12月8日の投稿では昭和16年の同日に始まった日本の戦争について書いた
12月8日と言えば、もう一つ私の関心事があった、それは1980年の12月8日
ニューヨークでジョン・レノンが暗殺された日でもある
ジョンは私より10歳上で1940年生まれだから、殺害されたのは40歳の時だった。
もう今は2024年、あと22日で2025年になるから、もうジョンが死んでから44年が過ぎたのだ、二巡目のジョンの人生ももう終わったのだ
私にしてみれば、つい十年前くらい前の出来事にさえ思えるが、今の20代、30代、ましてや10代はビートルズさえ「知らない」という人が多くなった。
無理もない、私が15歳の時には45年前と言えば大正時代中期だから、その頃の浪花節や歌舞伎のスターを知っているかと言われるようなものだ。
初めてビートルズの曲を聞いたのは何度も書いているが、映画「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」を森永製菓だかのコマーシャルにショートカットで出て、それを見た時だ
確か1964年だと思うから中二の時だ(14歳)、そのLPに入っていた「恋する二人」に痺れっぱなしだった、日本でもチャートの一位になった
日本ではその後に「ロックンロールミュージック」が大ヒットした
日本では英米より2年くらいビートルズの人気が出るのが遅れているから、LP
3~4枚分のヒット曲が一気にレコード化されて、ラジオのヒットパレード
「ハローポップス」「9500万人のポピュラーリクエスト」「東芝ヒットパレード」などで上位を独占し続けた
ライバルはアメリカでは全然人気がないのに、なぜか日本では大人気で、ビートルズと争ったベンチャーズ、今でもファンが途切れない。
レコード店へ行って「Meet The Beatles」というLPレコードを買った
これは「ヤア!ヤア!ヤア!」の前のレコードでビートルズのデビュー曲からヒット曲のオンパレードの曲ばかりが並ぶ初期の最高傑作盤だ
この中の「抱きしめたい」がアメリカで爆発的な売り上げをして一躍イギリスのビートルズから世界のビートルズになった瞬間だった。
15歳の時には高校受験で合格して入学までの間の休みに、映画館でイギリスの音楽映画「ポップギア」を見て初めて動いて歌うビートルズを見て、女子のように失神しそうな衝撃を受けた、この映画での曲は「ツィスト&シャウト」と「シーラブズユー」
アニマルズや、ハーマンズハーミッツ、シラブラックなどトップアーティストも出ていたが、まったく衝撃度が違った。
あの日からビートルズにすっぽりハマった、新曲が発売になるたびにレコード店に走った
シングル盤は330円だから買えたが、LP盤は1800円くらいなのでなかなか買えず、高校生になるまで我慢した
18歳から19歳に変わる頃に板前修業に入って住み込みになって、下っ端の時は個人的なプレーヤーやステレオをもてなくて音楽から遠のいた
もっとも私が好きなビートルズの曲も1968年頃には、だんだん凝った曲が多くなって興味が薄れて来た
そして1970年代に入って。やがて解散した、それ以後、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの二人の天才は個々に楽曲製作を始めた
再結成を私は願っていたが、それもならなかった
一番のショックは、ジョンが学生時代に結婚した妻、シンシアと別れて、日本人の前衛芸術家オノ・ヨーコと結婚したことだ
それ以前、ビートルズメンバーがLSDなどの薬物を使用するようになったのもショックだった
ジョンは日本人と結婚するのかと驚いた記憶がある、急にジョンを身近に感じた
ジョンもポールも次々とレコードを発表していったが、私はどちらも1枚ずつしかLPを買っていない
もうカセットテープの時代で、ラジオの音楽番組から録音して聞いたりしていたし、ビートルズとは別物と言う認識だった
それでもジョンの曲は、時々素晴らしいのが発表されて、結構聞いていたのだった。
まさか白昼堂々と暗殺されるなんて考えもしなかった、それも犯人はジョンの大ファンだったというではないか、本当かどうかはわからないが。
今はビートルズのLPも、ほぼ全部そろって時々聴いている
有名になる前の下積み時代のキャバンクラブでの演奏を個人が録音した音質の悪いのをレコード化したのを買ったり
アメリカツアーのコンサート版、とかトニーシェリダンのバックバンドでの曲だとか、いろいろ買い集めて聞いたものだ
先日、ジョンとポールの二人のデビューからジョンの死までの10時間近いインタビュー(関係者への)番組を見た
もう一度すべての手持ちレコードを聞き直したくなった、それと70年代のジョンとポールの評価が高いレコードも買って聞きたくなった。