背負い富士 (文春文庫)山本 一力文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
やっと1冊読み終えた・・・。なんと約2ヶ月ぶり!
まぁ、サマコンがあったからなぁ~。これからはまた読書に戻ろう。
ところで「ドッカン」ってご存知ですか?今時の女子中高生の言語だそうです。
ドッカン=読書感想文。今朝の「ズームイン」でやっていたけど、中高生は読書が嫌いらしいね。
ドッカンも携帯小説で書くらしい。なんともコメントのしようがない。
素晴らしい本に巡りあえた時の感動、漫画や携帯小説とは較べものにならないのに・・・。
♪「背負い富士」山本一力著 文春文庫
誰でも名前は知っている「清水の次郎長」の生涯を描いた小説だ。
かの清水の次郎長は実際どんな生涯を送ったのか。所詮「ヤクザの親分」が、なんでこんなに日本人の琴線に触れるのか。
僕も次郎長の名前は知っているし、浪花節の「旅ゆけばぁ~、駿河の・・・」の件も聞いた事がある。
でもどんな人物で、どんなことをやって、どんな風に生涯を過ごしたのかは、全く知らない。
山本一力は、これまでの作家がほとんどスポットを当てなかった次郎長の幼年期を克明に書いている。
そしてなぜ米問屋の跡取りとして養子に入ったのに、いつのまに渡世の道に進んだのかも十分に語っている。
次郎長、石松、大政、小政、お蝶、そして筆者の創作人物である音吉の侠気溢れる人生。
江戸末期から明治初期にかけての不安定で不穏な世相の中で、活き々々と目一杯生きた彼らの人生に共感を覚える。
渡世人、侠客、極道・・・、昔と今じゃ全く異なる存在だ。
昔は義理も人情もふんだんにあったんだなぁ。それはそれで良い時代だなぁ。
「清水の次郎長」の素顔に触れることが出来て良かったと思える話だった。
ところで、以前から書いているように、なんでこんなにこの人の書く話は味があるんだろう。
一つ一つのエピソードの区切り(章や段落ごと)で、まるで活動写真(?)の弁士が解説を加えるように、その情景や人物の感情を上手く締めくくっている。
例えば・・・
『晴れた日の九ッ過ぎに、二十四歳の次郎長と十一歳の石松は一本の竿の両端を掴み合った』(次郎長と石松が初めて出会う)
『安政五年の大晦日。お蝶は粉雪のなかを、鈍色の空に向けて飛び立った』(愛妻お蝶の臨終)
『次郎長は長火鉢の前に座り、ひとり酒盛りを始めた。酒に涙がこぼれ落ちた。構わずに飲み干した』(石松の憤死に)
次郎長の想いが僕の胸に迫り、思わず目頭が熱くなった。
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次郎長は明治26年まで生き、晩年は明治政府(官軍)の命により、清水湊付近の沿道警護役まで勤めた。
街道一の男、渡世人である。