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昨日金曜日は、
ちょっと遠方のふろしき講座でした。
といっても片道4時間くらい。
山梨県の南部町の小学校で、甲府から乗り換えて南へ行ったところです。

南部町の小学校はこれで2度目ですが、
少し北にある身延町の小学校もあったので、
同地域で3回目で、ご縁を感じる。

現在僕が住んでいる日野市は、新選組のふるさとといわれ、
土方歳三の出身地であり、主要隊士が剣術を磨いた道場があった。

その新選組は、甲州鎮撫を命ぜられて甲府へ向かった歴史がある。
実際は途上で撤退をよぎなくされている。

そんな歴史を胸に、甲府へ辿りつくと不思議な感慨を得たりもするが、
僕の出身地浅草、その地の弾左衛門と秦氏の関係、
そして秦氏と日野の高幡不動のつながり、
新選組と弾左衛門の付き合いまで馳せれば、

浅草ー日野ー山梨の絆までも感じてしまう。

僕はどうしても裏道稼業なので、御一新以降の現代日本と対を為して流れたる
江戸のDNA、さらには、どんぐりとはまぐりを拾って暮らしていた
縄文の遺伝子までさかのぼる。

今もなお、河原で葛や竹を採って、うさぎにやったり籠を編んでいるから
数千年、血なのか魂なのか、同じことを繰り返しているのだろうか。

縄文人が土器を焼く以前、器は縄で編んでいた。
きつきつに編めば水さえすくえるわけです。
その後、焼き物を覚えると、昔の縄の器へのオマージュというか
懐古で、縄模様を土器に当てたり、粘土を縄ひも状にしてから
くるくる形成する道程へつながったと聞いたことがある。

縄文人はどんな歩き方だったろうか。
友達に、あみちゃんという素適な女性がおはしましまして、
彼女はあらゆる質問に答えることを仕事にしています。
(アカシックレコードリーダー 玉愛あみ)
この仕事名を付けさせていただいたときからご縁があります。

僕はふろしきを背負うようになってから歩き方が変わり、
二十歳を過ぎてから速く疲れずに忍者走りができるようになったので、
興味本位で「アテクシは過去に忍者だったんかいな?」と聞いてみたところ、
あみちゃんは
「いいえ忍者じゃありません。だけど(過去に)走り方を教えていました。
 なので、できて当然です」という答え。

江戸時代には、神足術など、歩き方や走り方の特殊な術や道があったと聞いたことあるので、
そういう中での流派、一派だったのか。
そこでは飛脚もさることながら、忍者やいわゆる山窩といった
歩きや走りの達人がたとの交流があったかもしれない。

しかし、そういう裏の体育とは、つきつめていけば、
若さゆえの筋肉頼みの力技とは対をなし、
年老いても身体に負担なく、誰でも実用できるものでなければならない。



たとえば忍者は、たとえ怪我をしていても任務を遂行する責と矜持があるから、
完全体でなければ発揮できない体づかいはかえって心許ない。

骨が折れていても、
心が折れていれも、たんたんと粛々と確実に行動を全うするにも
根本はやさしくてシンプルである必要がある。

これは、風呂敷においてもまったくそうで、
いつでも誰でも簡単に再現できて、問題を解決できてこそ
世の中を救うと信じている。

専門的な難しい技を散らして、餅は餅屋としてしまうと
非常時にも困難が生じる。
構造がシンプルで、誰でも修理できる、元に戻せる、
そういう物づくり、街づくりが大切と考えている。

そういう意味で、常識とかけ離れたことは難しくて変わったことなのではなく、
むしろ現在人々が疑わずに行なっていることに、難しさがあふれていて、
実はもっと簡単で理に敵った「裏技」が、あらゆる分野に存在するのではないか。

服やカバンを自分で作る人は少なく、難しい専門技術と捉えられているが、
布を織っている本場のアフリカ、インド、東南アジアでは
その布を切らず縫わずで、ただ結ぶだけで、機能的で多様な展開を遂げている。

山梨から歩き方から、話が広がってしまったが、

今回よかったのは、いつもの早口ではなく
ゆっくりと間をおいて話したことで、
分かりやすさにつながった氣がすることです。

これまでは、たくさんの結び方を実習したいという
サービス精神もあり、時間の都合でせわしなく進みがちでしたが、
伝わらなければ数うっても虚しいので、今後も
なるべくゆっくりと、確実に進めていきたいと思います。

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