次男夫婦をえぼしスキー場に送った後、山元町の震災遺構の中浜小学校に行ってみることにした。
気仙沼や石巻には震災遺構が結構あるが、実は県南の山元町にもあることを知らなかった。
震災当時の中浜小の校長先生が語り部として、その日のことを語りながら案内してくれた。
校舎2階の天井いっぱいまで津波が押し寄せて、屋上に避難したという。
校舎の中はぐちゃぐちゃ。
大震災後に「津波到来10分後、高さ10m」という警報が出た時、校長先生や他の教師の方々は20分かかる高台への避難ではなく、校舎の屋上へ上がることを咄嗟に選んだという。2日前に前兆の大きな地震が来た時に職員会議で万一の時の避難計画を再検討したんだそうだ。
元校長先生は仰った、「たまたま咄嗟の判断をしたが、結果的にはそれが正しかったけれど、逆の結果になっていたかもしれない」…。
災害対応マニュアルは必要だけど、結局はその場での冷静な判断力なんだなぁ。
幸せの黄色いハンカチの元の慰霊碑に、ささやかな祈りを捧げて来た。合掌
幸せの黄色いハンカチの元の慰霊碑に、ささやかな祈りを捧げて来た。合掌