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物欲から解放されるためには?本当の財産とは何か

2020-08-14 | 先住民族関連
All About 2020/08/13 21:40
■The more you know, the less you need.
「The more you know,the less you need.」
これはオーストラリアの先住民族のことわざだそうです。直訳すれば「知れば知るほど、必要な物は少なくなる」となります。皆さんは、この言葉から何を連想しますか?
私は、現代人が忘れつつある「豊かさ」の意味を思い出させてくれる言葉だと受け取りました。現代人が陥っているのは、自分という無形財産の可能性を忘れ、お金という二次的・外形的な表象を追求する風潮です。
■お金がないと幸せになれない?
お金というのは、しょせん投影物に過ぎません。何の投影かというと、他人に与えた有用さ、作り出した快適さ、自分が発揮できるエネルギーの投影なのです。だから、お金持ちになる人は、商売がうまいのではなくて、自分自身を上手に使えたからお金が集まってきたのです。
しかし、現代ではすぐに結果を求められ、人と競争をさせられて、優劣の烙印をすぐに押されるようなせちがらい環境にさらされています。ですから、目先の結果を求め、明日のキャッシュを追いかけて、どんどん自分という資産をすり減らしているのです。
そんなはかない立場に置かれているから、形のあるお金、財産を持っていないと不幸になると人は思い込んでしまうのですね。しかし、彼らは、まったく異なる解釈をしていたと思います。
■最大の財産は自分自身!
豊かさの根源にある価値、それは人のエネルギーであり、英知であり、生きる力です。それを備えている人は、いっときの貧乏や困窮も乗り越えることができます。その根源を支えているのは、お金などではなくて、自分自身という資産なのです。
物に頼る生活、外食に依存した健康、商品に左右される投資、外的環境に振り回されるビジネスといった悪循環から抜け出せた人は、きっと本当の自由を手に入れることができるのでしょう。
あなたの本当の価値を充実させれば、貯金が1円もなくても、ホームレスであっても、冷蔵庫に何も入っていなくても、あなたは幸せになれるはずです。それでも、お金はないよりはあったほうがいいと考えて、幸せになるための資産運用をガイドしています。
北川 邦弘(マネーガイド)
https://news.goo.ne.jp/article/allabout/trend/allabout-44834.html

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青森の民俗資料や文化財を用いた展覧会 『いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から』

2020-08-14 | 先住民族関連
コロカル) – 2020年08月13日(木) 19時52分
豊かな布文化の地・青森から発想された3人展
例年凍てつく寒さに見舞われる青森。古くから青森では、そんな風土から身を守るため、衣食住のさまざまな文化が生まれ、今も継承されています。特に“衣”においては、裂織や刺し子、ボロなど、独自の風土から立ち上がった、豊かな布文化が存在します。
現在、そのような背景を持つ場所、青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)で、展覧会『いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から』が8月30日(日)まで開催中。
碓井ゆい、遠藤薫、林介文(リン・ジェーウェン/ラバイ・イヨン)3人の現代美術作家による、青森市教育委員会所蔵の民俗資料や文化財が用いられたそれぞれの作品は、戦前の女子教育や戦争と花火、台湾先住民族と日本の関わりなどのさまざまな物事が交差する、非常に示唆に富んだものとなっているようです。
縫い、裂き、編んで表現された壮大な作品
以前より、布を用いて作品制作を行っていた碓井、遠藤、林。
1980年東京都生まれ、埼玉県在住の碓井ゆいは、趣味の手芸などの身近なテクニックや素材を用いて作品を制作しているアーティスト。現代社会において、ジェンダーや育児などの個人的な経験や疑問を社会的・政治的なものとして捉え、文献資料やインタビューによるリサーチを重ね、作品を生み出しています。
今回制作された作品『景色をならう』では、民俗資料にあった女子用理科教科書から、女子教育に着目。壁に飾られた津軽に伝わるこぎん刺しと西洋のクロスステッチの対比、そして机上の理科の教科書から、戦前の女性への固定概念の内面化がどう行われてきたのかを、私たちに無言で訴えかけます。
遠藤薫は、1989年大阪府生まれ、ベトナム・ハノイ/大阪府在住の工芸・美術作家。生活に根差した工芸の本質を現代美術的な視座から探るべく、テキスタイルに複雑な社会的事実が織り込まれていると考え、布を集め、使用と修復の行為を繰り返し、作品に落とし込んでいます。
みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな ー山下清
今回遠藤は、画家・山下清の言葉に触発され、戦争と花火に関するインスタレーション『閃光と落下傘』を制作。
時に人の命を助け、時に人を殺す道具として用いられたパラシュート。また、花火は夏の風物詩ですが、人によって戦争を追想するものにもなり得ます。この、文化財に眠っていた衣服をはじめ、全国から集めた古着を引き裂き形づくった花火のようなパラシュートは、複雑に交差する物事の多面性や平和への祈りなどを物語っているかのようです。
林介文は1982年生まれ、台湾・花蓮出身、同地在住のアーティスト。台湾先住民の太魯閣(トゥルク)族の一員として、伝統的な織物の技法を用い、ジュエリーデザインの知識も生かした彫刻的なインスタレーションを制作しています。
『解縄(ときなわ)』は、台湾と日本の古布、彼女の母方の家にあった時計と鏡を用い、自身のアイデンティティや生命の循環などをテーマとしています。
時計と鏡、幾十にも編まれ、途中からほぐれたロープ。『解縄』は、家系で唯一の日本人の曾曾叔父、そして、過去に日本が台湾を植民地支配をしていた事実など、歴史や自身のルーツへの複雑な思いを整理し、確かな意味を見出す行為のようにも見えます。
近代以前から地続きでつながる普遍的な問い
今回展示を企画された、青森公立大学国際芸術センター青森の学芸員である慶野結香さんに話を聞きました。
「借りてきた文化財は、第二次世界大戦頃まで使用されてきたものばかりで、時代区分的には、江戸時代末期から明治大正を超えて昭和初期の近代です。今回3名それぞれが、植民地主義や西洋化と教育、戦争といった題材を扱っていますが、それらは近代だけではなく、それ以前から現在もつながりのある事柄です。ぜひ、各作品の背景も含めた表現に注視し、考えを深めていただけたら」
こちらの青森公立大学国際芸術センター青森のYouTubeでは、展覧会の解説や作家のトークライブが記録されているので、気になる方はぜひご覧ください。
3名の個人的な体験や興味から生まれた、壮大な作品たち。それらは簡単に理解することは難しいかもしれませんが、多くの生きる上で大切なことを、私たちに訴えかけてきます。
深緑がきらきらとひかる、夏の青森公立大学国際芸術センター青森。そんな美しい会場で、ぜひ3名の尊い思考の一端に触れてみてはいかがでしょうか。
information
いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から
会期:2020年5月7日(木)〜8月30日(日)
会場:青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)
住所:青森県青森市合子沢字山崎152-6
TEL:017-764-5200
開館時間:09:00〜19:00(展覧会は10:00〜18:00)
休館日:会期中無休
観覧料:無料
Web:http://www.acac-aomori.jp
writer profile
Kanae Yamada
山田佳苗
やまだ・かなえ●島根県松江市出身。青山ブックセンターやギャラリースペース、ファッション・カルチャー系媒体などを経て、現在フリーのライター、編集者として活動中。まだまだ育ち盛り、伸び盛り。ファッションと写真とごはんが大好きです。
credit
撮影:Delphine Parodi画像提供:青森公立大学 国際芸術センター青森
https://news.goo.ne.jp/article/colocal/region/colocal-135559.html

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モラレス前大統領支持者ら、総選挙再延期に抗議 ボリビア

2020-08-14 | 先住民族関連
(AFPBB News) – 2020年08月13日(木) 17時59分
【AFP=時事】ボリビアで、武装した抗議デモ参加者による道路封鎖が10日目に入った。当局は、これにより新型コロナウイルスの感染拡大対策に必要な医療物資が病院に届けられなくなっているとして、デモ隊を非難している。
 ハビエル・イッサ内務副大臣は12日、国外に逃亡したエボ・モラレス前大統領の支持者らが、ボリビアの政府機関9機関の至るところにバリケード142個を設置したと述べた。
 デモ参加者の大部分は先住民族と農家で、総選挙が再び延期されたことに怒りの声を挙げている。選挙は当初5月に行われる予定だったが、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)を受け、9月6日に延期されていた。
 最高選挙裁判所は今回、総選挙をさらに10月18日に延期。アルゼンチンに亡命中のモラレス氏によりあおられたデモ隊は、これを9月に戻すよう要求している。
 モラレス氏の支持者らは、総選挙の延期はモラレス氏が党首を務めた政党「社会主義運動」から立候補したルイス・アルセ氏が、大統領になることを妨げるのが目的だと主張している。アルセ氏は、今年1月にMASの候補に指名されて以降、世論調査で常に支持率トップを維持している。 【翻訳編集】AFPBB News
https://news.goo.ne.jp/article/afpbb/world/afpbb-3299007.html

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「観光資源化」するアイヌ民族の歴史に、なぜ歯がゆさを感じるのか

2020-08-14 | アイヌ民族関連
論座 2020年8月13日 17時0分
北海道を挙げて「宣伝ムード」
 北海道白老町に国立アイヌ民族博物館と共に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開館してから、今月11日で1カ月を迎えた。
 筆者は「ウポポイ」が北海道内で過剰に宣伝されていることに、驚きを禁じ得なかった。北海道へ向かう飛行機の側面に「ウポポイ開業」のシールが貼られていたのだ。それだけではない。通常は、交通情報を案内するはずの国道や高速道路の看板にも「ウポポイ誕生」という文言が踊っていた。しかもウポポイが位置する白老町から遠く離れた道東地区ですら、である。
 7月下旬、実際に筆者も訪問してみた。筆者が訪問した際、PRキャラクター(いわゆる「ゆるキャラ」)の「トゥレッポん」との交流イベントや、アイヌ式伝統芸能上演などが行われていた。また、アイヌ式住居の再現施設の見学も行った。また国立アイヌ民族博物館では、アイヌ文化のほか、差別の歴史を含むアイヌの苦難な歴史が展示されていた。
 とはいえ、歯がゆさを禁じ得なかった。なぜなら、アイヌの歴史を単なる「観光資源」として消費しているように思えてならなかったからである。「歯がゆさ」を感じるに至った自らの経験にも触れながら、アイヌの人々に日本人と日本政府が何をしてきた/いるのかについて考察していきたい。
「旧土人児童教育規定」校の跡地で
 筆者は、北海道旭川市にある北門中学校の出身である。
 当該地区は、「近文(ちかぶみ)アイヌ」が多く住んでいる地区として知られている。近文とはアイヌ語の「チカプニ」(鳥がいるところ)に由来する地名で、旭川市の西側に位置する。その近文地区に建てられた上川第五尋常小学校(その後、豊栄小学校と改名される)の跡地に設置されたのが北門中学校である。
 上川第五尋常小学校は、アイヌのみを分離し通学させる「旧土人児童教育規定」に伴い設置された学校だった。
 同地は、『アイヌ神謡集』の編訳者の知里幸恵の出身地であり、筆者自身「知里幸恵生誕祭」にも生徒会長として参加した経験がある。アイヌの祈りの儀式「カムイノミ」を執り行ったほか、「川村カ子ト(かねと)アイヌ記念館」の館長の講話も聴いた記憶がある。また知里幸恵に黙とうを捧げたほか、彼女の代表的著作である『アイヌ神謡集』の一部(「銀の滴降る降るまわりに」)を合唱した。
 余談だが、同書は岩波書店から刊行されているが、なぜか「外国文学」の扱い=赤になっている。一方で沖縄最古の歌集とされる『おもろさうし』が日本文学の扱い=黄色になっていることに鑑みると、植民地主義の歴史に敏感でなければならないはずの出版界ですら琉球・アイヌ文化をいかにぞんざいに扱ってきたのかが伺える。
 本題に戻ろう。「旧土人児童教育規定」では、どのような教育が行われていたのだろうか。新谷行『アイヌ民族抵抗史』によれば、平取町の「旧土人学校」で教育を受けた貝沢正は、以下のように回想していたという。
 明治三十二年、『旧土人保護法』が制定され、旧土人学校となり、『旧土人児童教育規程』によって教育されたのが私達だった。六十人余の学童に老先生が一人。六学年の複式で大半は自習、始業も終業も先生の配合だけで一定の時間はない。天皇の写真に最敬礼することや教育勅語を中心とし、日本人がいかに優れた民族であるかをシサムの先生によってくり返しくり返し、たたき込まれた(注1)。
 教育現場では「日本人」と「旧土人」は徹底的に分離され(アパルトヘイト=人種隔離政策である!)、「旧土人」に対しては皇民化教育を押し付けるかわりに、十分な学修環境を認めなかったのである。これを「差別」と呼ばずしていかに形容できるのだろうか。
近文アイヌの苦悩と日本の教科書教育
 1877年に明治政府は、アイヌ民族の居住地をすべて官有地とした。1899年には「北海道旧土人保護法」が制定され、一戸につき1万5千坪を「給与地」として下付した。「給与地」は農地に適さなかったり、第2次世界大戦後の「農地解放」で安く買収されたりしたという(注2)。
 しかし官憲が、近文アイヌに対して行った措置は、とくに差別的なものだったのである。「旧土人保護法」制定とほぼ時を同じくして、文字を読めない人が多かった近文アイヌに、土地の「交換」をさせる署名を書かせたのであった。比較的肥沃な近文の土地と、気候的に農業に適さない天塩(てしお)の原野を交換させるというもので、交換というより詐取的な「取り上げ」という実態のものだった。
 結局、天川恵三郎らによる返還要求運動が奏功したが(第1次近文アイヌ給与地問題)、その後も「給与地」問題は再燃する。たとえば、1934年に制定された「旭川市旧土人保護地処分法」を根拠として「給与」された土地は、1戸あたり3千坪にすぎなかった(第3次近文アイヌ給与地問題)。これは「旧土人保護法」の規定すら下回るものであったという。
 「給与地」制定にともない「強制移住」をさせようとした事例は、近文アイヌに限らない 。たとえば、樺太千島交換条約にともない樺太(現在のサハリン)を追われたアイヌは(樺太から地理的に近く、全員一致で希望したとされる)宗谷に移住した。その後、開拓使の黒田清隆長官は石狩に移住を指示したが、樺太アイヌは石狩に移住するより樺太に戻りたいと希望した。しかし、黒田は彼らを樺太に近い宗谷に置いておくと、脱走する恐れがあり、そうすると「国体」に関係するとの理由で、鉄砲を持った警察官によって彼らを小樽から江別にかけての領域に強制的に移住させたとされる(注3)。
 しかし日本の教科書教育では、こうした問題を十分に教えてこなかった。それだけではない。「(旧土人保護法の趣旨を)生徒が誤解するおそれのある表現」と検定意見が付き、土地を「取り上げた」から「与えた」へと記述変更をする教科書もあった(注4)。しかもこれは「つくる会」や「育鵬社」といった、いわゆる右派系の教科書の話ではない。同記事によると、育鵬社はそもそも「旧土人保護法」に関する記述が一切ないのだという。
 私たちが「日本史」を語るとき、「日本」のなかにアイヌは入っているのか。今もなお、私たちは教育の名のもとに、「単一民族神話」を子どもたちに吹聴しているのではないか。改めて問わねばならない。
「差し替えられた」シャクシャイン像から考える
 北海道新ひだか町静内の真歌公園にある、アイヌの英雄シャクシャイン像。空に向けて杖を指し伸ばしている勇猛果敢な姿で知られた像が、内省的な像に「差し替えられた」のは、今から2年ほど前の出来事である(注5)。
 報道によると、旧像は「老朽化が進み、倒壊の恐れがあり危険」として撤去されたのち、重機によってバラバラにされ、産廃扱いで最終処分場に送られたという(注6)。同記事によると、シャクシャイン顕彰会の会長は、「取り壊して撤去するぐらいなら、台座から切り離してこちらに渡してほしいと頼んだのですが、町の答えはノーでした」と憤っていたという。
 もちろん、この「旧像」にも植民地主義の差別性が色濃く反映されていた。台座には、町村金五知事(当時)の名が記されていたのである。町村氏といえば、戦時中、社会運動を取り締まる内務省の警保局長や警視総監を務め、戦後も「公選知事制反対」「内務省復活」を唱えていたとされる(ちなみに次男は自民党清和政策研究会〈当時は町村派〉の会長も務めた町村信孝である)。
 アイヌの戦士であるシャクシャインの像に何故に和人の侵略者の代表である知事の町村氏が文字を書かねばならないのか――「静内をまわり、平取や二風谷をまわっているうちに、多くのアイヌがこの文字と碑文に反感を持っていることを知った」という詩人・新谷行は、1972年、台座の名前部分を削り、切り取った。
 新谷は、著書『アイヌ民族抵抗史』で以下のような回想をしている。
 あるアイヌの人は私に言ったものだ。「あんな文字はいらないが、ああやって書いておけば観光になって、シャモ(引用者注・和人のこと)が集ってくるべ」。しかし、彼等はこれを当然のことながら観光的にするのを特にきらっていた(注7)。
 この「事件」から約半世紀を経たいま、アイヌ文化の観光資源化をめぐる状況が変わっておらず、むしろ悪化していることに憤りを覚える。「あるアイヌの人」が鋭く指摘するように植民者との「融和」を演出したうえで抵抗のシンボルをそぎ落とし、隠蔽することで初めて少数文化を「観光資源化」することができるのである。
 「マイノリティ」による抵抗の姿をかたどる像を設置することは、決して共生の理念と反するものではない。なぜなら「マジョリティ/マイノリティ」「植民者/被植民者」の間には圧倒的な力関係の差があるからだ。「共生」を勝ち取るために、「マイノリティ」側は多数の犠牲を払ってきている。「共生」とは、そうした抵抗の歴史を黙殺して「価値相対主義」的にふるまうことを意味するわけではない。
「文化の良さを広める」、文科相発言の根底にあるもの
 ここまで論じてきたように日本政府と日本人は、アイヌの人たちに対して差別政策をとってきた。また経済格差を放置するなど「構造的差別」は今なお続いている。先月10日の文科省大臣・萩生田光一の閣議後会見での以下の発言は、あまりに無神経なものであった。
 原住民と、新しく開拓される皆さんの間で様々な価値観の違いがきっとあったのだと思う。それを差別という言葉でひとくくりにすることが、後世にアイヌ文化を伝承していくためにいいかどうかは、ちょっと私は考えるところがある(…中略…)せっかくの施設ですから、前向きにアイヌ文化の良さを広めていくことに努力したい(注8)。
 この発言は、到底看過できるものではない。差別の歴史を「価値観の違い」という言葉で言い逃れしているうえに、責任の所在を政府や官憲ではなく「新しく開拓される皆さん」に矮小化しているからである。それだけではない。あたかも文化に「優劣」があるかのような物言いをしていることも見逃せない。ちなみに萩生田はこの発言をめぐってアイヌ団体からの抗議を受け、さらに記者会見でも記者から2度、謝罪をするか問われているが、明確な謝罪を拒否し続けているのである(注9)。
 この発言の根底には「文化の選別的消費」が見え隠れする。もしや「内地」からの観光客にとって不快に感じられない文化は「前向き」で「良い」文化であって、日本人自らの植民地主義と加害性について告発する文化は「悪い」ものだと、一方的に線引きしたいのだろうか。
 沖縄に基地を集中させている現状に目を背けながら、他方で「青い海」「青い空」にみられる観光地的〈記号〉を「ほめ殺したり消費したり」する日本人の姿と重なるようにすら思えてしまう。以下は社会学者の野村浩也が『無意識の植民地主義』で指摘した内容である。
 文化の選別的消費によって、日本人は、みずからの植民地主義をますます隠蔽することが可能になり、みずからの加害性にますます無意識となることができるようになる(…中略…)日本人が「沖縄大好き!」と言って沖縄人の文化から「おいしいとこどり」することは、沖縄人を犠牲にして基地の負担から逃れ文化の選別的消費によって自己の植民地主義と加害性に積極的に無意識となってきたからこそ、前述したように、「沖縄大好き!」を無邪気に連発し「沖縄病患者」を自称してはしゃぐ日本人も増殖してきたのである(注10)。
 そのうえで、野村は差別から「手のひらを返したように、今度はほめ殺し」をする類の日本人が沖縄人に対する植民地主義や加害行為を真正面から問題化することは、「ほぼ100パーセントない」とまで断じている。こうした状況は、「沖縄」を「アイヌ」に置き換えても、ほとんど一致するといってよい。
「なんという幸福な人たち」を差別してきたのはだれか
 さて「ウポポイ」開業以降、こうした状況に対して政府はどのような政策を打ち出したのだろうか。ひとことで述べると「差別・格差の放置」である。アイヌ政策にアイヌ民族の声を反映する場となってきた「アイヌ政策推進会議」は、2018年2月を最後に1年半以上開かれていないのである。北海道新聞の報道によると、7月の「ウポポイ」の開設やアイヌ施策推進法施行などが実現し、政府は「現時点で開催する必要はない」としているという(注11)。
 北海道アイヌ協会は長年、生活教育支援や、サケなどの自然資源をめぐる「先住権」を認めるよう訴えてきたが、半ば「放置」されている状態である。経済的メリットが大きい「観光地化」にはもろ手を上げながら、他方で当事者の生活や先住権を先送りする姿勢は言語道断である。
 最後に、知里幸恵が『アイヌ神謡集』に寄せた序文を引用する。
 その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。
 繰り返すがアイヌの人々は、土地も言語も文化も奪われ、日本人に同化することが幸福だと教育され、差別されてきた。「なんという幸福な人だち」を差別した当事者は、政府と、和人=日本人である。これは決して「価値観の相違」などではない。突きつけられているのは、私達の側である。
【注】
(1) 新谷行『増補 アイヌ民族抵抗史』三一書房、1977年、199頁。
(2) 北海道新聞社社会部編『銀のしずく』北海道新聞社、1991年、34頁。
(3) 菊池勇夫『蝦夷島と北方世界』吉川弘文館、2003年、287頁。
(4) 花野雄太「アイヌ民族から土地取り上げた→与えた 教科書記述変更」(朝日新聞デジタル)https://digital.asahi.com/articles/ASJ1N45K8J1NIIPE00R.html  閲覧日:2020年8月4日。
(5) 平田剛士「アイヌ英雄像差し替えが暗示する政府の“だまし撃ち”」(週刊金曜日オンライン)http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/11/21/antena-370/ 閲覧日:2020年8月10日。
(6) 「シャクシャイン像の喪失を生んだ行政の怠慢と責任」(北方ジャーナル)http://hoppo-j.com/corporation_iss.html?ISS=2019_12_1 閲覧日:2020年8月10日。
(7) 新谷行『増補 アイヌ民族抵抗史』三一書房、1977年、300頁。
(8)丸山ひかり「アイヌ差別の歴史に持論 萩生田氏『価値観違いあった』」(朝日新聞デジタル)https://digital.asahi.com/articles/ASN7B5GDXN7BUCVL00V.html 閲覧日:2020年8月10日。
(9) 鈴木誠「文科相、明確な謝罪避ける アイヌ民族『価値観の違い』発言」(北海道新聞 どうしん電子版) https://www.hokkaido-np.co.jp/article/449490 閲覧日:2020年8月12日。
(10)野村浩也『増補改訂版 無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』 松籟社、2019年、200-201頁。
(11) 「北海道新聞」2020年8月10日 朝刊。
(田中駿介 慶應義塾大学法学部4年)
https://news.livedoor.com/article/detail/18728748/

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地域のアイヌ文化知って 郷土資料館でパネル展 新冠

2020-08-14 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020/8/13配信
 新冠町郷土資料館主催の企画展「新冠のアイヌ文化を知ろうパネル展」が、同館ロビーで開かれている。入場無料。9月5日まで。  白老町にアイヌ民族共生象徴空間「ウポポイ」がオープンし、アイヌ文化が注目される中、ふるさと新冠の「地名や史跡」…
この続き:393文字
ここから先の閲覧は有料です。
https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/26226/

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シューズブランド「フラワーマウンテン」が写真家の森山大道と初コラボ 

2020-08-14 | アイヌ民族関連
WWD 8/13(木) 21:00配信
日本発シューズブランドの「フラワーマウンテン(FLOWER MOUNTAIN)」は、写真家の森山大道とのコラボスニーカーを発表した。2021年春に公開予定のドキュメンタリー映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道」と同時期にローンチする。森山がシューズブランドとコラボするのは今回が初めて。
コラボスニーカーは全2型。同ブランドの定番モデル“パンパス(PAMPAS)”と、アイヌ民族の履物ストゥケレをモチーフにしたアッパーのレース使いで、快適なホールド感とデザインが特徴の“ライキリ(RAIKIRI)”に、森山が手掛けたスナップショットを反映させた。 “パンパス”は3デザイン(各2万円)、“ライキリ”は2デザイン(各2万3000円)をそろえた。
9月5日~10月31日には、美術展「KEEP WALKING PROJECT-DAIDO MORIYAMA× 『フラワーマウンテン』スニーカーズ エキシビション」を北海道・札幌のアイエルエーギャラリー(ILA GALLERY)で開催する。
「フラワーマウンテン」は、OEMのシューズデザインなどを手掛けていた太田圭輔デザイナーが中国・北京在住のヤン・チャオ(Yang Chao)デザイナーと共同で2015年にスタートしたブランド。自然の動植物から切り出した情景をコンセプトに、ハンドメイドで製作する独創的なデザインが特徴だ。
森山は1938年大阪生まれ。岩宮武二、細江英公のアシスタントを経て64年に独立。写真誌などで作品を発表し続け、67年「にっぽん劇場」で「日本写真批評家協会新人賞」を受賞。2012年にはニューヨークの国際写真センター(ICP)が主催する「第28回インフィニティ賞」生涯功績部門で日本人として初受賞。同年、ウィリアム・クライン(William Klein)との2人展「William Klein+Daido Moriyama」をロンドンのテート・モダン(Tate Modern)で開催した。また18年にはフランス政府より芸術文化勲章「シュヴァリエ」が授与されたほか、19年にハッセルブラッド財団国際写真賞を受賞している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/53bf04cc520e4f9c933b2ec52f0f5bfa61358c09

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道庁赤れんが休館、5年半に延長 北海道のシンボル 五輪延期で改修再延期、完成は25年3月

2020-08-14 | アイヌ民族関連
北海道新聞 8/13(木) 17:30配信
 道は、来夏に延期された東京五輪マラソン札幌開催のため、マラソンコース沿いの道庁赤れんが庁舎改修工事の工期をさらに1年延期し、当初案より2年遅い2025年3月の完成を目指す方向で調整していることが12日、分かった。札幌開催が決定した昨年11月に続き、2度目の工期延長となる。事業費約43億円は大きくは変わらない見通しだが、休館期間は当初予定の3年半から、5年半に延びることになる。
 改修工事は今年1月から耐震補強のための調査に着手。当初は4月に本格工事に着手し、23年3月完成予定だったが、昨年12月、五輪マラソン時に庁舎を道都のシンボルとして世界にPRするため、本格着工を21年4月に、完成を24年3月に先送りした。今回の再延期によって22年4月本格着工、25年3月完成となる。
 休館は昨年10月から始まっており、長期化によって道民の親近感が薄れることが懸念されるため、五輪期間中に一般公開し、アイヌ文化や観光情報を発信するスペースを設ける。近くの札幌駅前通地下歩行空間などと連動して北海道の食と観光もアピールする。このほかにも、工事が本格化する前に一般公開する機会を複数回設ける方向で検討している。
 東京五輪開催の可否の判断は早くて10月中とされ、政府内には来春との見方もある。仮に開催が中止された場合でも、庁舎改修の工期を早めるのは、作業員や資材の確保に半年程度を要する上、経費削減で冬場は工事を避けるため、困難とみられる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bf1ca7db4068142aaff38d01dbb6f380e3fce86f

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赤れんが改修、再延期へ 道、五輪延期で 完成は24年度末に

2020-08-13 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/13 05:00
 道は、来夏に延期された東京五輪マラソン札幌開催のため、マラソンコース沿いの道庁赤れんが庁舎改修工事の工期をさらに1年延期し、当初案より2年遅い2025年3月の完成を目指す方向で調整していることが12日、分かった。札幌開催が決定した昨年11月に続き、2度目の工期延長となる。事業費約43億円は大きくは変わらない見通しだが、休館期間は当初予定の3年半から、5年半に延びることになる。
 改修工事は今年1月から耐震補強のための調査に着手。当初は4月に本格工事に着手し、23年3月完成予定だったが、昨年12月、五輪マラソン時に庁舎を道都のシンボルとして世界にPRするため、本格着工を21年4月に、完成を24年3月に先送りした。今回の再延期によって22年4月本格着工、25年3月完成となる。
 休館は昨年10月から始まっており、長期化によって道民の親近感が薄れることが懸念されるため、五輪期間中に一般公開し、アイヌ文化や観光情報を発信するスペースを設ける。近くの札幌駅前通地下歩行空間などと連動して北海道の食と観光もアピールする。このほかにも、工事が本格化する前に一般公開する機会を複数回設ける方向で検討している。
 東京五輪開催の可否の判断は早くて10月中とされ、政府内には来春との見方もある。仮に開催が中止された場合でも、庁舎改修の工期を早めるのは、作業員や資材の確保に半年程度を要する上、経費削減で冬場は工事を避けるため、困難とみられる。
 赤れんが庁舎は1888年(明治21年)に道庁本庁舎として建設。1968年に創建当時に近い姿に復元され、69年に国の重要文化財に指定された。近年の来場者は年間約70万人。改修後は新たに飲食店や道産品ショップが入る。(村田亮)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/449913

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ンガリゴ族の血を引く世界1位のバーティーが、テニスを通じて先住民問題に取り組む

2020-08-13 | 先住民族関連
THE DIGEST 2020年08月12日 20時54分

アボリジニの女性がテニスで世界1位になったのは、1976年のイボンヌ・グーラゴングさん以来。バーティーは、現代のオーストラリア先住民の象徴的存在だ。(C)GettyImages
先日、全米オープンの欠場を発表した女子テニス世界1位のアシュリー・バーティー。彼女は、この決断により生まれた空き時間を利用して、母国オーストラリアの社会問題に手を差し伸べているようだ。
 現在、オーストラリアには様々な先住民コミュニティーが存在しているが、その多くが健康水準や教育水準の格差、雇用率などの問題を抱えているという。そしてバーティー自身も、オーストラリアの先住民族ひとつ『ンガリゴ族』の血を引いている。
 そのことから、テニス・オーストラリアの『先住民テニス・アンバサダー』という役割を担うバーティーだが、活動の一環として、クイーンズランド州の先住民テニスプレーヤーの子どもたちとテニスを通じた交流を行なったという。その際の様子を、テニス・オーストラリアの公式サイトが紹介した。
「いろいろな年代の子どもたちに、何歳であっても成長できるということ、スポーツが人と人との繋がりを生むということを学ぶ機会が与えられるのは、本当に特別なことです」と話すバーティーは、子どもたちとのラリーを楽しんだ後、彼らとのトークセッションを設けた。
 テニス・オーストラリアは先日、先住民族のテニス教育のために11万5000豪ドルを出資すると発表。バーティーはこれについて「大きな足がかりになるはず。テニスだけじゃなく、教育や経験、様々なチャンスを見出すための道しるべになる」と希望を覗かせた。
 Ⅱ型糖尿病や、心臓病といった疾病が増加しているというオーストラリアの先住民族だが、これらの発症率には、日常的な運動が大きな違いを生むことは広く知られている。バーティーやテニス・オーストラリアの、テニスをベースとした取り組みが、彼らの生活に良い影響を与えることを期待したい。
文●誉田優
フリーライター。早稲田大学スポーツ科学部卒業。
Twitter:yu__honda/Instagram:yu__honda
https://news.nifty.com/article/sports/tennis/12290-758482/

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「コーヒーで世界を変える」麻薬地帯で極上の豆を

2020-08-13 | 先住民族関連
テレ朝 8/12(水) 23:28配信

 私たちが飲んだ1杯のコーヒーが誰かの人生を変える。タイの麻薬製造地帯など貧困地域を極上のコーヒー豆の生産地に生まれ変わらせる日本人男性がいます。世界が注目する「コーヒーハンター」の思いとは。
 これは1杯のコーヒーが遠く海を越えて、皆さんに届けられるまでのお話です。タイ最北部・チェンライ。人里離れたこの森の中では、真っ赤に色付いた「ドイトゥン」コーヒーが栽培されています。村人に指導するのは川島良彰さん。川島さんは世界中3000近くのコーヒー農園を巡り、希少なおいしい豆を探し求める姿からコーヒーハンターと呼ばれています。川島さんは世界各地での現地指導などの活動が認められ、「世界が尊敬する日本人100」にも選ばれた人物です。ドイトゥンコーヒーは日本にも輸出されていて、新型コロナウイルスの影響で「おうち時間」が増えたこともあり、日本での売り上げも伸ばしています。
 しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。30年前は大地は枯れて一面、茶色の世界でした。その理由は、麻薬“アヘン”の原料となるケシ栽培が行われていたからです。この地帯は、古くから“ゴールデントライアングル”と呼ばれる世界有数の麻薬製造地帯でした。そして、村人の多くは貧困から数世紀にわたってアヘンの製造をなりわいとしていました。
 こうした状況にタイでは王室プロジェクトとして、ケシ栽培からコーヒー栽培への転換に乗り出したのです。しかし、素人の村人たちにおいしいコーヒー豆を作ることはできず、そこで救いを求められたのがコーヒーのプロ・川島さんだったのです。世界中を飛び回る忙しい日々の合間を縫って年に数回は現地に通い、一から苗作りを指導、タイの気候に適した新しい品種を取り入れ、少しずつタイ人スタッフからの信頼を得ることができたのでした。そして、いつしかタイのドイトゥンコーヒーは東南アジア有数のコーヒー豆とまで言われ、JALのバンコク-日本便に採用されるまでに認められたのでした。
 「生産者と消費者の架け橋になりたい」と語る川島さん。その思いは遠く離れた日本でも、実を結ぼうとしています。日本のおもてなしと伝統ある庭園で知られる八芳園。提供するコーヒーはすべて、川島さんが選んだグアテマラの豆です。グアテマラのコーヒー農園では、貧困にあえぐ先住民族の子どもや労働者のために売り上げを無料の学校や診療所の建設に充てています。そして、川島さんがこの豆を選んだ最大の理由、それは最高品質のコーヒーの味にほれ込んだからです。川島さんは、この農園の豆を国際市場の3倍以上の価格で購入し続けています。そして、話を聞いた八芳園もコストは増えるものの、「よりおいしいコーヒーをお客様に届けたい」との思いから去年9月より全館で採用することを決めました。八芳園内にあるカフェなどの売り上げの一部もまた、グアテマラ現地で無料診療所建設のサポートなどに使われています。
 1杯のコーヒーが紡いでいく思い。
 コーヒーハンター・川島良彰さん:「かわいそうな人が作ったから買ってあげましょうというのはチャリティーですから。これだけおいしいものを作ったんだから、それだけの価値があるコーヒーだからそれに見合った金額を払う。そのお金を払うことによって、彼らは貧困から脱出することができる。コーヒーが変われば世界を変えることができるんじゃないかと」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8e2b476dac1393c1241667e306d65f32b1aff26

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白老 ウポポイ開業1カ月 来場3万5000人 博物館4割見学せず 入館制限の影響か  

2020-08-13 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020/8/12配信
 国がアイヌ文化の復興と発信の拠点として白老町のポロト湖畔に整備した民族共生象徴空間(ウポポイ)は、12日で開業1カ月を迎えた。アイヌ民族をテーマにした初の国立博物館を中核とした施設の来場者は、10日までに3万5000人を超え、先住民族アイ…
この続き:1,557文字
ここから先の閲覧は有料です。
https://www.tomamin.co.jp/article/news/upopoi/26128/

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「日本一」「差別や偏見の展示が少ない」割れる"アイヌ民族"の思い…ウポポイ開業1か月で見えてきた課題

2020-08-12 | アイヌ民族関連
UHB 2020年8月11日19:40

 アイヌ文化の発信拠点「ウポポイ」の開業から8月12日で1か月を迎えます。
 修学旅行の予約が殺到するなど好調な滑り出しとなった一方で、浮き彫りとなったのがアイヌ民族同士の意見の違い。施設の展示について評価が大きく分かれています。
 新型コロナウイルスの影響で開業が2度も延期に。アイヌ民族が待ちわびた瞬間は2か月半遅れで訪れました。
 開業から1か月を迎えた民族共生象徴空間「ウポポイ」。北海道内初の国立博物館、伝統舞踊などを見学できる民族共生公園、慰霊施設などが整備され、アイヌ民族の歴史を伝えます。
 現在はコロナ対策で入場できる人数を制限していますが、週末は約1500人が訪れ、修学旅行の予約数も2020年度は約700校と好調な滑り出しです。
 神戸からの来館者:「アイヌの新しい博物館ができたと聞いて楽しみにきました」
 北海道内からの来館者:「子どもたちに北海道のアイヌの文化を知ってもらいたいと思ってきた」「楽しかった」
 北海道アイヌ協会 加藤 忠 前理事長:「対話と交流を通してこの博物館とウポポイができたと信じている」
 北海道アイヌ協会の加藤忠さん。アイヌ民族最大の組織「北海道アイヌ協会」で長年理事長を務め、政府に対しアイヌの歴史や文化を伝える必要性を訴え、ウポポイの開業に尽力してきました。
 北海道アイヌ協会 加藤 忠 前理事長:「これ全部サクラだから。これ全部サクラの木だから。自然とアイヌの関係なの」
 開業を見届けた現在、後任のサポート役となり、地元・白老町で暮らしています。
 北海道アイヌ協会 加藤 忠 前理事長:「よくやってくれたなと思って。見た人聞いた人の話、非常に好評。過去とは違うんだ」
 加藤さんはアイヌの発展には「文化の浸透」が第一と考えています。
 北海道アイヌ協会 加藤 忠 前理事長:「ムックリの材料、ネマガリダケを植えれと。ウポポイのところに植えてあるの。入ってきた時からそういう(アイヌ文化の)話ができるようにしてあるの」
 施設の入り口からこだわりが。自然とともに生きてきたアイヌ文化を伝える上で、最も強い思い入れがあったのは[
慰霊施設]
でした。
 北海道アイヌ協会 加藤 忠 前理事長:「慰霊施設のところのモニュメント。27メートルの高さで、あれはパスイ(アイヌの祭具)だから。酒を供養するパスイ。神にお願いするパスイ。(先祖に)届けてやりたいって思い。盗掘されたりなんだりしてるから、そういう人にどうあるべきかっていう思いをあれに託した」
 先祖を供養する儀式などで使われる祭具、イクパスイ。人と神・カムイを結ぶ重要な役割を持ちます。
 そんな先祖を敬うアイヌ民族の墓を、かつて大学が研究のために掘り起こし、遺骨を収集しました。北海道内各地で返還を求める訴訟が起きていて、北海道大学にも116体の遺骨と、一体が特定できない遺骨53箱が今も残されたままになっています。返還された遺骨がウポポイに集約されています。
 北海道アイヌ協会 加藤 忠 前理事長:「徐々にそのことは(遺骨問題は)解決していけばいい。私はあの施設自体が日本一だと思っているから、先祖もそこで喜びをもらっていると感じている」
 一方で、白老町に遺骨を集めることに反対する人もいます。
 アイヌの参加者:「なぜ、ウポポイ(白老に)アイヌの遺骨が集約されないといけないのか。(ウポポイに)行けない」
 さらに、もう一つ。ウポポイを巡り割れる民族の思い…。
 8月、札幌市で開かれたシンポジウムで意見を交わす人たちの中に、人一倍「悔しさ」をにじませるアイヌがいました。
 清水 裕二さん:「150年いじめられてても我慢していればよかったんだ。博物館作ってやるから一緒に共生して社会を作ろうよって言われたようなもの」
 清水裕二さんです。清水さんは、博物館に差別や偏見の歴史に関する展示が少ないと語ります。
 清水 裕二さん:「自分がアイヌであることを忘れて見たら、ただばーっと見て歩くと思う。アイヌがつらい思いをしてきたことが何も知らされていない」
 両親がアイヌの清水さんは小学生の頃、同級生にアイヌであることをののしられました。
 教師になってからもアイヌであることを理由に担任を外されるなど、40年間差別や偏見にさらされてきたと言います。
 清水 裕二さん:「中学生・高校生が修学旅行で来るのは大いに結構だけど、その裏をきちんと勉強できるようにしてほしい。本来であれば博物館ってみるだけで勉強できるはずなのに勉強にならないと言わざる得ない」
 アイヌ民族が生きたあかしとなるはずだったウポポイ。その「象徴」が早くも揺らいでいます。地域ごとや考え方ごとで設立された団体は50近くに上り、どの団体も主張は様々。アイヌ民族の声を誰も代表できていないといいます。
 北大アイヌ・先住民研究センター 北原 モコットゥナシ 准教授:「家族環境によって経験が大きく違っているので、切実に求めているものにも違いがある。アイヌの全体をカバーする団体もないし、いろんな立場の声を反映する仕組みっていうのはまだ整っていない」
 ウポポイのオープンで改めて浮き彫りなった課題。ありのままのアイヌの歴史や文化をどう語り継いでいくのか…。これからも模索が続いていきます。
https://www.uhb.jp/news/single.html?id=14196&fbclid=IwAR2zBf_RhVhE0bERO6h-fVkTH8yDp4AyNZtpUKOHUOnPsqLYnrtcO1zWLzk

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「民族共生象徴空間」(ウポポイ)になぜ慰霊施設があるのか

2020-08-12 | アイヌ民族関連
それは研究を名目とした墓あばきを免罪する
論座 2020年08月05 杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)
 7月12日、アイヌに関わる「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(以下便宜的に「公園」と略す。愛称ウポポイはアイヌ語で「(大勢で)歌い合う」意味だという)が開園した。北海道の空の玄関口・新千歳空港からそう遠くない白老(しらおい)町に、200億円もの経費をかけて造成された施設である。
「民族共生象徴空間」(ウポポイ)がオープンし、アイヌ古式舞踊が披露された=2020年7月12日、北海道白老町
背景と現実
 公園開設の背景にあるのは、「先住民族の権利に関する国連宣言」(2007年)と、それを下になされた、アイヌ民族を「先住民族」と認めるよう求める国会決議(2008年)である。後者をふまえて設置された「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の報告書(2009年)が、「民族共生の象徴となる空間の整備」を提言したことから(報告書33-4頁)、同公園の開設にいたった。
 ただし国連宣言の精神は、国会決議・懇談会報告書を通じて骨抜きにされた。同公園は国連宣言とは縁遠い施設にすぎない。アイヌとの現実の共生――和人の側が設定した共生ではなくアイヌの要求に基づくそれ――を実現せず、「象徴」施設のみを造ってよしとする日本政府のやり方は、国際的に通用しない。
私がえた感触と本質的な問題性
 もちろんこう言って一蹴するのは早計である。開園後、私は公園を見学することにした。
 園内では、興味深いことにアイヌ語が「共通語」であり、各種掲示は――手洗い内の注意書きから花壇の植物名まで――まずアイヌ語で記されている。職員はアイヌ語の愛称を持っており、それで互いを呼び合う。職員にはアイヌも多く、「私たちアイヌは」と自己紹介する。しかも同公園は、以上の経緯に見るように国立である。
 これらの事実を通じ、アイヌは自らと自らの文化に誇りをもち、それがアイデンティティのよりどころとなりうるのではないか、また和人は、アイヌを差別・排除してきた意識下の偏見を見直し、みずからの差別・排除の姿勢を変えうるのではないか――同公園を見学しつつ、私はそうした感触をえた。
 だが、やはり問題がある。アイヌが己の文化や己自身に誇りが持てないできたのは、和人政府による非人道的な同化政策の結果だったのに、その根本的な事実がここからはほとんど見えてこないからである。
 この点を、1、公園に隣接する高台に併設された広大な「慰霊施設」と、2、公園内に設置された「国立アイヌ民族博物館」の歴史展示に即して、2回にわたって論ずる。
 なお、一般にアイヌ民族をさす場合、以下に見るように「アイヌの人々」と書かれることが多いが、本稿では、「人間」しかも「誇りある人間」という、「アイヌ」という呼称がもつそれ自体誇りある語義をふまえ、単に「アイヌ」と記す。
なぜ慰霊施設があるのか
 「慰霊施設」は、公園のHPによれば、「(1)アイヌの人々の遺骨等について、関係者の理解及び協力の下で(2)集約し、アイヌの人々による(3)尊厳ある慰霊の実現及びアイヌの人々による(4)受入体制が整うまでの間の適切な管理を行うための施設」だという(強調および数字挿入は筆者)。
 そもそも、そうした宗教施設を政府が設置したという事実が、信教の自由という憲法原則とどう関係するのかについて論ずることは、残念だが私にはできない。むしろここでは、なぜこうした施設が建てられたのか、その運営方針に問題はないのかについて、論じたい。
アイヌ墳墓の盗掘・発掘
 公園HPでは、唐突に(1)「アイヌの人々の遺骨等」と書き始められているが、そもそもなぜ「遺骨等」が問題になるのか、またなぜその(2)「集約」が行われたのかを、この説明は語らない。
 慰霊施設も、「有識者懇談会」(前述)の提言に発する。そこには、「過去に発掘・収集され現在大学等で保管されているアイヌの人骨等」云々と記されているが(前掲34頁)、発端に、「発掘・収集」といった平穏で地味な営みがあったのではなく、研究に名を借りた、盗掘という非人道的な所業があったのである。しかも大学等で「保管されている」(報告書)といっても、遺骨はしばしば雑な仕方で放置され、ほとんどは誰のものか、どの地域のものかは特定されず、時には頭骨と四肢骨がばらばらにされてしまい、遺骨に対して敬意をもった扱いがなされていたとはとうてい言えない状態であった。
 それらを返還するよう、各地のアイヌ団体は80年代から北大を始めとする大学等に対して要求してきた。しかし埒(らち)が開かなかったため、アイヌ側は2010年代になると返還を求めて提訴するにいたった。そうした動きも踏まえつつ、政府は2018年12月、「大学の保管するアイヌ遺骨等の出土地域への返還手続に関するガイドライン」を決定した。
 政府が、遺骨返還を大学まかせにしなかったことは一歩前進である。だが、ガイドラインには本質的な問題が含まれる。
・・・ログインして読む
(残り:約2465文字/本文:約4549文字)
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020080400009.html?fbclid=IwAR23fxJ4zWulZj0T7LYT2L-sLr_K-DUFxCgDVPRFmHu1HyvaUNZK3R9wmVg

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文科相、明確な謝罪避ける アイヌ民族「価値観の違い」発言

2020-08-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/11 17:57
 萩生田光一文部科学相は11日の閣議後会見で、アイヌ民族への差別を「価値観の違い」などと述べた自身の発言について、アイヌ民族らでつくる団体が謝罪を求めていることに対し「アイヌ文化にしっかり寄り添って支援をしていきたいという気持ちに変わりはない」と述べるにとどめ、明確な謝罪を避けた。
 道内外のアイヌ民族でつくる2団体は、7日に萩生田氏の発言はアイヌ民族へのヘイトスピーチ(憎悪表現)を助長するなどとして、正式な謝罪を求める申し入れ書を文科省などに提出している。萩生田氏は会見で、謝罪するかどうか2度問われたが明確に答えなかった。(鈴木誠)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/449490

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アイヌ民族の遺骨、東大が6体返還へ

2020-08-12 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2020年8月11日 9時24分
北海道浦幌町のアイヌ民族の団体「ラポロアイヌネイション」(旧浦幌アイヌ協会、長根弘喜会長)が、東京大学を相手取り遺骨返還などを求めた訴訟が7日、釧路地裁で和解した。東大が保管していた遺骨6体が20日にも返還される。
 原告側代理人によると、この6体を含め、同団体が道内外の大学に求めていた遺骨計102体のすべてが返還されることになる。
 訴状によると、1888年に東京帝大(現東大)教授、1965年に東大教授がそれぞれ、研究用と称して浦幌町のアイヌ集落の墓地を掘り返し、遺骨6体分と副葬品を持ち去った。このため、その子孫たちは慰霊行為が妨げられ、憲法が保障する「信教の自由」が侵害されたとして、50万円の損害賠償も求めていた。
 原告側代理人によると、和解内容は▽東大が6遺骨と副葬品を同団体に返還▽東大が墓地造成費用、遺骨運搬費用などを負担▽同団体はその他の請求を放棄する――というもの。
 遺骨は18~20日に東大から移され、22日に同団体がアイヌの神事「カムイノミ」などを行い、町内の墓地に再埋葬する。
 旧浦幌アイヌ協会の元会長・差間正樹さん(69)は「先祖を慰霊するという当たり前のことがやっと認められた」。長根会長(35)も「先祖を敬う気持ちでカムイノミをこれからも続けていきたい」と話した。
 東大本部広報課は取材に対し、「当事者間の合意に基づき、今般、和解するに至りました。なお、個別の取材には対応いたしかねます」と述べている。(宮永敏明、中沢滋人)
https://digital.asahi.com/articles/CMTW2008110100002.html?pn=5

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