらいかな、朝畑で少し作業したらふくらはぎの張りが無くなったので、ふくらはぎ対策として散歩をしてきた2500歩、散歩と軽い運動は推奨されている、軽い運動はこれからDIYを軽くやろうと思っている。
そうそう意識だが、表面から一段下の感じ、瞑想状態はたまた座禅状態か、すこしふわふわした感じ。  
食欲旺盛、ご飯も病院食が三食とも普通のご飯だったから体重は退院後最高の63.8㎏になった、前日比1.6㎏増えた、やはりおかゆと野菜の献立とはちがう。以上

今日は昼+1分に震度3の地震があった、久しぶりに強かったが10数秒で終わった、こんな体調の時に避難なんて言われたら目も当てられない
震源は富山湾、わが町からも数十キロ。

さて市の健康診断が明日になった、もちろん今回はパス
とはいえ去年もパスだった、去年は7月から原因不明の微熱が一週間出て、そのあと咳が1か月止まらなかったので、この時も「来ないでください」症状でパスしたのだった。
だからここ4年間で2回受けただけだった、もちろんガンになるなんて思わなかったから肺がん検診(レントゲンのみ)だけ
そもそも80歳まで病気にならないと固く思っていたから、真面目に健康診断を考えなかった
最後に受けた診断で注意があったのは心電図で不完全右足ブロック判定3
それ以外は腹囲が少しだけオーバーだったが、今度のことですっきりしたのは災い転じてであった。
心電図は今度の入院で何度もやっているが何も言われないから大丈夫なんだろう。




「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (136) 長尾家 49

2024年07月11日 11時38分21秒 | 甲越軍記
 柿崎和泉守は家士に策を与えて、幕の後ろに隠して照田将監に使いを出し
「今夜軍議をいたしたく、ご足労願いたい、日頃の疲れを吹き飛ばすために軍議の後一献用意したので、そのつもりでお出かけいただきたい」
将監は柿崎が一物腹に持っているなど露知らず、出かけて来た
和泉守は監物を奥座に招き入れ、盃酒を出し良い酒、良い宴を催した
将監は性質疑い深い者であるから、和泉守は自分の刀を遠くに置いて安心させた
時と共に酒は体を巡り、すっかり監物は酔ってしまった
その時、用事があるかのように和泉守の小姓、橋本義弥が柿崎の背に回り、後ろから刀を蹴飛ばしてしまった体で「申し訳ありませぬ、失礼いたしました」とうやうやしく刀を和泉守の左に差し出した瞬間
和泉守は将監に飛びかかりむんずと取っ組み合う、将監もまた怪力なれば簡単には組み伏せられず上になり下になりの力勝負
されども酒が頭まで回った監物は力尽きるところ上になって首を掻かんとする
「いったい何ゆえの狼藉か」組み敷かれた監物は大声で「和泉守反逆じゃ、皆であえ、と言うと次の間に控えた監物の家臣は「すわ一大事」と腰刀を抜いて主を救いに来るところ、このような事態のためにあらかじめ隠した和泉守の手練れ、どっと出てきて監物の士を取り込めて、一人残らず討ち果たした
和泉守も監物の首を掻き切って、それを包んで軍を率いて照田監物の陣へ向かった。
和泉守の家臣が大音声で監物の家臣に向かい「京の天子様より照田一味を討って、越後の騒乱を鎮めよとの勅諚をうけ賜わった、よって柿崎和泉守、一味の一人照田監物を討ち取った」
そう言って監物の首級を高々と上げてみせた、監物の家臣らは声も無くただ茫然と見つめるだけであった。
和泉守の家臣は続けて、「今後我らは府内の屋形様に監物の首を奉し降参する、汝らはここで降参するならば、その命は助けるが、あくまで抵抗するならば一人残らず滅ぼす、直ちに去就をこの場にて決めるが良い」
いまや大将は首だけになり、その後ろには越後の猛将柿崎が控えている、みな恐れおののいてたちまち降参して下った。
柿崎和泉守はこうした兵を引き連れて府中に参り、屋形に監物の首を奉して降参した。
屋形はこおとのほか喜び、柿崎を許して帰参も許した
柿崎は屋形のご恩に報いるため、兵を返し頚城郡荒井村、猿毛、米村、町田、笠島へ勢を向けた。
また舎弟柿崎弥之助を大将にして家人、長崎主税、山田、山口、藤田に地下人を加え山東郡(三島郡)へ発向させて辺りを切り取った。