神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

嫌いだった病院が好きになって来た

2024年07月27日 17時06分53秒 | 病気と健康
 去る7月2日、6月25日のMRIでの肝臓などへの転移検査結果と9日からの抗がん剤点滴の入院の説明を担当医に聞きに行った
転移は認められなかったので結果は「ステージ3に限り無く近い2」と言うことで、抗がん剤投与は患者の自由意志と言われたが、何もしないで万が一があれば嫌なので承諾した
もっとも抗がん剤投与で転移が100%ないかと言えば、そうでないこともあると医師は言った
あれこれと副反応の危険性を説明したが一度決めたら副反応がゼロでも100でも同じことだと承諾のサインをした、転移の可能性は少なくなるが副反応の危険性は大いにあるのだ、ある意味、コロナワクチンの接種に似ていると思った

その時に、気になっていた足の炎症と虫歯の進行の二つを抗がん剤治療と並行して行う方法を相談した
なにしろ副反応がどうでるか未知なので、判断がつかず困っていたが、医師は2週間後第一回が終わり、一週間の休みに入るタイミングでやればよいと言う
それで二つの科の予約を医師にお願いした、個人で予約するのは時間がかかるから、これは良い考えだった、すぐに両方とも予約してくれた。

そして23日に二つ同時に受診することになった
皮膚科は11時、歯科は11時半とかなり窮屈だ、遅れてしまえば面倒になるのであれこれ考えて、予約時間の1時間前に受付することにした
今までの外科の予約時は、予約時間ピッタリに行っていたが、1時間以上待たされるので、これでは歯科が間に合わなくなると思ったからだ
功を奏して10時半には皮膚科の受診ができて、10分足らずで終わったので、その足で歯科受付に余裕で行った

ところが受付嬢が来て「今日、予約は入ってませんが・・・」という
それで事前にもらっていた予約票を見せたら驚いて「待ってください」と言って医師に相談に行ったようだ
やはり外科担当医師のネームバリューは効き目あって「申し訳ありません、時間がかかりますが宜しいでしょうか」と言うから「ぜんぜん大丈夫ですよ」
ドジャース戦は録画予約しておいたし、ほかに急ぐことも無いから、こんなこともあろうかと小説持参(鬼平犯科帳)で来たから余裕で待っていた。

中に呼ばれて入ると40代くらいの優等生タイプの優しそうな医師だった
一度入院中に手術前の歯のクリーニングをここでしてもらった、そのときかかりつけの歯医者はあるか、治療しているかと聞かれて
どちらもあると答えたのだが、それで「かかりつけでなくてもいいですか」と念を押されたので「外科の先生もどちらでも良いと言われましたがね、やはり副反応がどうなるか不明だったので最悪の時に同じ病院内であればすぐに対処していただけるということで、先生と相談してここに決めたんです」と言ったら安心して納得した。 本当のところ、病院の歯科と、かかりつけの腕前を比較してみたいところもあるのだ。
そもそも町の中の開業医の多くは、この病院のOBが多い、だから病院の医師も対抗心など持たない方が多い。
税務署と会計事務所の関係に似ている。

結局レントゲンを撮って、葉の周囲の様子を見て今後の方針を話し合い、今日は治療しなかった
何しろ3か月に及ぶ抗がん剤投与と副反応の兼ね合いが面倒で、予測ばかりで面倒なのだ
次回の診療日を決めるのも抗がん剤計画の合間にはめていく、しかもお盆休みが挟まるのでなかなか面倒だ
今までは歯の場合だいたい毎週一回の治療だったが、今度は3週間に一度になる、だがそれでもいい、この頃は病院に来て医師や看護師と話すのが楽しい
総合病院と言うのはショッピングセンターみたいにいろいろな科が同居しているので面白いし便利だ
どうも病院の雰囲気は私に合っている、自分の体を考えると、この先も眼科や皮膚科の世話になりそうだし、しばらくは外科とも縁が続く
内科は、かかりつけ医院が二つあるから病院は必要ない、歯科は病院の出来次第でどっちになるかまだ決まらない。




「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (152) 長尾家 65

2024年07月27日 08時05分47秒 | 甲越軍記
長尾晴景の愛妾藤紫は、佞臣徳山右衛門尉、朝倉備中、原掃部ら十五人で城を逃れ出たが一晩中山中をさまよい逃げて、朝になるまで何も食わずにいたので空腹に耐えかねていたところ、山間地の集落を見つけて食べ物を乞う。
されども百姓の中に徳山と原を見知っていたものが居て、たちまち大勢の百姓が竹槍、鎌を携えて取り囲んだ。
「汝らは日頃より、我らを大将の下知と偽って百姓を苦しめたことを忘れたか
そこの女こそ愛妾藤紫であろう、この毒婦めは己の慰みに百姓の夫婦を害した恨み、この場で晴らしてやる、今こそ思い知るが良い」
たちまち百姓らは、それぞれの得物で落ち武者らを打ち据えれば、たちまち六、七人を打ち殺した
徳山と原は藤紫を連れて、這う這うの体で裏山を上って逃げたが
百姓たちは追い上げて追いつき、ついに三人を打ち殺して年月の恨みを晴らしたと喜び勇んで村に帰った。

景虎は諸兵を率いて府内の城に入ると間もなく、府中の屋形に上杉兵庫頭殿をへ参り、太刀と馬を献上すれば、兵庫頭は大いに喜びすぐに当家において長尾の家の家督を継ぐべしと言えども、景虎は、これを固辞して
「某は家督を継ぐために兄晴景を討ったのではありません、晴景は国務を怠り酒色におぼれ長尾の家、越後の国を危うくしたために、諸将が某を旗印として押し立てたまでの事であります
この上、某が長尾家の主となれば、家を横領するために兄に背いて是を討った反逆人と隣国のそしりを受けるは明白であります
すでに目的が果たされたからには、国務を兵庫頭殿にお任せいたします
それよりも優先すべきは、この戦で手柄を立てご苦労した者たちに加恩をお願いいたします」と言うので、兵庫頭もすべてを納得したわけではないが、まずは行賞を行うこととして
まずは青山の城主、山村若狭守の嫡子右京亮を招き、上郡新井の庄、留田、三省、筒井の三か所を賜る
宇佐美駿河守、本庄美作守は毎度粉骨の軍忠を賞して厚く報償を賜い
新発田尾張守、柿崎和泉守、新津彦二郎、直江神五郎、本庄弥太郎繁長、大熊備前守、斉藤下野守、竹俣三河守は軍功甚だ多しとして新地加恩を賜い
奈弥辰蔵は鉄の閂を足で真っ二つにして城門を開け、味方を招き入れた功は古今東西に聞いたこと無しと褒めたたえて恩賞を賜い、更に鐵(くろがね)上野の名を賜う
これを終えて、景虎は栃尾の城に帰還した。

直江神五郎は、この時、山城守兼続と改め、以後この書のいたるところで勇名を輝かせることとなる。