神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

太平洋戦争と大東亜戦争が同時に開戦された昭和16年12月8日

2024年12月08日 17時26分13秒 | 時代検証
 わが方面は積雪も無く、雪も降っていませんが長野県北部や群馬、新潟の県境付近は結構な雪が降ったようです
関越道も事故で一時交通止めに、148号も白馬辺りで150cmほど積もったという情報も・・・今年は山雪が早そうです。


 来年は神武天皇即位2685年となる
紀元2600年と云って、日本国中が盛り上がり湧いたという年は西暦1940年、昭和15年のことだった。
そして、その翌年の12月8日、我が国2600年の歴史の中で国家衰退の最大の痛恨、米国相手にハワイ真珠湾を急襲して大戦果をあげて、国中おおいに勇み立つ
3年8か月の太平洋戦争の幕開け
同時にマレー半島沖でもイギリスを相手に戦争を始めて、世界最大級のイギリス戦艦プリンスオブウェールズと巡洋戦艦レパルスを攻撃機で撃沈する
陸軍はイギリス領シンガポール、マレーシア、オランダ領のインドネシア、アメリカが占領していたフィリピンなどに上陸
現在のベトナムを侵略していたフランスは本国政府がドイツに占領されて無抵抗で日本軍に占領地を渡した。

すでに戦闘中だった中国大陸での中国軍との日中戦争と合わせて大東亜戦争が開始された
更に翌年2月空挺隊がオランダ領インドネシアのスマトラ島のパレンバンを急襲して占領、アメリカの禁輸で石油不足の日本念願の一大石油基地を得る。

これが建国以来日の出の勢いだった日本が、国を失う悪夢の始まりであった
結局、戦局が有利に進んだのは昭和16年12月から翌年の前半くらいまでで、ミッドウェーの海戦で、自慢の航空母艦4隻と航空機300機近くとベテランパイロット数百名失う大敗北以来、次第にアメリカ軍は南太平洋インドネシア方面から北上を始めて、日本軍が進駐する諸島を取り返していった
マッカーサー元帥がもっともこだわったフィリピンもレイテ湾海戦で戦艦武蔵など主力艦隊が全滅してアメリカ軍が取り返した。

昭和20年3月には東京大空襲で10万人の東京市民が無残に焼き殺され、東京は廃墟となる
それ以後50を遥かに超える日本の主要都市への爆撃が連日行われ、名古屋などが特に大被害を被った
沖縄は県民を巻き込んだ日本史上初めての市街戦が繰り広げられて、沖縄県民の数十パーセントが逃げ惑って亡くなった悲惨な沖縄戦
戦後もアメリカの占領が続いて、本土復帰したのは1972年5月15日だった
未だに沖縄本島の15%が米軍基地となっている
また辺野古基地の建設など沖縄県との新たな摩擦も起きている。

8月には広島、長崎に原爆投下、原爆の人体実験同然の悪行、市民両都市合わせて20数万人が一瞬で亡くなった、人間が一瞬で蒸発して消えてしまう爆弾など人類史上初めてである
昭和20年(1945年)8月15日、日本は連合軍に無条件降伏、「昭和天皇の責任は問わず」だけは得たが戦争指導者東条英機らは絞首刑に処された。

昭和20年から日本は独立国の地位を失い、アメリカの統治下での暮らしが始まった、そんな中でワンマン宰相と言われた吉田茂首相がGHQ(占領軍司令部=マッカーサー元帥)相手に側近の白洲次郎とタッグを組んで日本の独立に向かって奮闘した
そして昭和27年に日本は独立を果たして国際社会への復帰がなされた
だがアメリカが作った新憲法では民主日本は軍隊を持たないと規定された
それはすなわち日本は日本人自ら国を守る能力がないということになる
そこで日米安全保障条約が締結されて、日本の安全はアメリカが日本に進駐してこれを守るというような意味なのだろう
そして日本は、日本人を守る在日アメリカ軍に対して様々な便宜を図る、日本のアメリカ軍および、その家族や軍属に治外法権の特権を与える協定も結び、現在もなおそれらは効力を持っている
結局1950年に起きた朝鮮戦争で、日本に軍隊が必要と感じたのはアメリカであった、しかし吉田内閣はアメリカがつくった新憲法を盾に軍隊は持たないの一点張りを通した、そして苦肉の策で出来たのが警察予備隊(自衛隊)であった

敗戦からもう80年になる、未だに日本国はアメリカ軍駐屯のまま自由を得ている、多くの日本の若者は日本がアメリカ、ソ連(ロシア)、イギリス、オーストラリア、中国と戦争したことを知らない

敗戦後、軍事から経済にシフトした日本は大成功して、アメリカに肩を並べるほどの経済発展を成し遂げた、勢いのままバブルに突入
実体のない紙切れ経済は膨れ上がって破裂した、あれ以来日本は坂道を転げ落ちて、緩やかに貧しい国になりつつある

アメリカはカオス的な言動と行動のアメリカファーストのトランプが大統領に返り咲いた
脅威が増す中国に対して厳しく当たることが予想されるが石破内閣となった我が国もうかうかしていられないだろう、トランプと良好な関係だった安倍晋三元総理無き今、石破内閣の苦労は計り知れない。

日米安保、アメリカの核の傘の下で自衛隊、海上保安庁の人たちは中国、ロシアからの脅威をぎりぎり防いでいるが、奪われた北方領土は未だ帰らず、竹島は韓国軍が駐留、センガク諸島は近年になって中国が領有権を主張して圧倒的な大型警備艇で圧力をかけている、北朝鮮も拉致問題は解決済みと言って拉致被害者を返す素振りも見せない。

駐留アメリカに守られている現状と(アメリカは無条件に日本を守るとは言っていない)、もしも昭和の戦争が日露戦争のように早期に痛み分けで終わったとして(意味のない推論だが)
軍事大国のまま大日本帝国が今日まで続いていたとしたら・・・
いったいどちらの日本国が今の国民にとって幸せなんだろうかと思うのである。

*昭和の戦争名が大東亜戦争か太平洋戦争か、どっちが正しいという話が時々出てくるが、私は主にアメリカ、オーストラリア、イギリスと太平洋やその島々で戦った戦争を太平洋戦争
インドネシアからシンガポール、ビルマでのイギリス、オランダ、インド軍との戦争を大東亜戦争、そして中国との戦争を日中戦争と分けて考えている
私的には日本は同時に三つの戦争を世界相手に行っていたと思っている。
敗戦の一週間前に満州に攻め込んできて、戦後60万人の日本人をシベリアに連れ去って強制労働を強いて6万とも言われる死者を出したソ連の侵攻はこれら三つの戦争とは別物だと思っている。








「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(269) 甲越 川中島血戦 96

2024年12月08日 10時15分25秒 | 甲越軍記
 川中島の河原のいたるところで甲越の軍勢激しいい戦いを繰り広げている中
越後の大将、上杉謙信の旗本勢は信玄の旗本めがけてまっしぐらに押し出した
信玄の旗本も負けじと鉄砲を放ってこれを真っ向から受け止める
鉄砲の轟音のあと槍衾を作って鬨をあげて迫りくる越後勢に突いて懸かる

信玄、謙信の旗本同士の戦いであるから激しさは烈火の盛んなる如く、火花を散らし切れども突けども互いに一歩も引かず、ここを限りと命を捨てて打ちあう勇士の激しき事

この乱戦の中にあって、謙信は勇み立って敵陣深くまで攻め入る味方の背後を襲われることを案じて、すぐに使い番を呼んで後備えの直江山城守、甘粕近江守の陣に走らせた
「後備えの両将は軽々しく動くことならず、こらえにこらえて味方まことに危うきとなった時にこそ打ち出すべし、それまでは先陣の戦の成り行きを見定めて警固の怠り無きようにすべし」と五度までも使い番を送った。

信玄を討ち取るは此度の一戦以外になし、今日こそ信玄の生首を打ち落とさんと勇んで、自ら馬を駆け巡らせ前戦に進み行き
「これしきの小勢の敵に手間取るとは臆したか、頼みがい無き者どもめ、討死を心掛けて勇み出でよ」と大音声にて叱咤すれば
高梨播磨守、同原二郎、新発田尾張守、宇野佐馬助、岩井弥次郎、鬼小島弥太郎、城織部、長尾七郎、小田切治部少輔、上杉弥五郎、小室平九郎、和田喜兵衛、長尾新九郎をはじめ謙信の旗本諸大将、手練れの勇士ら勇に勇んで得物を手に手に勇み立って武田の旗本に攻め入る

武田の旗本もまた、「いまこそ君恩に報いる時なり、ここを破られればお味方の敗北必至なり、命惜しむな死んで御屋形に報いよ」と一歩もその場を下がらず屍を乗り越えて上杉勢に挑みかかる。
中にも金丸平六郎、横田駿河守、諸我入道、奥美作守、土屋平八郎、栗原藤三郎、窪田助の丞、小山田弥五郎、諏訪越中守、諸角助七郎、山田弥助、吉田左近らをはじめ、強雄無双の勇士ら勇を振るい喚き叫んで討って懸かる
このすさまじき火焔を吐いて襲い来る武田の旗本に、さしもの謙信旗本もこの切っ先に攻め立てられて、しばしひきさがれば、武田勢ますます勢いを増して、越後勢は乱れたつ

本庄源五郎、五百川縫殿助、宇野左馬助踏みとどまり、槍をとって攻め来る敵を七騎突いて落し、穂先も尽き折れれば太刀を抜いて切って回る
鬼小島弥太郎は味方の乱れるを見て討ち死にを志し、武田勢武者二十余人を切り倒しさらに打倒した雑兵は数知れず
その身も手傷を数か所負えども引き下がる様子さらさらなく、なおも信玄を求めて敵中深く入り込めば、武田の旗本、原与左衛門が二十余人に取り囲まれてすでに危うく見えたところに荒川伊豆守、馳せ来て敵を追い立てて、弥太郎を救い出して引き返す

武田勢の勢い、いよいよ激しく越後勢は乱れに乱れて切り崩され、半町ほども引き下がり敗北する
武田勢は勝ちに乗じて大波の如く攻めかかれば、上杉の死者数知れず
ここに越後の参謀、宇佐美駿河守が一千余騎を率いて大塚村に備えしが、旗本勢の崩れるを見て士卒を下知して勝ち誇る武田勢の横合いより騎馬を突き入れる。