神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

小学校6年生の文集

2024年12月19日 21時07分59秒 | 雑記
 外はパウダーを撒いたように薄く白い世界が広がった
11月末から今日までずっと雨、雪、曇りの灰色の世界、晴天はわずか1日半
去年と比べてもちょっと異常な天候だ、体もなにもかもしけっぽい。

とうとう認知症検査の通知が来た、来年は75歳の免許書き換えだからだ
何よりもその対象年齢になったことが驚きだ、まさか75とはね
ちょっと前までの75歳のイメージはずばり老人だったけど、なってみるとそんな気がしない、だけど去年は温泉で他人の子供に「おじいちゃんが来たよ」と言われたからなあ、まちがいなく老人なんだ
ただ、今は長生きの時代だから75歳は高齢者の中では若いと言われれば若い
ゴルフだって(私はやめたが)バリバリやっているし、いろんなところに出ていくし、私も車の運転なら1日300kmは平気だし
それに80代、90代でも元気な人が大勢いるので、70代ははなたれ小僧なんてよく言われる
今朝も新聞のお悔やみ欄を見たら106歳なんて人もいたから、75なんてほんとはなたれ小僧か・・・

でもねえ、足腰が少しずつだるくなったり、痛くなったりしてきて、今はまた正座が出来なくなっている
歩くには不自由はないのだけどね、どこかどこかが悪くなっていくのは否めない

今日はね、小学校6年生の時の文集を引っ張り出して読んでいました
62年前です、物持ちが良いのが私の特技といいましょうか
人の心の中と言うのはわからないものですが、作文を読むと(ああ、この人にも心や感情があるんだ)と思いますね
おかしな考えですが、モテてモテて困るような美人同級生とか、ちょっとお高く留まっているのだとか、あるいは片思いしたあの子なんかの心の内を見ることができるんですね、作文は
中学時代にちょっと憧れていた女の子は洋画ファンで、私もそうだったから話したいと思ったけど、プライド高そうで近寄りがたく話しかけれなかった
眉毛が濃くて目がぱっちりしていて、えくぼがあってメキシコの少女みたいな雰囲気の子だった
でも今日、その子の作文を読んだら、「私は一年生の時、臆病者で隣の席に座った子にいじめられるような気がして逃げ出したくなった、自転車や自動車が怖くて道路で泣いてみんなに見られて恥ずかしかった」なんて書いてある
まあ小学校一年生の時だからなあ、中学生の時はそんな感じはなかったが、昼休みはいつも独りで月間スクリーンを読んでいた。
小学時代にしろ、すこし心の中を見た気分で今になってもほのぼのする、もう60年以上顔をみてないんだなあ、どこでどうしているのかなあ?
などと、昨日まで何も考えていなかったのに、今さら思い出して懐かしがっている。


愛の讃歌 淡谷のり子


甲越軍記~列戦功記序 信玄、謙信 川中島の大会戦 最終回

2024年12月19日 11時49分47秒 | 甲越軍記
通算278話

すでに上杉方の敗北は定かなり、大将上杉謙信も高梨山の方に逃れていくのを、いよいよ勢い増して武田の精兵は逃げ遅れる越兵を討ち取り、なおも「謙信は高梨山へ逃れていくなり、どこまでも追って謙信の首を得て手柄とせよ」などと言いながら犀川を越えるところに
後の方に一流の旗を川風になびかせて、其の勢およそ一千騎、上杉相伝の龍の丸の備えに押し立てて一隊きぜんと現れる。

遮る武田勢をものともせず、筑摩川のむこうに備えたる信玄の本陣に向かって押し來る
武田の諸兵あっけにとられ「すは高梨山へ逃れし謙信はおとりであったか、謙信は稀代の謀将なり、賢くも後陣に留まり、御旗本に不意を打ち最後の勝負をつけると見たり、御大将の備えこそ危うきなり」と
犀川を越えて謙信を追っていた武田勢は一斉に馬を返し、筑摩川の信玄本陣へとかけ寄せる。

信玄は本陣にあって少しも騒がず、これらの一部始終を見ていたが「今朝、わが几前に打ち込んだ者こそ、まぎれもなき謙信なり、原大隅に打たれて逃げ帰った謙信が敗兵を集めて再び攻め寄せてくるなどあり得ぬ
今、予の陣に向かってくるは謙信にあらず、あの軍勢には必死の勇威は見えるけれど、大将の気配見えず
察するに、あれこそは上杉が秘するところの丸龍の備えであろう、味方の眼を迷わせて謙信を無事に落とさんとする上杉忠義の者の仕業なり
甘粕近江か宇佐美駿河のいずれかであろう
彼らは忠義一徹、命を投げ出して主謙信を助けんと欲すなり、勇士は誰もがかくのごとくありたいもの
敵ながら感ずるに余りあり、我らは既に十分の勝を得た、なんぞ心残りあろうや、かの勢、帰らば帰らせよ」と言って、ただちに太郎義信の陣へ使いをおくり「急ぎ広瀬を渡り、備えを立てるべし」
しかし義信は血気にはやり「敵を眼前に置きながら、むざむざとこれを見送る法のあるべきや」と信玄の命を承服せず
信玄、ふたたび、みたび使者を送るが義信は納得せず、これまた使者を本陣に送る、丸備えの次第に近づくのを見て、信玄は筑摩川を渡って三丁ほど下がって陣を敷く
すでに丸備えの主将が、上杉勢随一の剛将甘粕近江守であることがわかった
群がる敵の中を打ち払い、追い払いながら信玄にむかえども、すでに信玄は川を越えて堅い陣形で備えているのを見て甘粕もこれまでと思い、筑摩川にそって北へと下がりゆく。

静々とそして堂々と引き行く姿は傍らに敵を置くとも見えず
この時、高坂弾正、内藤修理、原昌勝らは信玄から兵をまとめよの命を受けて、散った味方を集めていたが、甘粕の傍若無人の形勢を見て「それ逃すな」と一斉に甘粕勢めがけて駆けだした
我先にと迫り来る敵に、甘粕は少しも慌てず兵を左右に分かち、受けて立つ
甘粕勢より白き陣羽織の騎馬武者三騎現れ、追い來る武田勢を突き伏せ突き伏せて殿の働き、まことに見事なリ
甲兵からさえも「天晴」の声揚るほどの働き、ここに小幡織部正の嫡子、又兵衛尉、今年二十八歳、武勇絶倫の若武者、一騎にて三騎に突きかかり、三方から突きかかる敵に二丁ばかりの間に二騎を突き伏せたり
されども敵も手練れの者なれば、又兵衛も三か所の手傷を負う
敵の残る一騎ははや三丁ほど逃れて行くのを、又兵衛槍を杖としてなおも追いかけるが甚だ危うき
そこに又兵衛の郎党熊井孫四郎がやって来て、「御手こそ大事なれ、某が行って彼の武者を討ち取なり」と駆け出して追いつき
「我主人の名代なり、汝が首を受けにまいった」と言えば、武者は大いに怒り「出過ぎたる小者かな」と槍を繰り出す
熊井はこれを受けて、ねじりまわして突き伏せ、敵の首を獲り又兵衛に首を差し出した。
小幡は大いに喜び、首を持って本陣にはいり信玄これを見聞する
馬場、飫冨、甘利これらの一切を見届けており、詳しく信玄に言上する
信玄は感心して、父虎盛同様に采配を許す、感状に太刀を添えて与える

甘粕近江は、なおも追い來る敵と渡り合い千騎の味方も今や従う者十三騎となり、ようやく犀川を越える
ここで落ち來る臣下を集めて三百騎となる
近江守はその三百騎で川岸に陣を敷き「武田勢来たらばこい、信玄の首掻き切って持ち帰ろうぞ」とうそぶき、近隣の村を放火して回る
甘粕はここに単独で僅か三百の勢で居座っていたが、武田勢が引き上げたので、ようやく善光寺目指して甘粕も引き上げた
越後勢は敗兵をまとめて龍の丸の陣を敷いて越後へと軍旗をあげ、威風堂々と引き上げた
甘粕近江守の見事なる殿軍の姿を、上杉も武田も「萬夫無富の兵とはまさに是を言う」と褒め称えた。

武田勢が討ち取った上杉方の首は三千百余級なれど、上杉方が得た武田方の首も二千八百余級と言う、その数については諸説あり定かではない。

                           終わり

*列戦功記は、川中島の終盤戦からはじまりであるから、物語としてはまだ前編の巻一が終わったばかりである
列戦功記は前編十二巻、後編十二巻で編成されている。

おまけ
甘粕近江守は昭和の戦争前、満州で暗躍して「満州の黒幕」とも言われた甘粕正彦憲兵大尉の祖先です(大杉事件に関わったという)
甘粕大尉の子孫もまた、日本の経済界や政界に名を残しました。