昨日(8日)、中村哲氏が無言の帰国。今朝10時すぎ、福岡へ戻ってこられた。福岡空港には九州各地で暮らす多くのアフガニスタンの人達が出迎え、中村氏の死を悼んでいた。今夜は大牟田市のご自宅でご家族と最後のひとときを過ごされる。(なお、告別式は11日午後1時から福岡市中央区のユウベル積善社福岡斎場で執り行われ、お別れ会は来年1月25日に予定されている)
先週末、小国へ向かう途中、朝倉市の「山田堰」へ立ち寄った。中村さんを偲ぶにはここが一番だと思ったからである。「山田堰」は県道386号線と588号線の交差地点にあり、筑後川中流に位置する。今からおよそ230年前、水田に水を引くためにつくられた灌漑設備である。水門部分は、恵蘇八幡宮御陵山から連なる岩盤をくり貫いてつくられており、切貫水門と呼ばれる。また、ここは筑後川が左に緩やかにカーブしているところで、それに斜交するように石畳が築かれている。そのため水はカーブの外側(右岸)に設置されている水門へと流れ込む。流れ込んだ水は、堀川用水を通って田畑へ送られる。平水時は「船通」や「土砂吐」部分を水が流れ、増水時には石畳全体を水が越えるため、堰は守られる仕組みになっている。これほど自然の地形を上手く利用した施設はないということで、5年前、世界灌漑施設遺産に登録されている。山田堰は何度も洪水に遭いながら、先人たちの努力によってほぼ原形をとどめている。(下写真参照)
実際に見てみると、その素晴らしさがわかる。中村氏はこの工法を利用し、大干ばつで苦しむアフガニスタン人のために7年の歳月をかけ、クナール河水系から取水、マルワリード灌漑用水路(25.5km)を完成させた。その後も水路は改良されながら各地に建設され、今では65万人のアフガニスタン人の命の水源となっている。また、用水路沿いには約75万本もの植樹が行われ、ガンベリ沙漠は緑の森へと変わった。これほどの偉業を一人で、しかも紛争地で成し遂げた中村哲氏。偉大としか言いようがない。
しばらくここにいると、何人かの方が訪れた。「ここが山田堰ですか」と尋ねられたりもした。聞き返してみると、”思い”は同じだった。帰り際、道路の向こう側にある恵蘇八幡宮へ。中村さんが亡くなったことを報告し、ご冥福をお祈りした。
撮影日:2019.12.7
山田堰と筑後川
水門入口と石畳
土砂吐
堰図
山田堰土地改良区事務所と水神社本殿 この下に用水路が通っている
案内板の横に見事な大楠
(古賀百工石碑を撮るのを失念)
下から見る こんもりとした森が恵蘇八幡宮御陵山(中央に見えるのが古賀百工の石碑)
恵蘇八幡宮 ご冥福を祈って
《参考資料》
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・【動画あり】先人の知恵、遠い異国でも 朝倉市・山田堰(西日本新聞 2019.12.25)※ドローン撮影、地形がよくわかります