
金山町の21日の午前中の運用を終えてアンテナを撤収する時は抜ける様な青空が広がり素晴らしい天気で会った。会津川口まで下り市川さん(JA7BCE)と待合わせのJR只見駅に向かう。現地に着くとモービルアンテナが付いた車が既にお見えに成っており直ぐに解りご挨拶をした。
市川さんは軽四の箱バンで現れた私に少し驚かれた様子で有ったが当然と私も思う。この時点で(徳島を5月15日の早朝出発)徳島を出て既に2ヶ月が過ぎていた。狭い車内泊で長期旅行など中々想像出来ないと思う。移動中は85cm X 2mのコンパネの上に8cmくらいの厚さのエアーマットを敷き、寒い時はスイス陸軍が使用する寝袋に、夏場はパジャマに着替えてエアーマットにバスタオルを敷いて寝るのだが寝袋の場合は身動きの自由が無く「棺おけに入った状態」好きな事とはいえ誰でも辛抱の出来る事では無い。無線で聞くと2ヶ月以上旅行出来て羨ましいと思うかもしれないが?現実は中々大変で有る。其れだけにアイボールし車内を見た人は皆さん同じ事を思うようだ。
此れでも居住空間は改良された方、最初の北海道の1ヶ月の移動運用は旧型のワゴンRの普通の背丈の車、当然フラット・シートでは無いので4ドアの内張りの上部に15cmx7cmの厚板を室内の車幅に切った物を4組作り各、左右のドアの内張りの上部に其々を渡しかけ其の上に1m幅のコンパネに補強したベットに成る板、2組を先程の厚板4枚に渡し掛け其の上で寝る状態であった。
このベットは毎晩寝る前に組上げ、朝は分解しないと運転席に乗れないし、何より大変なのはベットと天井の間が60cm位しか無くベットに入る時はハッチ・バック(後ろのドア)からでないと乗れないし当然、ほふく前進でないと不可、車内では方向転換は基本的に出来ない、遣ろうものなら可也アクロバティックな体の移動をしなければ成らないし、休むにしても顔の上になる天井まで30cm未満の空間しかない状態で有ったが、其の状態でも1ヶ月間の移動運用をやり遂げた。
今回の居住空間は寝たいと思えば何処でも直ぐ横に成れるし 以前の様に寝床を作る為に荷物の移動もせずに出来る等、初年度の事を思うと別世界で有る。最初の移動車のワゴンRの車内の中央部に渡した厚板は2枚のコンパネが合わさる所で当然に分解式なので釘止めは出来ず 寝像の悪い私は暴れた時、コンパネ板の片方のどちらかが厚板から外れ、谷から落ちる夢を何回か見る事と成った。
北海道の道の駅に泊ると翌朝にキャンピング・カーや車中泊用に自分で改造した車の品評会や自慢大会が始まるが、決して自分から見せる事は無かったが車内にカーテンが無かったので朝に成ると向こうから丸見え、嘲笑を込めて「独創的なベットやなぁ~」と冷やかされたが財力の無い者は工夫するしか無い、そんな事で怯む私では無かったし、好きな事をしているので不便を我慢する事等、全然気に成らなかった。
市川さんからは只見町で運用するので有れば所有の土地を使う様に地図も戴いたが最終的に時間の余裕が無く60里越峠で福島県に別れを告げ東北地方の移動を終わり新潟県側に入った。新潟の長岡に向かったのは諸我さん(JA0CAC)に会う為、東北に向かう前に御会いしたのだが大変御世話に成ったので土産話と報告を兼ねて御伺いした。諸我さんは私と同世代だが お空で会った時は落ち着いた話し方で私より可也先輩と思っていたのだが御会いすると若々しく何と言っても人柄が大好きだ。また御夫婦で全国を旅行して楽しんで居られるので共通の話題も多い。長岡に行くと名物の蕎麦を御馳走に成り暖かく迎えてくれる。この時も家まで押しかけ御夫婦と談笑し長時間に渡り御邪魔した。別れ際に再会を約束したが昨年の秋も(2011年10月)長岡に御邪魔して親交を深めている。私としては「長岡の兄貴」的存在と成っている。
夕方頃、御別れして長野に向かったが諸我さんの勧めで途中の十日町市の「千手温泉・千年の湯」を紹介されたが良く解らず通り過ぎてしまい。長野に其の日の内に入る必要が有った為、地理の良く解っている野沢温泉まで車を進め温泉に入り其の一角で車中泊し翌日、次に御会いする人が居る長野市へと向かう事とした。