神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「列戦功記」を現代仕様で書いてみた(1) 甲越 川中島血戦 100

2024年12月13日 18時45分40秒 | 甲越軍記
 武田信玄と上杉謙信は、これまで信州川中島にて数度のにらみ合いを行ったが
信玄は逸る謙信に一度も対抗せず、ただただ備えを堅くしていかなる謙信の挑発にも乗らずにいた
謙信は何度も信玄の陣に攻め寄せようと様子を見るが、鉄壁の守りに隙は無く、無為に攻めれば返り討ちに会う陣形なれば、ついに攻めることならず越後に引き上げるばかりであった。

されども此度は謙信が自らを死地に追いやり、信玄が攻めざるを得ない陣形を先に作った
越後勢は一万三千、甲州勢は二万、数を数えても明らかに甲州勢が有利、信玄は二万を二手に分けて自らは八千で川中島に奇兵を備え、正兵一万二千が謙信が籠る西條山に奇襲をかけて川中島に追い落とし、挟撃する策をとった
山本勘助は二万を一万ずつにするように進言したが、信玄は拒んだ

謙信は名将なれば、海津城の炊煙の盛んなるを見て、武田勢が今夜挟の策をとるを知り、裏をかいて敵が山に攻め寄せるより早く、川中島に密かに下りて
信玄本隊を奇襲した
武田の兵は恐れおののいたが、信玄は少しも慌てず、勘助に命じて鉄壁の陣が前を命じた
勘助は備えを十二段に変化させて先を蓑手に備えて上杉勢を待ち受けた
しかし上杉勢は車懸かりの陣形で、切っ先鋭く神出鬼没に襲い掛かれば、武田の十二段の備えの内、九段まで打ち破られて、信玄の次弟、武田典厩信繁、諸角豊後守、山本勘助、初鹿源五郎はじめ歴戦の勇士らが次々と討ち取られた。

これに勢いを増した上杉勢は、謙信の旗本が信玄の旗本に打ちかかり、其の間に謙信単騎にて信玄を求めて本陣深くまで攻め入った
逃げる信玄は犀川に入り、謙信もまた犀川に追う
謙信は大太刀にて信玄に三太刀、七太刀と打てば、信玄は軍配扇でこれをかわすが傷を負い危うきところに、旗本原大隅守駆け寄り謙信の馬を叩けば、名馬も驚いて深みにはまり謙信は流れに振り落とされる
されど信玄の馬も驚き同じく深みに流されて信玄も流れに落ちる
双方、それぞれに家臣に救い出されて双方に別れるが、怒る謙信はなおも立て直して今度は信玄の嫡子、武田太郎信義に打ちかかり、手傷を負わせるが自らもかすり傷を負う
その後、乱戦のなか謙信は陣中に戻る。
武田勢の残る備えは飫冨三郎兵衛、穴山伊豆守、信玄の旗本本陣の三備えのみとなり風前の灯となる。

さて武田の正兵一万二千は謙信を西條山から追い落とそうと密かに向かったが、陣城はもぬけの殻となっていた
「これはいったいいかに」唖然としてしているところに、川中島の方より、
鯨波の声、鉄砲のうちあう音が山河に響き渡り聞こえれば
「さては謙信めに謀られた、本隊の危機也、急ぎ山を下りよ」と慌て色めき立つ
正兵の諸隊、隊列もなさず大将は元より、騎馬の勇士は一騎駆に山を脱兎のごとく走り下りる
やがて雨宮の渡しに至り、浅瀬を渡り向こう岸をみれば、上杉勢の直江山城守、甘粕近江守の二隊、鉄砲をつるべ打ちに武田勢に向けて放つ
兵は的になって次々と討ち倒され進み兼ねれば、小幡尾張守、大いに怒り
「鉄砲玉など恐れていれば本陣旗本危うからん、当たるも当たらぬもこれ運命なり、死を恐れるな我に続け」と真っ先に川に乗り入れて、低い姿勢で馬を駆けさせれば難なく向こう岸にたどり着き、たちまち上杉の兵、七騎を斬って落とす
これに勢いを得て、真田、馬場、小山田らも真一文字に川を押し渡る



越の国から信州へ① 富山から松本へ

2024年12月13日 06時48分30秒 | ドライブ
 越の国とは現代の北陸三県と新潟県のことを言う
越前福井、越中富山、越後新潟、それに石川県の古国名、加賀と能登を指す
何故福井と富山に挟まれた石川県に「越」がつかないのかわからない
それで調べてみたら、平安時代初期に越前、越中、越後が国名として制定され
越前国は今の福井、石川で、越中国は今の富山県と新潟県の南東部である魚沼郡及び上越地方、そして越後国は今の新潟県長岡市以北から山形県、秋田県だったそうです、「なるほど」
その後、武士による群雄割拠で国の範囲が狭く分割されて、それぞれに能登、加賀などに分割された模様です。

ここでいう越の国は私のテリトリーである富山県と新潟県の南部(長岡市、魚沼郡以南)に限定しています

ここから東京へ車で行く場合、四本の主要道路があります(高速道は今回は入れません)
一本は富山市からの国道41号、二本目は新潟県糸魚川市からの国道148号、三本目は上越市からの国道8号、四本目は長岡市からの国道17号です

国道41号は富山市の日本海沿岸の岩瀬浜へ流れ出る神通川に沿って、岐阜県に上っていく国道です、神通川の雄大な渓谷美を楽しめます
北陸高速道富山インターから41号は直結していて、南に進むとすぐに富山きときと空港の入り口です
中国の主要都市と結ぶ重要な空港ですが、このようにとてもアクセスが便利です、距離にして3kmくらいでしょうか。

国道41号は飛騨街道と呼ばれ、あるいは、ぶり街道でもあります
富山インターから10km大沢野を過ぎたあたりから平野部が終わり、一気に狭い渓谷になります、これが神通峡の始まりです
緑の水をたたえるダムや展望ポイントが幾つも続く風光明媚なルートが10kmほど続きます
そして国道360号との分岐が現れ、もう岐阜県との県境です、41号は左の高山への道をとります
ここから渓谷が狭まり銅山で有名な神岡町に入ります、18kmほど分岐があり国道41号は右方向40kmほどで高山市に入るが、そっちへは行かず左の471号に進む、長野県に入るには高原川沿いのどこちらが近道です
神岡町には神岡城址、宙ドーム神岡があります、ここからも川沿いに道路は平湯温泉に向かう国道ですが狭い
笠ヶ岳の麓に沿っていくと言った方が良いでしょうか、25kmくらいから温泉地帯に入ります、北陸などの高層の観光旅館は少ないですが、日本旅館風の温泉宿が風情を醸し出します
奥飛騨温泉郷から新平湯温泉、平湯温泉まで5kmくらいの温泉地区です
途中、新穂高温泉への分岐もあり、温泉から先には新穂高ロープウェイがあり
西穂高岳の尾根の下まで上がれます、その先の尾根の向こうが上高地です。

国道を平湯温泉に向かって進むと、途中にクマ牧場があります
またこの辺りの宿では飛騨牛が提供されるでしょう?
平湯温泉から多くなカーブが続く上り道を進んでいくと、安房トンネルの入り口に出ます、ここは標高1370mです、ここからは右は高山へ、左は松本への国道158号(野麦街道)
トンネルの長さは4370mだそうです、これができる前は1790mの安房峠の難所を通っていたのです、いまは僅か数分で通過できます(有料)
信州側の出口はすぐに上高地への入り口、釜トンネル入り口につながります
上高地へは今は一般車両は入れませんから、沢渡あたりで停めて専用バスかタクシーで行きます
158号は、上高地入り口トンネルを左に見ながら右の方へ下りて行きます
あとは新島々付近まで雄大で険しくて爽快な国道をくねくねと上り下りしながら下りて行きます
途中、トンネルとトンネルの間から、乗鞍高原(鈴蘭)への分岐もあります
途中には番所大滝など見どころもあります、ここの一ノ瀬園地も良いところです。
昔はスカイラインで乗鞍高原までマイカーで行ったこともありますが、今は自然保護のため一般車交通止めになっています
158号を少し下ると、奈川ダムに出ます、ここからはダム湖が幾つも出てきてきれいです、そこをどんどん下ると道の駅「風穴の里」
そのあたりから平地が始まり20kmほどで松本インターに直結します。
松本から中央道、甲州街道で山梨県経由で首都圏に入って行きます。

まあ富山市から長野県を目指すなら、このコースはかなり遠回りです
高速で新潟県に入ってから長野県に向かったほうがはるかに近いです
但し、ドライブ好き、アドベンチャー好きなら、このコースは面白いです。



ジャンとディーン Jan & Dean/パサディナのおばあちゃん The Little Old Lady (From Pasadena) (1964年)