先月27日、山田堰のほとりに、中村哲氏の功績をたたえる記念碑が完成したとのことで、大山からの帰路、立ち寄った。杷木ICで降りて、筑後川沿いの386号線を福岡方面へ向かうと、間もなく山田堰(大楠が目印)が見えてくる。記念碑は、その展望広場につくられていた。この日、西日本新聞に記事が掲載されたこともあって、訪れる人の姿が見られた。ご年配の方からお若い方まで様々。
逸る気持ちを抑えて記念碑に向かうと、そこにはにこやかに微笑む中村氏の姿があった。一礼して手を合わせ、ようやく戻って来られたと思った瞬間、目頭が熱くなった。背後には筑後川が流れ、山田堰が水を受けていた。中村氏はこの風景を眺めながら、アフガニスタンの人々に思いを馳せ、その生涯をささげられた。
記念碑には、山田堰の改修に生涯をかけた朝倉市の偉人・古賀百工を偲んで、中村氏が詠まれた句「濁流に 沃野夢見る 河童かな」が刻まれていた。その横には、アフガニスタンの記念塔を模してつくられた石塔が立っていた。そこには座右の銘「照一隅」が刻まれていた。中村氏を偲ぶために多くの人がここを訪れ、朝倉の地から世界へ、その功績は未来永劫、語り継がれていくことだろう。
撮影日:2021.2.28 山田堰展望広場にて
中村哲医師記念碑 石碑と石塔(御影石)
石塔は「ドクターサーブ ナカムラ記念塔」を模してつくられた(写真:ペシャワール会HPより)
石碑 山田堰(カーブ)と筑後川の水の流れ(波)をイメージしているよう
微笑んで、、(黒御影石にレーザー彫刻がされていた)
石塔に「照一隅」(一隅を照らす)
100の診療所より1本の用水路
水の流れる音が聞こえる
山田堰が見える
※山田堰については、こちらに掲載しています。よろしければご覧下さい。(中村哲氏が亡くなった直後に訪れた時のものです)
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・「山田堰」見渡す地に中村哲医師の碑(西日本新聞 2021.2.28)
《参考資料》