私の全国への旅と言っても其の旅の目的の大半は無線の移動運用が目的であった。然し私の移動運用地の選定は其の大半が全国の過疎の町村が対象で在ったので関東エリアの7都県の中には其の対象地は殆ど見当たらなかった。然も全国でアマチュア局数が一番多いエリアだけに近隣の県を移動運用で走り回る局も多く、四国の田舎者が態々遠征する理由も無かった。処が数年間に渡り全国を行脚する内に此処まで来たら「ワンマン WAJA」(日本全都道負県からの移動運用)を完成してみたくなった。
私は学生時代にアマチュア無線に興味を持ち牛歩の歩みで今日までアマチュア無線を続けて来たが如何した事か?アワード関係には全く興味は無かったが生涯で日本国内の全市全郡全町村から運用する局とDXCCで定められた全世界との交信を完成する目標を持って臨みリタイヤ前に其の目標は如何にか達成する事が出来た。然し此の程度の目標を達成した人は幾等難度が高いとは云え少なくても確りした目標を持ってアマチュア無線を50年近く続けて居れば完成する人は何処にでも居て然程に余り難しい目標には思えない。処が此の目標に更に「ワンマンWAJA」の供給側としての目標達成と成れば全国広しと云えども10本の指で間に合うのではないかと思う。単なるWAJA、47都道府県の局と交信するアワードを完成する事は時間の問題だけで意図も簡単な事だが此れを供給する側で(自分が47都道府県を回って運用する事)挑戦すると成ると此れは結構ハードルが高い。
私が移動運用を始めたのは比較的後発で2006年頃から徐々に始めていたが本格的に全国を移動運用する様に成ったのはリタイヤした2008
年からで遅かった。其処で移動運用の後発組として他局と違った特徴を出す為に移動運用場所は出来るだけレアーな町村に限定し余程の事が無い限りは市からの運用は行わなかったし当時全盛期であった道の駅からの運用は殆ど遣らなかった。運用は基本的に1日に1箇所と定め其の理由は大きく二分される朝型運用が中心の局と其れ以外の運用スタイルの局とに交信に対する差が付くのを無くする為に無線運用は朝と夕方に同じ場所で可也の長時間に渡る運用とした。そして何よりも意識した事は移動運用期間を出来るだけ長期に計画し「此の局は珍しい町村を長期で回り、余程の事が無い限り呼掛ける局が無く成るまでは閉局はしない」印象と「此の局は保々毎日連続運用している様だが明日は何処から出て来るのだろうか?」と呼ぶ側に先ず興味を持って貰う事に撤した。最初の2009年の北海道からの1ヶ月の運用は此方の目論見が十分に周知されて居なかったが運用が終わって受け取ったQSLには此れ等の運用面に関する反応が沢山書き込まれて居て移動運用の遣り方に間違いが無い事を確信し、次の2010年の2ヶ月半に及ぶ長期移動運用時には何れの地でもパイルアップの連続と成った。そして此の移動運用中に7,8エリアの局から九州と特に沖縄県とのQSOが中々大変なお話と運用の依頼を多く聞いたので次の2011年は沖縄本島と与論、沖永良部、徳之島、奄美大島、九州本体、隠岐方面を廻る事とし、其の移動運用の過程で段々と今後の目標が自分の中で大きく成りやがて日本全国を回る「ワンマン WAJA」の目標や計画が少しずつ現実味を帯び始めた。
前記にある様にアワードに全く興味が無かった私は料金を払ってまでアワード申請する気持ちが無かったので当然な事として私が長年続けて来た努力が形や公式記録に残る事は全く無かったが「ワンマン WAJA」のアワードは私と全都道府県からの移動運用場所で交信達成出来た何方かが申請すれば其の供給者側にも自動的にアワードが発行される特権が与えられて居り「自分からは何もしなくても頂けるなら良いか?」と思い。私の移動運用感とは一寸隔たりのある1エリア(関東方面の)内の移動運用の計画を始めたが大都会の見知らぬ土地で運用地を探す難しさや私の運用パターンである3.5MHz帯のフルサイズのアンテナで運用する移動運用には可也の難しさがあり最初の予定の4年間で完成する予定が実際は遅れる事2年の2014年の7月26日の神奈川県足柄上郡山北町(JCG-11002E)の移動運用で漸く完成した。
関東各地からの運用は何れの移動運用地探しにも可也梃子摺ったが群馬県に関しては比較的スムーズに進み群馬県多野郡上野村(16009F)のぶどう峠付近(1600mH)で2010年に運用し、もう一箇所は群馬県北群馬郡榛東村(16005E)で670mHの山腹に在る貯水池サイドから2014年に運用した。観光面では「榛名富士山」に登った事と世界遺産に登録された「富岡生糸工場見学」に行った事で時期が7月後半で無茶苦茶に暑かった事が印象に残って居る。関東エリアの移動中は此の群馬県と神奈川県は観光も出来たが残りの都県は温泉には入れても観光地を巡る事は殆ど出来なかった。