神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

田舎の町の今

2024年12月04日 16時28分59秒 | 時代検証
 寒くなった、寒くなったがこの三日間は日中は雨が降らないので、散歩をしている
町の中心部を歩いて用足しした、その歩数は4500歩くらいで、最近の私のほぼ定数である
曇り空の中を行ったが、風が冷たくて参った、帰宅してから鼻水が出てしょうがない、これからは無理は禁物だな
体調は良いので、ついついやりすぎるきらいがある。

駅周辺の中心部を我々周辺部の住民は「町」という
「町へ行ってくる」という、たしかにバブルの頃までは「町」だった
市内の富の大部分を町の商店や旦那衆が独占していた
市役所も駅も銀行も郵便局も商店街も映画館もボーリング場も喫茶店も歯医者も、みんな町にあって、私も25歳の時には「町」のスーパーで魚専門のテナント店長だった
魚屋と言えども「町のスーパー」の威力はすさまじく市内の魚専門店で三本の指に入る売り上げをしていた
大晦日には、雁木の中を人が押し競まんじゅうして歩いたのだから、その日だけはアメ横並みの賑わいだった

それが昨日は「町」を歩いたが20分ほどの間にすれ違ったのは2人だけだった
いったい、「町」の人たちはどこへ行ってしまったのだろうか
商店街と言うには・・・いう方が無理か
ただ銀行だけは、この通りに集中しているから多少の出入りはあるが、ほぼ車で来るから、やはり歩行者はいない

ショッピングは、すべて国道沿いに大型店が展開して、大駐車場がいっぱいになっている
これは地方全般の中小都市の平成以降のニュースタイルだ
市は未だ未練なのか、「町」の近代化に力を入れて、新たな箱モノや設備の補助を行っている
だが現実は今言ったとおりだ。 時々テレビの旅ロケが来るが、歯にもの着せない芸能人は「誰かに聞こうにも人がぜんぜんいないですねぇ」と気遣いもせずに、はっきりと言い捨てる、だがその通りだから見ている我々も苦笑いするだけだ。

但し、夜になると、この「町」は元気を取り戻す
飲食店の多くは、この「町」の路地路地にあって、夜の5時間を楽しませてくれる
この「町」も、まだまだ捨てたもんじゃないのだ。





「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(265) 甲越 川中島血戦 92

2024年12月04日 09時18分36秒 | 甲越軍記
 原隼人佐昌勝、武田太郎義信の二備えには、柴田因幡守治時、上田修理進景国の勢が疾風の如く馳向かい
鉄砲の音、地を震い、鬨の声は山を動揺させた
原、武田の備えからも鉄砲を一斉に放ち、黒煙の下からどっと押し出す
中にも柴田の陣からは、永井善右衛門と名乗り、真っ先に躍り出、白地に大鹿を墨黒に描いた袖なし羽織を着し、直槍をあげて近づく騎馬武者三騎をたちまち突き落とし、なおも勇んで突き進む
原の勢からも黒糸縅の具足に火の如く赤き栗毛の馬に乗り、永井をめがけて互いに名乗りを上げ上段下段に受けつ流しつ戦ったが、永井が器量やや勝り、一槍に敵を貫き、首を獲る
これを戦い始めとして、両軍の勇猛竹を破るが如し

戦場は瞬く間に土埃舞い上がり、切っ先より火を放ち、互いに喚く奮声は天地を揺るがす
互いに組みあい、揉みあい、突き合って首を獲る者、取られる者、そこかしこに激しく打ちあう

原隼人佐、大声で味方を励まし、「命を捨てて戦えよ、一歩も退くな、我に続け」と叫んで進み、大太刀を振り回して突撃すれば、敵の騎馬武者十騎ばかりを切って落とす。
柴村一学、油井藤介、同藤大夫、原与左衛門、我一に馬を馳せだし、人を切ること麻を切るより安し
急なる勢いの原勢の快進撃に、さしもの柴田勢も切り崩されて崩壊寸前となるところ、大将柴田因幡守、兵士を叱咤して繰り替え繰り替え切り寄せれば、柴田主水、志駄源四郎、堀江隼人ら勇士も息を吹き返して果敢に攻め入る
原の勢、これに突き崩されて、ついに敗走する

武田太郎義信は上田修理進の勢と入り乱れて戦う
折り重なる死骸の上を、互いの若武者乗り越えてさらに生死を求めて戦えば、いずれの勝か負けかもしれず
太郎義信、二十四歳、父信玄に劣らぬ猛将なれば、退くを知らずただまっしぐらに敵に切りかかる
武田、上田いずれも勇み立てて戦い、この勝負いまだ決着つかず。