あの衝撃的な出来事から1年。昨日12月4日、中村哲医師が亡くなって1年の日、こちらはまたひとつ年をとった。昨年はお祝いどころではなかったが、昨夜は、NHK福岡の特別番組「理屈やなかろうもん~医師・中村哲73年の軌跡~」を見て、中村さんを偲びながら、ささやかに祝った。
ところで、中村さんは登山が趣味だった。小学1年から20代後半まで古賀市(当時・古賀町)に住んでいた中村さんは、少年時代、宮若市と古賀市の間に位置する、西山(標高644m)を見て、「あの山に登りたい」と話していたという。それで地域の人が西山に連れて行ったのが、中村さんと登山との出会いだったという。西山ではチョウ採集に熱中していたとも。
九大医学部を卒業後、医師になってからも登山は続けていた。1978年、7000m峰のティリチ・ミール登山隊に帯同医師として参加したのも、登山ができるという理由だった。その時の経験が契機となり、1984年、パキスタン・ペシャワールへ赴任。20年以上にわたってハンセン病患者の医療活動や山岳医療に従事。その後、アフガニスタンへ活動の場を移したあと、「100の診療所より1本の用水路を」と、灌漑事業に邁進していく。そして、現地で事業の後継者を育成していた中で凶弾に倒れてしまった。
追悼番組もいろいろ放送されているが、昨夜のNHK福岡の特別番組は、「福岡県で生まれた中村さんが、なぜアフガニスタンに傾注していったのか。親交のあった人々の証言から、その軌跡をたどる」とあるように、「なぜアフガニスタンだったのか」という視点で描かれていた。人を差別することなく、困っている人を助けたい。ただその思いのみ。そこには自然を愛する一人の少年の姿があった。
昨年は居ても立っても居られず、中村さんを偲んで山田堰へ行ったが、来年は西山へ登ってみようと思う。中村さんの原点なる山へ。
写真:「理屈やなかろうもん~医師・中村哲73年の軌跡」より
一番右が中村さん 1000メートルは超えているようだけど、、どこの山かな?
今日(6日)の再放送でもう一度、この場面を見てみると、、
後ろの標識に「船」の文字が、、くじゅう大船山(1786m)だった!
そういえば、1月25日のお別れ会で長男の健さんが、くじゅうに連れていってもらっていたと話されていた。また登りに行こうとも。
1978年、ティリチ・ミール登山隊の帯同医師としてパキスタンへ
ヒンドゥークシュ山脈の最高峰、ティリチ・ミール
※「理屈やなかろうもん~医師・中村哲73年の軌跡~」の再放送は12月6日午後1時05分より(九州沖縄地方のみ)お見逃しの方はぜひ。
※「良心を束ねて河となす~医師・中村哲73年の軌跡~」12月28日 (月)21:00~21:50(前編)22:00~22:49(後編)(ペシャワール会のホームページより。NHKにはまだ掲載されていませんが、もしかすると今回の拡大版かもしれません)