自分の音楽史(大げさ!)を振り返ってみると、20代の頃はベートーヴェン、30代~50代にかけてはモーツァルトだったが、最近になって再びベートーヴェンが身近に感じだした。
彼の作品を読み解くカギはもちろん「苦悩を通じての歓喜」にあるが、ややもすると時折わざとらしさ、説教臭さが鼻につくことがあったのだが、最近ではそういうものが気にならなくなり、何かしら「敬虔な祈り」のようなものがより一層感じられるようになった。
急にオーディオの話になるがサブウーファーを追加して低域の伸びが良くなり音楽の印象が変わったせいかもしれない。
とりわけ今回取り上げる第6番「田園」はフィナーレが神々しいほどの啓示に満たされる。自然をこよなく愛したベートーヴェン自らが表題を田園(「パストラル・シンフォニー」)と名づけ「音で描かれた風景画」をイメージとして作曲、とはいいながらもやはり底流には人間の苦悩と精神の回帰がテーマになっているのはいうまでもない。
ベートーヴェンの代表作の一つであることから愛好家も多く、愛聴盤として紹介するのは今更という感じだがやはりこの曲を避けていては自分の音楽史は語れない。
在職中によくスランプに陥ったときにこの曲を聴いて随分開放的な気分に導かれ、癒し効果もあっていわば精神安定剤的な役割を果たしてくれた想い出深い曲。
ベートーヴェンの交響曲の中でやや毛色が変わったこの曲はこれまでの伝統を破って五つの楽章で作られ、各楽章にはそれぞれ内容を暗示する表題がついている。
第一楽章 「田舎に着いたときの晴れやかな気分のめざめ」
第二楽章 「小川のほとりの情景」
第三楽章 「田舎の人たちの楽しいつどい」
第四楽章 「雷雨、嵐」
第五楽章 「牧人の歌~嵐のあとの喜びと感謝の気持ち」
このうち、特に印象的なのは第五楽章。
嵐が去ったあとの美しい田園風景の描写と嵐を切り抜けた感謝と喜びの讃歌が高らかに歌われていく。
いろんな聴き方があるのだろうがこの自然への讃歌の部分がこの曲のクライマックス。「音楽は哲学よりもさらに高い啓示」と言ったベートーヴェンの面目躍如たるものがある。人間とか人生についての大きなテーマが常に作曲者に内在していないと、まずこういう音楽は創造できない。
現在の自分の手持ちの盤は次の4セット。
①ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー
録音1953年
②オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
録音1957年
③ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
録音1958年
④ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ドレスデン・シュタツカペレ
録音1977年
① ② ③ ④
次にMさんからお借りした盤が次のとおり7セット!
⑤ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ウィーン・フィルハーモニー
録音1968年頃
⑥ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルト・ヘボー
録音1985年
⑦ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団
録音1985年
⑧ヘルベルト・ケーゲル指揮 ドレスデン・フィルハーモニー
録音1989年
⑨カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ベルリン・フィルハーモニー
録音1990年頃
⑩カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ミラノ・スカラ座・フィルハーモニー
録音1991年
⑪デビッド・ジンマン指揮 チューリヒ・トンハーレ・オーケストラ
録音1997年頃
⑤ ⑥ ⑦ ⑧
⑨ ⑩ ⑪
以上、計11セットの大掛かりな試聴となってしまったが、名曲「田園」にはこれくらいの選択肢がふさわしい。
名だたる指揮者が録音しているわけだがこれほどの名曲で、それもシンフォニーにともなると弦の厚みとスケール感によって少々の演奏のまずさはカバーしてしまうのでそれほどの差は出にくい。聴きどころの第二楽章と第五楽章にしぼって聴いてみた。
【試聴結果】
①芒洋として盛り上がりに乏しい印象
テンポが遅くて重々しい印象で田園のテーマにそぐわない気がする。フルトヴェングラーのベートーヴェンは定評があるが、こと6番に限ってはそうでもない。やはり風景画的雰囲気とは相性が悪そうで、もっと人間臭いドラマが合っている気がした。
②明るい色彩、濃淡のはっきりした油彩画の趣
なかなかの好演で聴かせるものがある。弦楽器をはじめあらゆる楽器が咆哮し、エンジン全開のイメージで進行する。切なさと力強さが程よく交錯しており演奏が終わったあと「なかなかいいねえ!」と言葉が出た。ただし、5楽章ではもっと神々しさが欲しい。
③自然への感謝を素直に表現した名演
ずっと昔からレコードで聴いてきた盤で、気に入っていたのでCD盤が出ると早速買い直した。滋味あふれ心温まる演奏で音楽の喜びに満ち溢れ、こうやって沢山の指揮者に囲まれても少しも遜色のない光を放っている。
④淡い色彩による水彩画の趣
すべてにわたって中庸という言葉がピッタリ。とりたてて魅力も感じないかわりにアクも強くなく無難な演奏。当たり外れなしというところ。
⑤盛り上がりに欠け長く聴いていると飽きがくる印象
全盛期のウィーン・フィルの弦はやはりいい。オーソドックスだが華麗、きらびやかで音楽に色彩感がある。ただし5楽章が通り一遍で物足りない。もっと神々しさが欲しい。長く聴いているとややマンネリ現象に陥る。
⑥中間色を多用した印象の薄い絵画の趣
ドレスデン・シュターツカペレの第一ヴァイオリン奏者島原早恵女史のウェブサイト「ダイアリー」を見ていたらハイティンクの指揮ぶりを褒めていた。練習で言葉をほとんど発することなく指揮棒だけで団員を納得させるのだという。たしかにこの指揮者の「魔笛」は一級品だった。しかし、この田園になると穏やかすぎて盛り上がりに欠けている印象で、5楽章には少なからず不満が出てくる。
⑦正統派で感動に満ちた田園
襟を正して聴く思いがした。5楽章では自然への讃歌が高らかに歌い上げられ、天上から後光がさしてくるようなイメージ。楽団も絶好調で管楽器のうまさが光る。整然とした演奏ながら情緒もあり神々しさも十分。これは一押しの名盤。マリナー会心の出来で演奏が終わった途端に思わず拍手をしてしまった。
⑧人生を真剣に、そして深刻に考えたい人向き
日本公演(サントリーホール)の記念すべきライブ盤。指揮者ケーゲルは東ドイツの熱心な社会主義者だったが、この最後になる公演のときはベルリンの壁が崩壊する1ヶ月前のことで既にこのことを予知していたとみえてものすごく暗いイメージの田園に仕上がっている。しかし、この演奏には人間の真摯な苦悩が内在していて簡単に捨てがたい味がある。5楽章は秀逸。録音もホールトーンが豊かで気持ちいい。公演当日の聴衆は一生の思い出になったことだろう。うらやましい。ケーゲルはこれから1年後にピストル自殺を遂げたが、イデオロギーの違いで自殺できる人は人間として純粋でホンモノだと思う。
⑨可もなし不可もなし
オーケストラの地を這うような弦の響きにはうっとりとするが取り立てて求心力のある演奏ではない。良くも悪くもないという表現になってしまう。
⑩田園の情景が浮かんでこない演奏
テンポを遅めにしてコクのある演奏だが、田園の情景が浮かんでくるようなイメージに乏しい。何だか曇り空の田園のようで気分が晴れてこない。そういえばイタリアと田園とのイメージがどうも結びつかない。
⑪演奏レベルに問題あり
ときどき管楽器の不発があるのがご愛嬌。聞き流すにはいいが、正面から向き合って聴く田園とは思えない。たどたどしいという印象を受けた。
以上11セットの試聴を終えて、結局のところ、マリナー盤とワルター盤が双璧として印象に残った。ケーゲル盤も捨てがたい味がある。しかし、オーケストラ、音質などを加味するとワルター盤はやや古すぎるのでマリナー盤が自分にとってはベストとなる。
仲間のMさんにこの結果を伝えると、自分もマリナー盤だとのことで意見が見事に一致した。「感性が一緒ですね」と言ったら「血液型は何?」と聞かれたから「O型です」と答えたら「自分もO型だ」といわれた。感性と血液型との関連?ウーン!