神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

越の国から信州へ③ 富山から長野へ(18号経由)

2024年12月18日 19時18分37秒 | ドライブ
 3本目のルートは雪と夜桜の名所、越後高田経由の国道18号ルート
富山からすべて国道経由で行ってみる
富山市は富山県庁所在地で、金沢の加賀百万石の分家、前田家の居城
人口40万人
ここからはホタルイカが有名な滑川市、蜃気楼とカニの魚津市、名水と黒部峡谷&宇奈月温泉、YKKの黒部市、タラ汁が有名な越中宮崎とほぼ10km間隔で続く国道8号は新潟県に入る。

新潟県最初の町は「一つ家 遊女も寝たり萩と月」松尾芭蕉の句が残る市振(いちぶり)。そして天下の険「親不知」(おやしらず)
セメントの町、青海(おうみ)、ひすいの町糸魚川(いといがわ)、大の里の母校、海洋高校がある能生(のう)はズワイガニで有名
知らぬ人には読みづらい地名が続く
県境から1時間少々で直江津に到着、ここからは佐渡へカーフェリーが行く
直江津からは加賀街道、旧18号、バイパスの山麓線、上越インター直結の18号バイパスの4路線が長野方面に向かう

加賀街道は一番西にある、加賀の殿さまが参勤交代で通ったであろう松並木が僅かに面影を残す
そこから間もなく上杉謙信の居城、春日山城址が右手に見えてくる、林泉寺もある
この道路は間もなく山麓線に合流する。

山麓線に合流すると間もなく右手に上越教育大学が見える
このあたりは広々と開けて左右に飲食店など様々な店がある
やがて右手に上信道の高田インター入り口が見えてくる
そこからは平野の中を走って、やがて旧18号、18号バイパスと合流して1本になる

旧18号は昔からの店、病院、高田駅入り口などが次々と出てきて町の雰囲気である、左には江戸時代の高田城址が見えてくる
高田城址は桜の名所で、特に夜桜は日本三大夜桜と言われる
また時期には蓮の花が、お濠一面に咲き誇る
高田は昔から雪が多く、花街も盛んで冬の風情もある、雁木通りも所々に残るが、中心部はアーケードになった

18号バイパスは高田平野の中を走るが、今は右手側は大きな商業団地的なものが間隔を開けて幾つもできて賑やかである
やがて上越市から妙高市に入ると18号の左手に市街地が広がり、国道292号が長野県飯山市に続く

18号は間もなく市街地を抜けて平野部に入り、新井道の駅が現れる
ここは道の駅の中でも巨大で、飲食店が並び、ホテルもある
上信道の新井SA(スマートインターにもなっている)にもなっていて、どちらからでも利用できる
ここから先は緩やかな上りになって豪雪地帯の赤倉、妙高へと続いていく
高原や別荘地、スキー場、ゴルフ場、温泉の看板が道路の左右に次々と現れる
そして右手に雄大な妙高山が見えてくる
そこを過ぎれば間もなく長野県に入る、長い緩やかにカーブする橋の中間が県境になっている

新潟県の妙高高原からはじまり、長野県へと入って約50kmにわたり高原銀座の様相だ
黒姫高原、斑尾高原、飯綱高原、飯綱東高原、戸隠高原、光が原高原、笹ヶ峰高原、北志賀高原、群馬県へ行く志賀高原、1000~2500mの高原が続く

長野県に入っても148号の大町市付近のように平野が広がることはない
あいかわらず谷あいを国道は進んでいく、ただし148号の姫川渓谷のような断崖の荒々しさはない、ゆったりとした安心感ある山峡だ
長野県初めの町は信濃町、左手に野尻湖、右手に黒姫山が見える
野尻湖は旧跡時代(15000年前あたり)の人類の痕跡が確認され、ここにナウマンゾウが住んでいたこともナウマン博士の研究で分かっている
それらを開設する博物館がある、また夏から秋の野尻湖は避暑地のレジャーでにぎわう
またここは俳人小林一茶のホームタウンでもある、蕎麦とトウモロコシのうまいところでもある。
戸隠高原については何度もこのブログで紹介している

平野部は少ないがなだらかな高地を抜けていく道路が増えてくる
信濃町、隣の牟礼地区から長野市内に入る道路は多い、また信濃町から南東の飯山市へ行く道も何本かある
いずれも信州らしさを味わえる道路ばかりだ
一番西側が戸隠高原を通ってバードラインから善光寺へ抜ける山道
次が飯綱高原から浅川ループラインに出る道
次が国道18号及び並行する上信道、18号は牟礼から善光寺口へ抜けていく近道もある
18号は豊野から一気に長野盆地に入っていき、そこからは善光寺平が開ける
初冬にはりんご一色になる
18号の東には千曲川を越えて国道403号が飯山から中野、小布施、須坂のフルーツラインを貫いて南長野へと出る
ここは真田家の松代町、川中島決戦の舞台でもある。

長野市は長野県庁所在地、人口は36万で富山市よりやや少ない
長野県では松本市と主役を争っている
なんといっても有名なのは善光寺、長野市は門前町、松本市は城下町として栄えた
長野県の地理的には、県庁の長野市は北に寄りすぎている、松本市は長野県の真ん中にある
これは新潟県とも似ている、県庁の新潟市は港で栄えた商業の町だが北に偏りすぎている、第二の都市長岡市は県の中央にあり、関東にも近い城下町
長野県は松本市、新潟県は長岡市に県庁があった方が、広い全県的には便利だと思うがどうして北に偏る町が県庁になっているのか?
長野県の面積は全国4位、新潟県は全国5位でそれぞれ東京都の約5倍、大阪府の7倍である
広いので長野県では最南の飯田市から長野市までは160km以上、新潟県では最西の糸魚川市から新潟市まで170kmととても遠い。

                        おわり






「列戦功記」を現代仕様で書いてみた(4) 甲越 川中島血戦 103

2024年12月18日 05時15分49秒 | 甲越軍記
甲越軍記より277話

今や上杉勢は倍する敵に前後から追いまくられて、心は勇猛に働けども今暁よりの苦戦に疲れた身、一方は新手の正兵一万二千を加えた二万の兵
太刀は折れ、槍はたわみ、大川駿河ら名だたる勇士、七転八倒して討ち死にする
 
上杉の無双の勇士も痛手を受けて引くともなしに跡下がれば、勢いに乗った武田兵は当たるを幸いに殺しまわる、越兵は散々に乱れて総敗軍となり、犀川のほうに雪崩うって逃げてゆく
水に溺れる兵士も数知れず、謙信は馬上にキッと見定めて「戦ももはやこれまで」と迫る敵十三騎を斬り落とし、この早業は人とは思えず敵は恐れて近寄る者なし

謙信、犀川に馬を乗り入れたるを見て、謙信の神業知らぬ新たなる甲兵は一斉に「あれなるは敵の大将上杉謙信に間違いなし、討ち取って手柄とすべし」と一斉にあとを追う
これを見て「スワ御大将の危急なり」と宇野左馬助、和田貴兵衛、打ち合う敵を捨てて謙信の方に馬を走らせる
岸辺に至りて敵を防ぐ間に、謙信ははや対岸に上がって味方の次々に渡り来るを待つ

これを見て長坂入道釣閑の手勢、そこかしこから川を渡って謙信らを取り囲む
謙信は少しも騒がず、三尺六寸の小豆長光の太刀を振りかざし、四方八面に切り伏せて近寄る者は蹴倒し、荒れに荒れて猛勇を振るえば、またもや敵は恐れて近寄る者なし
されど謙信の愛馬放生月毛も朝からの戦に傷を負い、疲れ果てついに立ちすくんで動かざれば、これを見て宇野左馬助、自分の馬に謙信を乗せ、自分は徒歩となって和田貴兵衛とただ二人で謙信の左右に従い高梨山へと引き下がるところ、長坂の兵はなおも追いかけてくるのを宇野左馬助は取って返し、小高き丘にてこれを遮り、奮闘の末に討死する
その隙に謙信は和田喜兵衛を伴って高梨山にかかり静々と引き取られる

長坂の兵士は謙信を討ち漏らしたが、放生月毛の名馬を引き連れて、「これぞ越後の大将、謙信の乗馬なり、追い打ちして奪い取ったり」と声高々に叫んで味方の陣に引き入る。