神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

病気の便り

2024年07月20日 20時18分03秒 | 時代検証
 同年代の福井の知人から4年ぶりに手紙が届いた。
越後、北陸路を歩き続けた商売人である、知的でエレガントな人物、達筆で味わいある筆字は「もらってうれしい年賀状」でも紹介した。

内容は廃業の知らせだった、コロナで往来と商売がママならなくなり休業していたが、その間に腎不全や脳梗塞などいくつかの数値が悪化していることがわかり、精密検査で脳動脈瘤も発見されたとのこと。

ようやく商売再開という気運になった頃、長距離運転が不可能になり、さらに悪化した動脈瘤の手術、それで廃業を決めたという
年齢も70代、きっぱりとあきらめたらしい。

毎年楽しみにしていた年賀状が4年間途絶えていたのは、このような事情だったらしい
こうして内情の知らせが届いたことで彼の義理固さが再び蘇った

私も70代半ばで大腸がんが発見された、これまで何一つ不自由がない健康体だったのに、急に私も彼も、同級生も次々と大病を患うようになった
団塊世代は競争世代で、今振り返れば随分と肉体的にも精神的にも無理と我慢をしてきたと思う

40代は我慢の人生から一気に解放されて、毎晩のように飲みに出て梯子酒の御前様それが20年以上も続いた
きっと、その時のツケが今回って来たのだろう
同級生の女友達たちの夫は、私より少し年上の75から80歳前後が多いが、数年前から数人亡くなった。
また60代以後、私のようにガンを患った旅行会メンバーも20人近い仲間の三分の一いる、幸いに再発せず今も元気に暮らしているが
夫婦でガンになったメンバーもいる、ガンが日本人の二人に一人時代と言うが、どうも団塊世代から上が、この数字を押し上げている気がする。


有難や節 - 守屋浩

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (145) 長尾家 58

2024年07月20日 08時52分55秒 | 甲越軍記

 大雨は連日降り続き、三日の間互いに軍を留め置いたが、雨が少し止んだのを見て栃尾勢は下浜に押し寄せた。

大将景虎は、杉原常陸介、須田大炊(おおい)、千坂対馬、北条丹後守を左右に並べ鬨を挙げて鉄砲を激しく撃ちかけた
その煙りの下より、城織部、吉江織部、鬼小島弥太郎、甘粕次郎吉、奈弥辰蔵等が真っ先に進んで突入すれば、晴景勢も槍先を揃えてこれを迎え打った。
互いにしのぎを削り、互角に戦うところ、本庄美作守、柴田因幡守、柿崎和泉守は山手を回り、府内勢の左備えに突如攻めかかる。
泉澤河内守、唐崎佐馬介はここを取られてなるものかと勇を振るいこれに立ち向かう

新発田尾張守、大熊備前守、斉藤下野守は、府内方の大崎筑前守、大河駿河守の備えに討ってかかる。
本庄弥太郎、新津彦ニ郎、五百川縫殿介、丸田左京勢は、松本大隅、上田修理の陣に攻め寄せる

山村若狭守、同右近亮、大熊備前守、竹俣三河守は浜手より波打ち際を回り、長尾越前守の備えに烈風の如く攻めかかれば鉄砲の音、喚き叫ぶ声、荒波の岩にくだけるが大音声
誠に両陣営死力を尽くす大合戦の様相となる、両陣火花を散らし、組み合い、斬り合い、ここを去ってなるものかと意地と意地の戦いは、昨日までの輩なればなおに激しさを増すばかり也

この膠着状態を見て、栃尾の大将景虎十八歳は「我に続け」と真っ先に馬を走らせる、これに従う諸士勇士は大将の勇姿を見て奮い立ち「敵の一人も逃がすまじ」と声を揃えて後に従えば、晴景勢もこれを迎え打つが、景虎勢の勢いはその数十倍にもなって、馬足で蹴倒す、槍で突きまわす、刀で薙ぎ払う
もはや晴景勢は景虎の威の前に総崩れとなり、東西に逃げ出せば、そのわき腹めがけて宇佐美駿河守の一軍、横合いより打ちかかれば晴景勢は七烈八裁に切り崩され、討たれるもの数知れず。

府中の大将晴景は本陣からこれを見るなり、真っ先に逃げ出した
大将が逃げ出すと諸将の備えも崩れ去り、我先に米山目指して山崩れの如く逃げ出した
されども晴景勢の長尾越前守、長尾武蔵守の両陣営だけは崩れることなく、堂々の備えで景虎勢をあしらいながらの見事な殿軍なり
景虎勢引けば、越前守、武蔵守も引き、踏みとどまって幾度の駆け引きをしながら引き退く勇姿は真に天晴である。

 

 

 


3時半に目が覚めて

2024年07月20日 04時11分36秒 | yottin日記
 3時半に目が覚めて眠れなくなった、室温は29度で寝苦しいというわけではないが扇風機では役に立たない「もあ~」としたフェーン現象気味。
不快感在り、エアコンを除湿モードにして扇風機を止める。

扇風機は寝る時につける、「おやすみモード」にする
3/7モードで始まり、寝ているうちに2/7から1/7に弱まっていき、1~2時間後には自動で止まる
人間は寝てしまえば、よほどの暑さ、寒さでなければ、それが気にならず眠れるらしい、寝付くまでが勝負なのだ。

たまに「早すぎる朝」に目が開いて眠れなくなることがある
眠れないときはパッと起きる、無理に寝ようとしても眠れないのはわかっている
眠気が出るまで起きてパソコンをする
音楽を聴いたり、ゲームをしたりとかはしない、完全に目が覚めてしまうから
まだ寝たいという気持ちはあるのだ、だからブログで主に「甲越軍記」を書く
判読しがたい漢字や、言い回しが多い古典を現代文に直す作業は、学校で古典を学んだ経験がない私にはなかなかの作業である。
けれど時間つぶしにはなる、1ページから2ページをかみ砕いて現代語にするには1時間はかかる
それでも今日まで続けて来たから、根気だけはあるようだ
「甲越軍記」は334ページあり、今はようやく176ページに達したから、まだ半ば過ぎでしかない、ここまでで150日弱を要した、だからだいたい1年かかる計算だ。
これに続いて「列戦功記」をも書くことになる、「甲越軍記」は未完成で終わったらしく、それを別人が引き継ぎ「列戦功記」としたようだ
ちょうど川中島決戦のクライマックスで切り替わる。
これが240ページあるから、さらに9か月くらいかかりそうだ。
こんなことを書いていたら、少し瞼が重くなってきた、5時頃から1時間くらい寝られそうだ。


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