★「明日の記憶」 (荻原浩著 光文社)
先日半年振りにパチンコをやったら、なんと3万円も勝ってしまった。どうせあぶく銭で、財布の中に入れておいても呑み代に消えるので、多少は有益に使おうと家族に少し小遣いをやり、あとは仕事の本と、この「明日の記憶」と「東京タワー」を買った。普段はなかなか単行本は買えない。こんな時こそ高い本を買おう!(まだ1万円あるが、それはやっぱり呑み代に・・・)
この2冊は出版取次業の弟の推薦本。「泣けるよ~!」と薦められた。「明日の記憶」は3日で読んだ。いや~、泣けるというか、私にとっては極めつけのホラーですな。若年性アルツハイマーの話で、確かにラストシーンは主人公が可哀相で目頭が熱くなった。でもそれよりも何よりも、アルツハイマーの初期症状が自分の最近の物忘れに近いものがあって、ぞっとした。
もうしばらく前から、人の名前がすぐに出てこない。特に歌手や俳優などの名前は、もうほとんど一発では言えない。それから隣の部屋に来て、ちょっと別なことを考えると、もう何のためにこの部屋に来たか分からなくなる。もちろんしばらくすると思い出すし、日常生活上とくに支障はないのだが、この状況(症状)が、日に日に進行するのではないかと恐ろしくなる。
この主人公は、人生はフェードアウトではなくカットアウト(突然消える)で終わりたいと切実に願う。しかしそうはいかないのが人生・・・呆けるのは嫌だよなぁ。呆けてしまえば何も分からなくなるから却って楽かもしれないが、この主人公みたいに、だんだん物忘れが激しくなり、その進行状況が自分で分かってしまうというのはとても辛いし残酷だ。「記憶の余命」を宣告されたようなものだから。
最近宗教に興味がでてきた。まあ年齢のせいもあるのだろうが、人間の人生は生まれたときから既に決まっていて、自分ではコントロールできないのではないかと思うようになった。「では俺の人生は、寿命は誰が決めるんだ?」と考えると、「神」に行き着く。般若心経を勉強しようかとか、教会の日曜学校に行ってみようかだとか、なんだか人生の最終ステージに立っているような心もちだ。(宗派に節操がないのは呑む気父さんたる所以なのだが・・・)
主人公の妻は魚が痴呆症に効果があると聞くと、毎日々々魚を食卓に並べるようになる。主人公はうんざりしながらも毎日無理して魚を食べるのだが、この話を家で私の妻にしたら、その晩のおかずは「鯖の味噌煮」だった。人一倍健康に敏感な妻の、せめてもの私の体への気遣いであることは分かっているのだが、その気遣いに苛ついた。「人生なんて自分じゃ変えられない!」と達観したようなことを言いながら、実は人並みに、いやそれ以上に臆病で情けない『生』に固執する自分を見透かされたような気がしたのだ。
出された味噌煮に無言で箸をつけた。「あんまり好きじゃない」と言っては見たものの結構美味かった。その味噌煮を、誰のせいでもない身勝手な苛立ちと共にいつもより呑みすぎのぬる燗で胃袋に流し込んだ。
先日半年振りにパチンコをやったら、なんと3万円も勝ってしまった。どうせあぶく銭で、財布の中に入れておいても呑み代に消えるので、多少は有益に使おうと家族に少し小遣いをやり、あとは仕事の本と、この「明日の記憶」と「東京タワー」を買った。普段はなかなか単行本は買えない。こんな時こそ高い本を買おう!(まだ1万円あるが、それはやっぱり呑み代に・・・)
この2冊は出版取次業の弟の推薦本。「泣けるよ~!」と薦められた。「明日の記憶」は3日で読んだ。いや~、泣けるというか、私にとっては極めつけのホラーですな。若年性アルツハイマーの話で、確かにラストシーンは主人公が可哀相で目頭が熱くなった。でもそれよりも何よりも、アルツハイマーの初期症状が自分の最近の物忘れに近いものがあって、ぞっとした。
もうしばらく前から、人の名前がすぐに出てこない。特に歌手や俳優などの名前は、もうほとんど一発では言えない。それから隣の部屋に来て、ちょっと別なことを考えると、もう何のためにこの部屋に来たか分からなくなる。もちろんしばらくすると思い出すし、日常生活上とくに支障はないのだが、この状況(症状)が、日に日に進行するのではないかと恐ろしくなる。
この主人公は、人生はフェードアウトではなくカットアウト(突然消える)で終わりたいと切実に願う。しかしそうはいかないのが人生・・・呆けるのは嫌だよなぁ。呆けてしまえば何も分からなくなるから却って楽かもしれないが、この主人公みたいに、だんだん物忘れが激しくなり、その進行状況が自分で分かってしまうというのはとても辛いし残酷だ。「記憶の余命」を宣告されたようなものだから。
最近宗教に興味がでてきた。まあ年齢のせいもあるのだろうが、人間の人生は生まれたときから既に決まっていて、自分ではコントロールできないのではないかと思うようになった。「では俺の人生は、寿命は誰が決めるんだ?」と考えると、「神」に行き着く。般若心経を勉強しようかとか、教会の日曜学校に行ってみようかだとか、なんだか人生の最終ステージに立っているような心もちだ。(宗派に節操がないのは呑む気父さんたる所以なのだが・・・)
主人公の妻は魚が痴呆症に効果があると聞くと、毎日々々魚を食卓に並べるようになる。主人公はうんざりしながらも毎日無理して魚を食べるのだが、この話を家で私の妻にしたら、その晩のおかずは「鯖の味噌煮」だった。人一倍健康に敏感な妻の、せめてもの私の体への気遣いであることは分かっているのだが、その気遣いに苛ついた。「人生なんて自分じゃ変えられない!」と達観したようなことを言いながら、実は人並みに、いやそれ以上に臆病で情けない『生』に固執する自分を見透かされたような気がしたのだ。
出された味噌煮に無言で箸をつけた。「あんまり好きじゃない」と言っては見たものの結構美味かった。その味噌煮を、誰のせいでもない身勝手な苛立ちと共にいつもより呑みすぎのぬる燗で胃袋に流し込んだ。