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大相撲のケガが多くなった&勝手に力士ランキング

2024年07月19日 16時52分07秒 | 大相撲
 大相撲名古屋場所も既に序盤の5日間が終わった
またしても復活した(ような)照ノ富士がただ一人全勝で突っ走り、横綱の貫録を見せている。 土俵入りの表情もまるで仁王さんか毘沙門天のような迫力を感じる、また体も張りがあって不調な時のプヨプヨした皺が全く見えない
これを見ても体調は最高に近いと見える。

大関はじめ三役陣が全て3勝2敗以下なのだから、照ノ富士以外はドングリの背比べなのは今場所も変わらない
数場所、群を抜いているかに見えた大の里は3敗、琴櫻も2敗で序盤は期待を裏切ったスタートだ
だがまだ10日あるから二桁には乗れるかもしれない、けれども横綱、大関、関脇の対戦がまだない時点でこれだから、また病み上がりの照ノ富士に優勝をさらわれてしまうのか
照ノ富士の相撲が良すぎる、一気に前に出てあっという間に押し出してしまう、膝も腰もどっしりと落しての寄りだ、大の里がやらなければならない相撲なのだが、今場所の大の里は腰が高すぎる。
優勝パレード、祝賀会などに振り回されてけいこ不足もあったのかもしれない
本番は来場所以降に持ち越しだな・・・でも大関足掛かりの二桁勝利はキープしたい。
照ノ富士は横綱の地位をしっかり利用している、どれだけ休んでも陥落は無いから、こうした一年2場所出場で優勝をさらうことができる
これも横綱になったからできることで、誰もがやれるわけではない、いわば努力に対するご褒美と言える、横綱になるのは500人に一人とか5年に一人とか言われるから容易ではない、平成の31年間では10人、令和になって6年で照ノ富士だけだ。

炎鵬が1年2か月ぶりに土俵に立った
十両3枚目の時に脊髄損傷という命に関わる大けがをして7場所を寝たきりで棒に振った、そして今の地位は、相撲界に入門した力士の卵が最初に与えられる序の口13枚目(東18枚目までしかないので、彼の位置は600人ほどいる全力士の下から10番目である。
それでも腐らず辞めず辛抱して戻った根性には頭が下がる、力士になったばかりの時は序の口。序二段、三段目と各段を全勝優勝の21連勝で通過して4場所目には幕下に上がった実力者だった
身長は相撲界でもっとも低い方の167cm100㎏しかないが、最高位幕内4枚目まで上がり大関や三役力士を翻弄した。

幕下を見ていたら今日は一人が膝を打って車いすで運ばれ、もう一人長内という力士は土俵際で一か八かの逆転を狙ったが、相手力士と共に土俵下にダイレクトで転落、背中から落ちて首のあたりを強打、立ち上がれずストレッチャーで運ばれて、そのまま病院へ向かった、首の痛みを訴えている
場合によっては炎鵬の二の舞になる恐れもあるような危険な落ち方であった
朝乃山の大けがの時を思い出した。
あきらかに体(たい)が無ければあきらめて土俵を割った方が良い、無理して大けがすれば1敗で済むところが相撲人生をダメにする場合も起りうる。
豊昇龍も、こんな危険な場面をたびたび見る、「注意1敗、ケガ一生だ」。

超A級 照ノ富士 体調万全の時は無敵
A級 琴櫻 大の里 次の横綱候補
B級 豊昇龍 霧島 熱海富士 平戸海 湘南乃海 王鵬 阿武剋
   伯桜鵬 尊富士 貴景勝 大関または大関候補 優勝の可能性あり 
C級 大栄翔 若元春 高安 豪の山 翔猿 宇良 琴勝峰 欧勝馬
   玉鷲 若隆景 関脇止まりだが大物食い、優勝もありえる
番外 朝乃山は残念だった、これで大関復帰の目は90%ないだろう
   貴景勝も首が悪く、ここらが限界かもしれない
   正代、御嶽海もたまに沸かせるが、もう気力が失せている


ドリフのズンドコ節


「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (144) 長尾家 57

2024年07月19日 08時54分44秒 | 甲越軍記
 この時、府内の大将晴景は二万騎を率いて米山を打ち越えて柿崎の下浜に陣を取り、諸将と軍議しているところに、敗残の兵が続々と落ち延びて来たのを見て持っていた茶碗を思わず落してしまった。
それを見た諸将は大いに呆れて、「大将が臆したのでは、この戦の先行きも見えたも同然だ」と顔を見合わせた。
その時、長尾越前守房景が進み出て、「明日は某が戦を交えて敵の鋭気をくじいて見せようぞ」とこともなげに言った
晴景も諸将も、房景の日頃の勇猛さを知っているので、一時は静まりかえった陣の内も、再び英気が満ち満ちて来た。

長尾越前守は七千騎を率いて、先陣は金子与十郎、二陣に栗崎肥前守として夜明けに出陣したところに、栃尾勢の先陣、宇佐美駿河守、北条丹後守、直江神五郎の勢と鉢合わせとなった。
金子勢はいち早く敵を見つけて、矢種を惜しまず散々に放てば、北条勢はたちまち十二、三騎射倒された
これを見た北条丹後守は鉄砲隊を前に繰り出し反撃する、パラパラと討つほどに金子勢は騎馬兵三十騎ほど将棋倒しに討ち倒れる
ついにこらえきれず後退するところに、宇佐美、直江の兵が五十余人、馬を並べて襲い掛かれば金子勢は押し立てられて退いた

越前守の二の手、栗崎肥前守は策を講じて、攻め急ぐ栃尾勢を待ち受けていた
金子勢を追って来た栃尾勢が迫ると。栗崎肥前守は急に貝を吹くと、六か所に潜んでいた伏兵が一斉に置き上がって挟み打ちにして攻め寄せれば、栃尾勢の死人、負傷者数知れず逃げ腰となる
しかし景虎方はいったんは崩れたかに見えたが、巧妙なる奇襲、正功を巧みに交えた戦法を駆使して、六ケ所の伏兵を逆に襲って散々に切り崩せば、伏兵の頭、年余喜左衛門、岩田弾正、馬島和泉らが取って返し東西南北いずれにても打ちあい、斬り合い、火花を散らして勝敗の行方も見えぬ激しき戦となった
七度、八度と揉み合えば越前守、新手を繰り出し、栃尾方もこれを見て援軍を出す
両陣血眼で相争うところに、突如天が裂けたかのような大雨が寸地の足場もない程に降り落ちれば、互いに戦もならず、それぞれに引き上げ痛み分けとなる