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アイヌの団体 先住権の確認求め提訴 全国初(動画)

2020-08-18 | アイヌ民族関連
NHK 2020年8月17日 19時01分

北海道浦幌町のアイヌの団体が川でサケをとることは先住民の権利・先住権によって認められ法律などで規制されないことの確認を求める訴えを札幌地方裁判所に起こしました。代理人の弁護士によりますとアイヌの人たちによる先住権の確認を求める訴えは全国で初めてだということです。
札幌地方裁判所に訴えを起こしたのは、浦幌町のアイヌの団体、「ラポロアイヌネイション」です。漁業権を持たずに川でサケ漁を行うことは水産資源保護法や北海道の規則などで禁じられていますが、訴えによりますと原告側は、地元の川でサケをとることは先住民の権利・先住権によって認められるとして国や道に対し浦幌十勝川の河口から、4キロの間で法律などで規制されないことの確認を求めています。
さらに明治政府が漁を禁じるまでアイヌはそれぞれの集落で伝統の方法によって漁をしていたことなどを指摘し、「アイヌのサケ漁を禁止する法的な根拠は現在に至るまで全く明らかになっていない」と主張しています。
代理人の弁護士によりますとアイヌの人たちによる先住権の確認を求める訴えは全国で初めてだということです。
記者会見で、「ラポロアイヌネイション」の長根弘喜会長は「私たちアイヌがもともと持っていた権利を取り戻すための裁判だ。自分たちでとったサケで生計をたてるという目標のため頑張りたい」と述べました。
提訴について被告の国と道は、「訴状が届いていないので現時点でコメントできない」としています。
現在は行政の許可得る必要
アイヌの人たちにとってサケは大量にとれることから重要な食料であると同時にアイヌ語でカムイチェプ=「神の魚」と呼ばれるほど特別な存在とされています。
しかし、明治以降、政府により、各地で河川でのサケ漁は禁じられ、飢えに苦しむ人が出るなどアイヌの生活に大きな影響を及ぼしました。
いまでは儀式に使うため伝統的な方法で河川でサケをとることがありますが、法律と道の規則に基づき行政から許可を得なければできません。
去年、アイヌを「先住民族」と明記したアイヌ施策推進法が施行され、伝統的な漁法の継承のため、特別な配慮をするとし、手続きの緩和は図られましたが、依然として許可が必要な状況に変わりはありません。
この状況に対してアイヌの人たちからは批判する声が出てきていて先住権を訴えようと去年、紋別市のアイヌの男性があえて無許可で漁を行ったケースもありました。
その後、男性は書類送検され、不起訴処分となっています。起訴猶予とみられます。
国際社会からも指摘が出ています。おととしスイスのジュネーブで開かれた、国連の人種差別撤廃条約委員会では、日本政府に対し、天然資源や土地に関する権利が十分に保障されていないとし、改善を求める勧告を出しました。こうした中、今回の裁判は先住民の権利をどのように保障していくか、議論を呼びそうです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200817/k10012571051000.html

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サケ捕獲権確認求め提訴 アイヌ民族団体―札幌地裁

2020-08-18 | アイヌ民族関連
JIJI.COM 2020年08月17日18時14分
 サケの捕獲は先住民族が持つ「先住権」の一部だとして、北海道浦幌町のアイヌ民族団体は17日、国と道知事を相手に、浦幌十勝川河口部でのサケの捕獲権があることの確認を求める訴訟を札幌地裁に起こした。
 訴状などによると、原告の「ラポロアイヌネイション」のメンバーは、浦幌十勝川周辺に存在していたアイヌ小集団の構成員の子孫らで、小集団はサケなどの自然資源を利用していた。
 サケ捕獲は水産資源保護法などで禁止されており、アイヌ民族は文化的伝承などの目的に限って一部のみ認められている。原告側は、生活のためのサケ捕獲権を小集団から引き継いでおり、個人ではなく集団として捕獲権を有すると主張している。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081700783&g=soc

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「ゴールデンカムイ」第3期、樺太アイヌの少女・エノノカ役に市ノ瀬加那

2020-08-18 | アイヌ民族関連
コミックナタリー 2020年8月17日 18:00
野田サトル原作によるTVアニメ「ゴールデンカムイ」第3期の追加キャストが明らかに。樺太アイヌの少女・エノノカ役を市ノ瀬加那が演じる。
市ノ瀬からはコメントが到着。「エノノカちゃんは等身大の可愛らしい一面から小さいのにしっかりした一面もある女の子です。色んな一面を持ったエノノカちゃんを演じさせて頂けて楽しいです」と語っている。
「ゴールデンカムイ」はゴールドラッシュに湧いた明治後期の北海道を舞台に、アイヌが遺した莫大な埋蔵金を狙う、元軍人の“不死身の杉元”と、アイヌの少女・アシリパを軸に描く冒険活劇。TVアニメ第3期では、離別したアシリパとの再会を誓う杉元が、極寒の地で新たな局面を迎える“樺太編”が開幕する。10月にTOKYO MX、読売テレビ、札幌テレビ、BS11にて放送スタート。
市ノ瀬加那(エノノカ役)コメント

市ノ瀬加那[拡大]
エノノカちゃんは等身大の可愛らしい一面から小さいのにしっかりした一面もある女の子です。
色んな一面を持ったエノノカちゃんを演じさせて頂けて楽しいです。
1話1話しっかり向き合いながら演じさせて頂きます。
個人的にチカパシとのコンビが可愛くて大好きなので
ぜひオンエアでチェックしてみて下さい!
三期目、より多くの方々に楽しんでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします!
https://natalie.mu/comic/news/392389

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市ノ瀬加那『ゴールデンカムイ』第3期に出演 樺太アイヌの少女・エノノカ役

2020-08-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/17 18:00

 10月放送のテレビアニメ『ゴールデンカムイ』第3期の新キャラクター&キャスト情報が17日、発表された。樺太アイヌの少女・エノノカ役を市ノ瀬加那が担当する、
市ノ瀬は「エノノカちゃんは等身大の可愛らしい一面から小さいのにしっかりした一面もある女の子です。色んな一面を持ったエノノカちゃんを演じさせて頂けて楽しいです。1話1話しっかり向き合いながら演じさせて頂きます。個人的にチカパシとのコンビが可愛くて大好きなのでぜひオンエアでチェックしてみて下さい!三期目、より多くの方々に楽しんでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします!」とコメントを寄せた。
 『ゴールデンカムイ』は、明治時代の北海道を舞台にし、アイヌが遺したという大金を手に入れるため、元兵士の杉元佐一がアイヌの少女・アシリパと行動をともにし、一攫千金を夢みるサバイバルストーリー。原作漫画が2014年から『週刊ヤングジャンプ』で連載がスタートし、『マンガ大賞』など数々の漫画賞を受賞。コミックスは累計1300万部突破しており、テレビアニメが18年4月~6月に第1期、同年10月~12月に第2期が放送された。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/451137

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武装集団が先住民族40世帯を襲撃、家屋焼き尽くす グアテマラ

2020-08-18 | 先住民族関連
AFPBBNEWS 2020年8月17日 20:13 発信地:グアテマラ市/グアテマラ [ グアテマラ 中南米 ]
グアテマラ・アルタベラパス県の先住民族の村(2018年12月15日撮影、資料写真)。(c)JOHAN ORDONEZ / AFP
【8月17日 AFP】グアテマラ中部にある先住民族の村が16日、武装集団に襲撃され、40世帯の家屋が焼き尽くされた。
 当局によると、首都グアテマラ市の北方約120キロに位置するアルタベラパス(Alta Verapaz)県クビルグイツ(Cubilguitz)町内のバルバツル(Balbatzul)村に早朝、武装集団が侵入。村にはマヤ(Maya)系先住民のケクチ(Q'eqchi)人が暮らしている。
 政府報道官によると、警察は襲撃に関する通報を受けて警官らを村に派遣したが、現場ではすでに40世帯が襲撃されていたという。
 農民統一委員会(CUC)のダニエル・パスクアル(Daniel Pascual)氏によると、違法な武装集団が農業を営む40世帯を暴力的に家から追い出し、その家屋を焼き払ったという。
 グアテマラのアレハンドロ・ジャマテイ(Alejandro Giammattei)大統領は、警察などが現場を捜査していると発表した。(c)AFP
https://www.afpbb.com/articles/-/3299583

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アイヌの権利とは何か テッサ・モーリス=スズキ、市川守弘著、北大開示文書研究会編  

2020-08-17 | アイヌ民族関連
東京新聞 2020年8月16日 07時00分

◆「聞かない」政府を批判
[評]松村洋(音楽評論家)
 今年七月に開業した北海道白老町の国立アイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」では、アイヌの伝統的な歌や踊りを鑑賞できる。アイヌ歌謡に興味がある私には気になる場所だ。しかし、そこは本当にアイヌと和人(非アイヌの日本人)の共生実現に資する空間なのだろうか。
 本書で、テッサ・モーリス=スズキは、ウポポイ建設に至る歴史をたどり、日本政府の姿勢を厳しく批判している。政府はアイヌを先住民族と認めたが、先住権(=自然資源などの利用に関する諸権利)は認めず、アイヌの集団が自律的に暮らす道を否定した。そのうえで伝統的な文化だけを切り取って巧妙なイメージ操作を施し、東京五輪に合わせて造られたウポポイで観光に利用するといったことでよいのか、と彼女は問う。挙げられているオーストラリアなどの事例と比べると、日本政府のごまかしは明白だ。
 さらに市川守弘は「先住民族の権利に関する国際連合宣言」と照らし合わせつつ、日本の法律の不備を明確に指摘している。本書の重要なテーマのひとつであるアイヌ遺骨問題の本質もよくわかる。
 ウポポイには、人類学者らが学術資料として収集し、大学などに保管していたアイヌの遺骨千二百体以上が納められた。収集された遺骨の大半は、アイヌに返されていない。これでは遺骨を墓から持ち去った学者の責任があいまいにされ、今後も先祖が研究資料にされかねない。浦幌アイヌ協会前会長の差間(さしま)正樹氏は、そんな危惧を表明している。エンチウ(=樺太アイヌ)の母を持つ楢木貴美子氏は「人は亡くなったら土に返してあげる」のが「人の道だと信じています」と語る。だが、政府はそういう優しい心の声を一向に聞こうとしない。
 モーリス=スズキは、まず「聞く」ことの大切さを説く。先住民族の体験談や意見や提言をマジョリティ側の人間がよく聞き、深く理解してこそ「和解」や「共生」が始まる、という指摘は重要だ。アイヌの主張に耳を傾けるのは、もちろん善意の行為などではなく、和人の義務であろう。
(かもがわ出版・2200円)
<モーリス=スズキ> 1951年生まれ。オーストラリア国立大名誉教授。市川 1954年生まれ。弁護士。
◆もう1冊 
植木哲也著『新版 学問の暴力 アイヌ墓地はなぜあばかれたか』(春風社)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/49105

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ウポポイ開業1カ月 アイヌ民族への理解広めたい 苫小牧報道部・斎藤佑樹

2020-08-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/16 10:50
 7月12日に胆振管内白老町にアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業して、1カ月がたった。入場者数を制限したり、体験プログラムの実施を見合わせたりと、新型コロナウイルス感染拡大の影響で制約は生じたものの、連日多くの来場者が訪れている。一方でその間、会員制交流サイト(SNS)ではアイヌ民族に批判的な投稿が噴出。閣僚から、アイヌ民族が差別されてきた歴史を正確に認識していないと取れる発言が飛び出すなど、課題も浮かび上がった。ウポポイ開業の背景となった「存立の危機」にあるアイヌ文化を復興・発展させるためにも、アイヌ民族の文化や歴史について正しい理解を広め、新たな時代を築く必要がある。
 記者は24歳。札幌出身だが、周りにアイヌ関係者の知り合いはおらず、恥ずかしながら、アイヌ文化の知識は教科書レベルだ。4月にウポポイの担当になり、地元のアイヌ協会関係者やウポポイを運営するアイヌ民族文化財団(札幌)を取材しているが、アイヌ民族の風習や祭事について基本的なことを聞いたり、アイヌ語表記の意味を何度も確認したりと、迷惑をかけた。
 知識が乏しい中で、ウポポイ開業の取材を担うことに責任を感じたが、同じようにアイヌ文化をよく知らない読者に、興味を持ってもらえるような記事を書くことを目標にした。
 取材する中で、アイヌ文化をさまざまな形で広めようと尽力する人たちに出会った。町内でアイヌ文様の刺しゅうサークルを主宰する女性や、シカ肉を使った商品を開発した若者、ウポポイで舞踊を担当する財団の女性職員―。中でも白老出身でアイヌ民族にルーツがあるという20代の女性職員が、「アイヌの文化や歴史を責任を持って伝えたい」と語ったことに感銘を受けた。
 同世代の若者が自分の起源と真正面に向き合い、発信しようとしている。こうした思いを多くの人に届けなければならないと思った。
 ウポポイを訪れた小学生を取材すると、「踊りがかっこよかった」「刺しゅうの技術がすごかった」と、多くの子どもたちがアイヌ文化に興味を持っていた。
 ウポポイではアイヌ民族に伝わる創世神話の映像を投映するプロジェクションマッピングが行われ、お土産にアイヌ文様のおしゃれな小物が並ぶなど、アイヌ文化に関心を抱くきっかけが多くある。アイヌ文化の伝承につながる新たな可能性を感じた。
 一方で開業と同時期にSNS上では、アイヌ民族への差別的な主張やウポポイに対する批判的な意見が相次いだ。「アイヌ(民族の)利権だ」「踊りや展示はうそだ」といった投稿だ。同化政策が進んだ明治時代以降、国がサケ漁やシカ猟、アイヌ民族の風習を禁じ、差別や格差を生んだ歴史が正しく伝わっておらず、誤った認識につながっているのではと疑問が湧いた。
 開業直前の7月10日には、記者会見で萩生田光一文部科学相が「原住民と開拓する人の間で価値観の違いがきっとあったと思うが、それを差別という言葉でひとくくりにすることがアイヌ文化の伝承のためにいいかどうか」と、差別の歴史を発信することに消極的な姿勢を示した。ウポポイを管轄する省庁のトップですら、この認識なのかと落胆した。
 社会がこうした認識を改め、ウポポイが目指す「民族共生」を実現するためには、若い世代がアイヌ文化に関心を持ち、次代に伝承する必要がある。国にはウポポイをうまく活用し、文化のみならず、苦難の歴史を正しく伝える取り組みを求めたい。
 報道する側も、ウポポイで活動する人やアイヌ文化を普及しようと尽力する関係者の思いを丁寧に取材し、伝えていく責任の一端を担っているのだと、思いを新たにした。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/450847

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ウポポイ、チセ復元着々 建築作業を一般公開 白老

2020-08-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/16 05:00

ウポポイで復元作業が進むチセ=7日
 【白老】胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」で、アイヌ民族の伝統的な家屋(チセ)の建築作業が一般公開されている。今は屋根のかやぶき作業などが進められ、今年10月に見込まれる完成後は新築を祝う伝統儀式「チセノミ」を行う。
 チセの多くは長方形の平屋だが、地域によってカヤやササなど材料が異なり、窓の数や方角など構造も特色がある。ウポポイでは白老で昭和初期に使われていたかやぶきのチセを復元している。
 建築作業は今年4月、「伝統的コタン(集落)」の区画で始まった。約30平方メートルの一間(ひとま)で、中央にいろりが設けられる。祭具の出し入れなど特別な時にだけ使われるカムイプヤラ(神窓)は東側に一つ、普段使う窓は漁獲した魚を運び入れやすくするという伝統を踏まえ、海の方角に当たる南側に二つ設置する。
 柱や梁(はり)に使うクリやマツの木は白老町内から、屋根や壁に使うカヤは胆振管内から調達した。チセの周りにはヌサ(祭壇)や伝統儀式イヨマンテ(クマの霊送り)に必要な子グマを飼育するための木の檻(おり)も再現した。
 ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団(札幌)の野本正博文化振興部長は「チセはアイヌ文化を間近に感じられる象徴的な建物。建築の様子を通じてアイヌ民族がどのように生活してきたかを知ってほしい」と話している。(斎藤佑樹)
◆「カムイプヤラ」の「ラ」は小さい字。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/450804

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戦後75年の北海道 平和と共生の未来を築く

2020-08-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/16 11:08 更新
 あの大戦は、北海道にも大きな影を落とした。
 道内各地で空襲の被害を受け、多くの犠牲者を出した。沈められた船もある。沖縄戦の犠牲者数は、沖縄県に次いで北海道が多い。
 戦争末期に旧ソ連が侵攻した北方四島は、今も不法占拠が続く。長年の返還運動にもかかわらず、北方領土問題は未解決である。
 北海道は国家間、あるいは異なる政治体制間の対立の最前線となった。戦争がもたらした現実に揺れ続けた75年間だったと言える。
 二度と戦争をしてはならない。それが道民共通の思いだろう。
 戦後復興の経験を基盤として、争いを越えた平和な社会を、北海道の地から構築したい。人々の相互理解に基づく共生の理念を具体的な形に表し、将来の世代へ引き継ぐことが大事だ。
■負の遺産の影響濃く
 75年前のきょう、旧ソ連の指導者スターリンがトルーマン米大統領に書簡を発出した。全千島列島に加え留萌と釧路を結ぶ線以北の北海道の占領を要求する内容だ。
 トルーマンは千島については同意し、北海道北部占領は拒否する。北海道の「戦後」の始まりには、南北朝鮮や旧東西ドイツのような分断の危機があった。
 その後も試練は続く。平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すと明記した日ソ共同宣言を経つつ、日本は国後、択捉両島を含む四島返還を主張し続けた。
 ロシア側は強硬姿勢で応じる。背景には、2千万人もの犠牲者を出した戦争の苦い記憶と国民世論への配慮がある。冷戦期を含めた強固な日米連携も不都合だった。
 北方領土は「日本固有の領土」でありながら、施政権が及ばないという矛盾を抱えつつ、存在し続けることになる。
 帰郷の日を思いながら返還運動を先導してきた元島民は、交渉のたびに期待と落胆を繰り返した。周辺海域の漁業は厳しく制限され、日本漁船の拿捕(だほ)も相次いだ。
 北海道の東部に戦後が色濃く残った責任は国にある。ロシアとの交渉を立て直し、解決の糸口をつかまなくてはならない。
■転換期経て模索の時
 1951年に策定された北海道総合開発計画は「戦後四つの島にとじこめられたわが国において、豊富なる未開発資源と広大なる地域を有する北海道」と表現した。
 その開発は経済自立、人口問題解決、国民の士気の観点から「絶対推進すべきことがら」とされ、農林水産業、石炭、鉄鋼などの産業基盤や鉄道網の整備が進んだ。
 しかし、石油危機などに伴う構造転換で、道内経済も打撃を受ける。北海道拓殖銀行の破綻や道開発庁の廃止は転機を象徴した。
 地域の産業の衰退により、人口減少が進み、過疎化が深刻な地域が目立つ。観光やITなどの産業が育ち、国策に頼る経済からの脱却も図られた。
 こう見ると、北海道の戦後はおおむね四半世紀ごとに、発展期、転換期、模索期に区分できよう。
 いま北海道は、日本の持続可能な経済社会づくりを先導する役割を期待される。海外からのリゾート投資や、太陽光や風力といった再生可能エネルギーの開発など、注目される動きが出ている。
 次の25年、さらにはその先の将来に向けて、どのような北海道像を描くかが問われている。
■信頼関係積み重ねを
 胆振管内白老町に「民族共生象徴空間」(ウポポイ)が開設されたことは大きな意味を持とう。
 博物館の展示を見ると、アイヌ民族が北海道、樺太(サハリン)、千島列島などの地域においていかに長い歴史を有しているかが分かる。それに比べれば、戦後の75年間はわずかな期間にすぎない。
 この間、道民の多くが経済の発展に目を奪われ、古くからある重要なテーマにきちんと取り組んでこなかったのではないか。
 伝統文化の保存、振興とともに権利回復の議論も前進させなければならない。これから北海道が進む道に「共生」は不可欠だ。
 ロシアとの関係にも同様のことが言えそうだ。
 たとえ領土問題が決着したとしても、ロシア人は隣人であり続ける。主権を侵さない形で、両国関係が流動化しても揺るがない、住民レベルの信頼関係を積み重ねることは可能だろう。
 新型コロナの影響でビザなし交流が中止になるなどの影響も出ているが、絆をつなぎ留めたい。
 国連難民高等弁務官としてイラク国内のクルド人救援などに携わった緒方貞子さんは、文化や社会的習慣が異なる集団同士の紛争を防ぐには「共存する経験をつくっていくしかない」と語った。
 人々を分断する線を取り払い、人的交流や経済協力、資源管理などを通して相互理解を深めることが、恒久的な平和につながる。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/450792

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トナカイの放牧に立ちはだかる気候変動 スウェーデン

2020-08-17 | 先住民族関連
AFPBB News 8/16(日) 9:05配信
スウェーデン北部の町エルンシェルツビク近郊で、移動中のトナカイの群れ(2020年2月4日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】冬に餌を求めてトナカイを移動させる遊牧民にとって、かつて一番心配していたのはトナカイを襲うオオヤマネコ、クズリ、ワシの存在だった。
 だが、気候変動という新たな脅威が今、数百頭のトナカイを所有するスウェーデンの先住民族サーミ(Sami)人の夫婦、マルグレット・フィエルストローム(Margret Fjellstrom)さん(39)とダニエル・ビクランド(Daniel Viklund)さんの一番の心配事になっている。
 スウェーデン北部の気候の変化により、夫婦は腹をすかせたトナカイが餌を食べられる場所を探すため、これまでよりも遠い場所に行くことを余儀なくされており、費用と時間がかさんでいる。
 氷点下17度になった2月のある朝、トナカイは前足で深く積もった雪をかいて、地衣類(藻類と共生する菌類の仲間)を探していた。バルト海(Baltic Sea)沿岸の丘に生息する地衣類が、トナカイの冬の主食だ。
 この日のように十分な降雪が定期的にあった頃、フィエルストロームさんの両親は餌があるおなじみの場所に寄りながら、毎年毎年同じルートを移動できた。
 しかし、状況は変わってしまった。
「1月に雨が降ることもあるし、5月に雪が降ることもある。もはや理屈通りにはいかない」とフィエルストロームさんは話す。
 スウェーデンの気象研究所の報告によると、北部と東部の一部の1991~2019年の平均気温は、1860~1900年と比較し2度近く上昇している。また、北部の1月上旬の数日間の気温は、通常の気温を10度近く上回っていたという。
 さらにスウェーデン中央部にある3か所の観測所では1月2日、1月としては1971年以来の最高気温を観測した。
 季節外れの高温は雪解けの原因となる。寒さが戻って雪が再び凍ると厚い氷の層ができ、トナカイは地衣類を掘り出せなくなってしまう。
■GPSとドローン
 サーミ人はスウェーデン北部、ノルウェー、フィンランド、ロシアの一帯で何世代にもわたってトナカイを遊牧してきた。8万~10万人とみられる人口の多くが北極圏に住んでいる。スウェーデンのサーミ議会(Sami Parliament)は、約2000人のサーミ人が25万頭の動物の遊牧で生計を立てていると推定している。
 スウェーデンでは食肉用、また皮や角の利用を目的とした動物の遊牧が認められているのはサーミ人に限られている。
 フィエルストロームさんとビクランドさんは、餌が確保できる移動ルートを2か月かけて交代で探し回る。夏の移動では、高速道路や風力・水力発電所に出くわすことも増えた。
「このところの最大の問題は気候変動だ」とフィエルストロームさんは嘆く。
 二人は毎年、首都ストックホルムから北へ800キロ離れたディカナス(Dikanas)村から、ボスニア湾(Gulf of Bothnia)沿いの町エルンシェルツビク(Ornskoldsvik)近くの平原にトナカイを移動させる。
 まず、トナカイをトラックで運び、解放した後はスノーモービルで追いかけ、首輪につけたGPSを使って追跡する。
 凍えるような寒さの中、トナカイが雪に覆われた森に消えて行くのを確認すると、ビクランドさんはドローンを飛ばした。降雪がひどくてスノーモービルでトナカイを追えない時に、ドローンで追跡しているのだ。【翻訳編集】 AFPBB News
https://news.yahoo.co.jp/articles/bda63de5776ab914efb1f7bb323510a47bf892d0

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核融合は人類を救うわけじゃない

2020-08-17 | 先住民族関連
Gizmodo Japan 2020.08.16 22:00

「原子炉」の常識を塗りかえられるか。
世界一の規模を誇る核融合実験炉「ITER」の建設がついに始まりました。
これまでの原子炉は、原子爆弾に使われたのと同じ「核分裂反応」でエネルギーを作り出していたため、相応のリスクを伴いました。一方で、ITERは原子炉でありながらも「核融合反応」を用いてエネルギーを作り出すまったく新しい仕組み。もしITERが成功すれば、人類は化石燃料を燃やさずとも、核廃棄物の処理に悩まされずとも、安定したエネルギー源を手に入れることができるはずです。
ITERは果たして人類の期待に応えてくれるでしょうか。
とはいえ、冒頭のタイトル然り、核融合だけでは人類は救われないだろう、と米GizmodoのYessenia Funes記者は指摘しています。なぜなら、地球環境を守りつつも人類が持続的に発展していくには、技術だけでなく、私たち一人ひとりの行動変容が不可欠だからです。
核融合技術の利点、そしてその思わぬ落とし穴について、Funes記者が深掘りしました。
フランス南部、サン・ポール・レ・デュランス。
この地に置かれた核融合実験炉「ITER」の建設サイトで、いよいよ組み立てが開始しました。
ITER(イーター)は日本・EU・アメリカ・ロシア・韓国・中国・インドの7カ国間で運営している超大型国際プロジェクトで、2025年に運転開始を目指しています。もとは「International Thermonuclear Experimental Reactor」の頭文字を取った名称ですが、ラテン語では"道"も意味しているそうで、量子科学技術研究開発機構によれば「核融合実用化への道・地球のための国際協力への道」たれ、という願いも込められているのだとか。
ITERが拓く道。それは、石油にも核分裂にも頼らない未来です。
核分裂と核融合の違い
国際原子力機関によれば、いま世界中で稼働している原子炉は450機。そのすべてが核分裂反応からエネルギーを取り出しています。一方で、ITERは星の輝きを作り出す核融合反応を目指しています。
同じ「原子力」でもこれらの違いは大きく、科学者は長年にわたって核融合反応を地球上で再現しようと試みてきました。ITERは、この試みを初めて大型化したものです。
「核分裂と核融合の違いは、一方の核分裂原子炉は開発を始めて数年後には実現できたのに、もう一方の核融合原子炉は60年以上経った今でもまだ実現できていないことが如実に物語っています」
ITERに携わってきたEugenio Schuster教授(米リーハイ大学)はこう説明しています。核融合のほうが、はるかに技術的に困難なのです。
核分裂反応のリスク
しかし早い段階で実用化された核分裂のほうは、残念ながらいいことばかりではなく、安全面での課題が山積しています。
核分裂反応では、ウランやプルトニウムなどの放射性元素に中性子をぶつけて核分裂の連鎖を引き起こし、莫大なエネルギーを放出させます。この反応を制御しながら行なうのが原子炉で、瞬時に放出するのが原子爆弾です。
原子爆弾がもたらした惨劇は言わずもがな、原子炉もメルトダウンの危険性が伴うほか、大量の放射性廃棄物(俗に言う「核のごみ」)を出してしまう問題も抱えています。
また、核分裂反応に使われるウランの採掘が環境問題を招いているケースも。アメリカではウランの採掘がナバホ族の土地の水を汚染し、健康被害をもたらしているそうです。
「ウラン汚染がナバホのようなアメリカ先住民族のコミュニティにもたらす被害は甚大です」と話すのは環境保護団体Diné C.A.R.Eの事務局長・Carol Davisさん。「ウランに汚染された飲み水が放置されっぱなしなのに、ナバホの人々はその水を飲んで使うしかありません」。
アメリカだけでも9万トンの核のごみが行き場を失くしている今、健康被害や環境汚染ももたらす核分裂反応に懐疑的な目を向けている人は多く、Davisさんもそのひとりです。大量の放射線物質をまき散らすリスクに加え、風力や太陽光発電などの再生可能エネルギー技術に費やす時間と資金とを奪っているとの厳しい見方を隠していません。
核融合反応のメリット
では、核融合反応はどうなんでしょうか。
そもそも核融合とは、その名のとおり軽い原子核同士が融合してより重たい原子核に変わる反応のことで、融合した時に大きなエネルギーを生み出します。核融合は星の中心核で生み出されているエネルギーの源。我らが太陽は、核融合反応が起きた時に生まれる莫大なエネルギーによって光り輝いています。
星の中心で起こっていることを地球上で再現するとなると、1億5000万度(!)という超高温環境が必要になってきます。物質は1万度以上に熱されると「プラズマ」と呼ばれる第4の状態になり、原子核と電子がバラバラになります。さらに1億度以上に熱すると原子核がすばやく飛び回るようになります。この状態になってはじめて原子核同士がものすごいスピードで衝突し、合体して、より重たい原子核に変わる──要するに、核融合が起きるのです。
一億度に熱されたプラズマと聞くと非常に危険なかんじがしますが、このプラズマは超伝導磁石によってドーナツ型の装置に閉じ込められるので、外に漏れ出す心配はないとのこと。すなわち、核融合反応は原子炉がメルトダウンする危険性がなく、ウランを必要とせず(必要なのは水とリチウムのみ)、地球温暖化ガスも直接は排出しません。
「なぜ核融合に多額の資金と時間を注ぎ込んでいるのか。核融合にそれだけ大きな希望を託しているからです」と前出のSchuster教授は説明しています。
「温暖化ガスを排出しないという観点から見ると再生エネルギーと同じメリットがあると同時に、同じエネルギー量を作り出すために必要な面積はずっと小さくてすみます。さらに、これまでの原子炉のように半減期が長い放射性廃棄物や、原発事故が発生する心配もありません」
ITERでは水素の同位体である重水素と三重水素(トリチウム)を核反応させます。重水素は海水中に自然に存在しているものを使い、三重水素は自然に存在している量が少ないのでリチウムから作り出します。核融合反応に必要なリチウムと水(海水)の量は、採掘産業などに比べたら微々たるものだそう。ITERが年間消費する燃料の総量はたった250キログラムとも言われています。しかも、Schuster教授の指摘によれば、重水素を取り出した海水はほとんどが水源に戻されるとのことなので、環境への影響は比較的小さく済みそうです。
核融合の落とし穴
ITERに対する懸念はむしろ環境負荷ではなく、安全性です。
プリンストン大学助教でITERに関わっているEgemen Kolemenさんは、「核分裂反応とは違うものの、核融合反応もやはり核反応です。ですから、少量ではあっても核のごみが生じることは避けられません」と指摘しています。そして、核のごみが生じると、必ずそのごみの負担を巡って不平等が起きます。
「核融合炉に関しては信じがたいようなメリットが触れ込まれていますが、同時にコスト面にもしっかりと目を向け、誰がその影響を受けるのかを精査する必要があります」と忠告しているのは環境保護団体Diné C.A.R.Eで活動するLeona Morganさん。「私たちはこれまでも原子炉を巡って人権侵害や環境汚染などの問題を目の当たりにしてきました。まずはこれらの問題から学び、教訓を活かすことが不可欠です」。
そのためには、核融合炉を作る前にまず核のごみをどう対処するかを公平に決めなくてはなりません。アメリカの歴史上、核のごみ問題が少数民族や低所得層コミュニティーに重すぎる負担を強いてきたことは否めないからです。
核融合は人類を救わない
今、ITERは、持続可能な人類の発展を支える新しいエネルギー源として大注目されています。まだ実験段階ですが、ITERが成功すれば石油燃料に頼らない発電が可能になり、地球温暖化に歯止めをかけられるかもしれませんし、核分裂炉ともおさらばできるかもしれません。
でも忘れてはいけないのは、核融合は技術に過ぎず、技術のみでは人類は救われないということ。どんなにカンペキなエネルギー源を開発できたとしても、それだけでは変われません。
地球温暖化を止めるには、私たち一人ひとりの行動変容が鍵となります。温暖化ガスの排出を削減するには、クリーンなエネルギー源を開発すると同時に、消費を減らして、エネルギーを無駄使いしない新しい生活様式が身につかなくては意味がないのです。
それに、そもそも温暖化ガスの排出量を削減するために立場の弱いマイノリティーに不相応なツケを払わせては本末転倒。
気候変動の危機を注視するばかりに、ほかの問題から目を背けてしまってはいないでしょうか。このまま地球温暖化が進んで地球が灼熱地獄と化すのはもちろん嫌ですが、搾取され続けてきたマイノリティーが今後も犠牲になり続けるのはなんとしても避けなければいけません。
核融合に必要なリチウムは主にアルゼンチンとチリで採掘されます。現地に住む先住民族からは、採掘に必要とされる大量の水資源と、土壌汚染について懸念が上がっています。
地球温暖化が進むにつれて池や河川は次第に干上がり、地下水が枯渇して、水はどんどん希少になるでしょう。平和目的のための核融合エネルギーでさえ、大きなコストを孕んでいるのです。
https://www.gizmodo.jp/2020/08/nuclear-fusion-will-not-save-us.html

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【中田英寿】ゆったりと豊かな時間が流れる芹沢けい介美術館<静岡編>

2020-08-17 | アイヌ民族関連
GOETHE 8/16(日) 16:01配信
2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
芹沢けい介の故郷・静岡市で味わう染色工芸の奥深さ
人間国宝・芹沢けい介の名を知らなくとも、彼が手掛けたデザインにはどこかで触れたことがあるもしれない。1895年、静岡市に生まれた芹沢は、柳宗悦らとともに大正から昭和初期の民藝運動の中心となった染色工芸家。日本の風景や動植物、文字などをモチーフにしながらどこかモダンさを感じさせる作風は、いま見てもなお新鮮だ。
「いつかこの美術館に来たいと思っていたんです」
芹沢ファンを自認する中田英寿がそう語るのは、静岡市の登呂遺跡がある登呂公園内にたたずむ静岡市立芹沢けい介美術館。以前、宮城県を旅したときに仙台市の東北福祉大学内にある芹沢けい介美術工芸館を訪ねていたが、芹沢の生まれ故郷にあるこの美術館を訪ねたのは初めてだ。石積みの建築は重厚な雰囲気だが、一歩館内に足を踏み入れるとカラフルな芹沢ワールドが広がっている。
「収蔵品は、芹沢作品約800点とコレクション約4500点です。彼が沖縄の紅型やアイヌ文化に影響を受けたことはよく知られていますが、それ以外にも世界中に目を向けていました。とても鋭く強い眼差しを持っていた方だと思います」(白鳥誠一郎館長)
展示されている作品は、着物や帯、のれんなど染色工芸家らしい作品から、マッチ箱やカレンダー、包装紙、本の装丁、日本酒のラベルなど多岐にわたり、「これも彼の作品だったのか」という発見も少なくない。その幅広い作品群を見ると、芹沢という人物がいまでいうところのグラフィックデザイナーとして活躍していたことがよくわかる。
「いま見てもすごく新鮮だし、ダイナミック。彼が現代のものをデザインしたらどんなふうになっていたんだろうと思ってしまいますね」(中田)
柳宗悦も感服したという世界の工芸品・民芸品のコレクションも見事。別棟として東京から移築した「芹沢けい介の家」を訪ねると、往時の染色家の生活の一端にふれることができる。決して派手な観光地ではない。だが、ここに来れば2~3時間、ゆったりとした豊かな時間を過ごすことができる。この美術館に足を運ぶためだけにまた静岡を訪ねてもいいと思った。
「に・ほ・ん・も・の」とは
中田英寿が全国を旅して出会った、日本の本物とその作り手を紹介し、多くの人に知ってもらうきっかけをつくるメディア。食・宿・伝統など日本の誇れる文化を、日本語と英語で世界中に発信している。2018年には書籍化され、この本も英語・繁体語に翻訳。さらに簡体語・タイ語版も出版される予定だ。
中田英寿
1977年生まれ。日本、ヨーロッパでサッカー選手として活躍。W杯は3大会続出場。2006年に現役引退後は、国内外の旅を続ける。2016年、日本文化のPRを手がける「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。
Composition=川上康介 Photograph=淺田 創
https://news.yahoo.co.jp/articles/34d62694c6ea3e64f442c35ab31d61daca1b91ae

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クマ牧場に空飛ぶ「チセ」登場 北海道登別市(動画)

2020-08-17 | アイヌ民族関連
HBC 8/16(日) 12:23配信
登別のクマ牧場のロープウエーにひときわ目を引くゴンドラが登場し、人気を集めています。
「のぼりべつクマ牧場」のゴンドラに混じり行き来しているのは、アイヌ民族の伝統的な住居「チセ」をモチーフにした「空飛ぶチセ」です。貨物用のゴンドラで作ったので人は乗れません。のぼりべつクマ牧場はアイヌ文化を体験できる「ユーカラの里」が園内にあることから、胆振の白老町のウポポイ開業を機会にアイヌ文化により親しんでほしいと「空飛ぶチセ」の運行を始めました。
「なんだろうと最初は分からなかったが、ここに来てみて同じようなものがあると」(訪れた人)
「非常に細かい作りをしているので完成度は高いと思う」(のぼりべつクマ牧場 吉田廣勝さん)
この「空飛ぶチセ」は、11月20日まで運行されます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/755f10ed5158b44325e70f3b968bacff51d129b7

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布文化の地・青森から発想された3人展『いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から』

2020-08-17 | 先住民族関連
コロカル 8/16(日) 15:10配信
例年凍てつく寒さに見舞われる青森。古くから青森では、そんな風土から身を守るため、衣食住のさまざまな文化が生まれ、今も継承されています。特に“衣”においては、裂織や刺し子、ボロなど、独自の風土から立ち上がった、豊かな布文化が存在します。
現在、そのような背景を持つ場所、青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)で、展覧会『いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から』が8月30日(日)まで開催中。
碓井ゆい、遠藤薫、林介文(リン・ジェーウェン/ラバイ・イヨン)3人の現代美術作家による、青森市教育委員会所蔵の民俗資料や文化財が用いられたそれぞれの作品は、戦前の女子教育や戦争と花火、台湾先住民族と日本の関わりなどのさまざまな物事が交差する、非常に示唆に富んだものとなっているようです。
■縫い、裂き、編んで表現された壮大な作品
以前より、布を用いて作品制作を行っていた碓井、遠藤、林。
1980年東京都生まれ、埼玉県在住の碓井ゆいは、趣味の手芸などの身近なテクニックや素材を用いて作品を制作しているアーティスト。現代社会において、ジェンダーや育児などの個人的な経験や疑問を社会的・政治的なものとして捉え、文献資料やインタビューによるリサーチを重ね、作品を生み出しています。
今回制作された作品『景色をならう』では、民俗資料にあった女子用理科教科書から、女子教育に着目。壁に飾られた津軽に伝わるこぎん刺しと西洋のクロスステッチの対比、そして机上の理科の教科書から、戦前の女性への固定概念の内面化がどう行われてきたのかを、私たちに無言で訴えかけます。
遠藤薫は、1989年大阪府生まれ、ベトナム・ハノイ/大阪府在住の工芸・美術作家。生活に根差した工芸の本質を現代美術的な視座から探るべく、テキスタイルに複雑な社会的事実が織り込まれていると考え、布を集め、使用と修復の行為を繰り返し、作品に落とし込んでいます。
みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな ー山下清
今回遠藤は、画家・山下清の言葉に触発され、戦争と花火に関するインスタレーション『閃光と落下傘』を制作。
時に人の命を助け、時に人を殺す道具として用いられたパラシュート。また、花火は夏の風物詩ですが、人によって戦争を追想するものにもなり得ます。この、文化財に眠っていた衣服をはじめ、全国から集めた古着を引き裂き形づくった花火のようなパラシュートは、複雑に交差する物事の多面性や平和への祈りなどを物語っているかのようです。
林介文は1982年生まれ、台湾・花蓮出身、同地在住のアーティスト。台湾先住民の太魯閣(トゥルク)族の一員として、伝統的な織物の技法を用い、ジュエリーデザインの知識も生かした彫刻的なインスタレーションを制作しています。
『解縄(ときなわ)』は、台湾と日本の古布、彼女の母方の家にあった時計と鏡を用い、自身のアイデンティティや生命の循環などをテーマとしています。
時計と鏡、幾十にも編まれ、途中からほぐれたロープ。『解縄』は、家系で唯一の日本人の曾曾叔父、そして、過去に日本が台湾を植民地支配をしていた事実など、歴史や自身のルーツへの複雑な思いを整理し、確かな意味を見出す行為のようにも見えます。
■近代以前から地続きでつながる普遍的な問い
今回展示を企画された、青森公立大学国際芸術センター青森の学芸員である慶野結香さんに話を聞きました。
「借りてきた文化財は、第二次世界大戦頃まで使用されてきたものばかりで、時代区分的には、江戸時代末期から明治大正を超えて昭和初期の近代です。今回3名それぞれが、植民地主義や西洋化と教育、戦争といった題材を扱っていますが、それらは近代だけではなく、それ以前から現在もつながりのある事柄です。ぜひ、各作品の背景も含めた表現に注視し、考えを深めていただけたら」
展覧会の詳細
こちらの青森公立大学国際芸術センター青森のYouTubeでは、展覧会の解説や作家のトークライブが記録されているので、気になる方はぜひご覧ください。
3名の個人的な体験や興味から生まれた、壮大な作品たち。それらは簡単に理解することは難しいかもしれませんが、多くの生きる上で大切なことを、私たちに訴えかけてきます。
深緑がきらきらとひかる、夏の青森公立大学国際芸術センター青森。そんな美しい会場で、ぜひ3名の尊い思考の一端に触れてみてはいかがでしょうか。
information
いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から
会期:2020年5月7日(木)~8月30日(日)
会場:青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)
住所:青森県青森市合子沢字山崎152-6
TEL:017-764-5200
開館時間:09:00~19:00(展覧会は10:00~18:00)
休館日:会期中無休
観覧料:無料
writer profile
Kanae Yamada
山田佳苗
やまだ・かなえ●島根県松江市出身。青山ブックセンターやギャラリースペース、ファッション・カルチャー系媒体などを経て、現在フリーのライター、編集者として活動中。まだまだ育ち盛り、伸び盛り。ファッションと写真とごはんが大好きです。
credit
撮影:Delphine Parodi画像提供:青森公立大学 国際芸術センター青森
【コロカルニュース】とは?
全国各地の時事ネタから面白情報まで。コロカルならではの切り口でお届けする速報ニュースです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4537952275c248c2e600c73a0fe83962717d2080

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西胆振の郷土史を取り上げた私家本が10作目 伏木晃(ふしき・あきら)さん

2020-08-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/15 10:39
 生まれ育った室蘭市を拠点に活動する郷土史家。西胆振の開拓者や白鳥大橋の構想提唱者などを取り上げ、2012年から制作を始めた私家本は10作に達した。「読者がいたから続けてこられた。本を通じ、室蘭の歴史の奥深さを知ってほしい」
 10作目ではアイヌ民族の児童を受け入れ、師範学校を卒業するまで物心両面で支えた元室蘭小初代校長の泉致廣(むねひろ)をテーマにした。教育の道にまい進し、結核で亡くなった生涯を、写真資料や新聞記事を交えてA5判216ページにまとめた。「今を生きる私たちの糧となるものが見つかるはず」と期待を込める。
 00年には、太平洋戦争末期の室蘭空襲などの被害状況を調べ、犠牲者の半生をまとめる活動にも当たった。空襲時は3歳だったが、「薄暗い防空壕(ごう)の中、息を潜めながら聞いた射撃のごう音は今も記憶に残る」。
 日本製鋼所室蘭製作所(現日本製鋼所M&E)を退職後、09年まで製作所内の迎賓館「瑞泉閣(ずいせんかく)」の館長を務めた。室蘭夜景ツアーのガイド役として、郷土史を語った際、「その土地の物語には人を魅了させる力がある」ことを実感した。
 昼夜を問わず机に向かい、文献を何冊も読破して史実を積み上げた。関係者への取材や資料収集のため精力的に、道内外へ足も運んだ。ただ、体力的に限界を感じるようになった。
 10作目が最後のつもりだったが、読者の励ましの便りに勇気づけられ、瑞泉閣をテーマに次作に取りかかることを決めた。「何年後かは分からないが、次の世代に伝えるためにも書き上げたい」。78歳。(渡辺愛梨)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/450652

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