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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(272) 甲越 川中島血戦 99

2024年12月12日 10時08分04秒 | 甲越軍記
 謙信、信玄ともに深みにはまり馬より投げ出されるに、上杉方では和田喜兵衛尉が馬を乗り入れて、大隅守の槍を払って謙信を救い、己の馬に乗せ、自らは川を泳いで陸に上がる
武田方には馬の口取りが信玄を助けて、馬を引き上げて信玄を乗せ、双方に引き離れる。

かくて謙信は犀川から上がって見渡せば、日の丸に武田菱の旗を立てたるもとに、大将とおぼしく卯の花縅の鎧に、白星の兜を着し、黒き馬の逞しきに金の馬鎧を着せて、敗軍を集める体を見つけて、太郎か左馬助であろうと思い、たちまち駆けだして「それに控えし大将は誰ぞ」と問えば
彼の大将も「我は信玄が嫡子、太郎義信なり」と名乗って、二尺八寸の太刀を抜き合わせ、互いに馬上の太刀打ち二合、三合と打ちあう
双方、名誉の大将なれども太郎の馬は思うにまかせず、謙信は思いのままに馬を馳せ合わせれば、打ちものの寸伸びに、義信の鎧わたがみの外れ、冠板、弦走りの板、兜の吹き返し、都合十一か所までも謙信の鋭き太刀先で傷つけられ、鎧の隙間に二か所の薄手の手傷を負う
されども謙信もまた草刷り外れに二か所血を引く、されど傷は深からず

すでに組打ちにならんとするところへ、武田方の曽根周防守、梁田弥太夫をはじめ馬回り三十騎ほど駆け付けて謙信に向かえば、謙信もこれまでと近づく敵を三騎切り倒して、雑兵六人に手傷を負わせる
つきそう和田喜兵衛も騎馬の士、二騎を斬って落とせば、これに恐れて敵近寄らざるうちに謙信は静々と馬を返して味方の中に入り給う
まことに鬼神をも取りひしぐべき大将なりと見えたる。

このとき既に武田軍は大敗北となり、これ川中島合戦の半ばにして、これより以下先に、西條山にある高坂、飫冨、馬場、小山田、甘利、真田、相木、芦田ら一万二千の正兵いよいよ川中島の主戦場にまかり出る。

                        甲越軍記 完

*「甲越軍記」は、ここまで三編終了して四編で川中島後半戦に続く予定だったが、選者、速水春暁斎死亡の為ここで終わってしまった
その続編として、選者小沢東陽によって「列戦功記」として続く
その出処原本は何か不明である。
私、yottinは「列戦功記」の序章の川中島決戦後半までを書いて終わろうと思う、それ以後は上杉謙信の養子、上杉景勝と武田信玄の四男、武田勝頼が和睦するまで書かれているが、そこまで書くかどうかはわからない。