(田舎のパン屋さんの話の続きです。これまでの話はこちら)
その後、「倭名類聚鈔」を隈なく調べると、「安都佐(あずさ)」が出てきた。六巻では長門國の中に「厚狹 安豆佐」と記されていたが、八巻では厚狹郡の中に「厚狹 安都佐」と記されていた。つまり、「安豆佐」は厚狹郡、「安都佐」は厚狹村ということではないだろうか。「豆」を使わず「都」を使ったのは、そこが中心的な地域(まち)だったからではないだろうか。(ここはきちんと調べてみたいところ)ちなみに、厚狭(あさ)と呼ばれるようになったのは中世以降だと言われている。
よもやパン屋さんの店名からふるさとの歴史を調べることになろうとは思わなかったが、おかげで厚狭が安都佐(あずさ)と呼ばれていた時代のことをもっと知りたくなった。田舎の図書館に行って調べてみたいが、行けるか。。
※タイトルは、現在の「狭」を使いました。
倭名類聚鈔・第八
「厚狹 安都佐」を発見! ついでに自分が生まれたところも発見「美」という文字がふたつ、、
倭名類聚鈔20巻・第六
「厚狹 安豆佐」 第八と合わせて見ると郡ということになるのでは?
《参考資料》