5月7日に鹿児島県鹿児島郡十島村の中之島に着くと運用地を探しに出かけた。出発前の計画段階で運用場所の検討をグーグル・アースで行おうとしたが航空写真の鮮明度が悪く解らなかったので島の広い道を南に下がり乍、反時計方向に回る事に成った。途中で道は段々狭まって来たが全体的に道路状態は良く最終的に未舗装の場所まで上がる途中(標高360mH位と思う)に何箇所も対向用の広い場所が在ったが其の大半が方向性が悪くナビに登録はしたものの決定する様な良い場所は見つからなかった。
其の後、港近くの高台に在る駐在さんの所に挨拶に向かった。今回の島での滞在日と目的を説明し快く了解を得られ、世間話の中で「御岳は登られましたか?」と聞かれ「まだです。」と答えると御岳は島一番の観光スポットで頂上からの景色はバッグンらしい事を聞いた。この御岳は979mHの高さでトカラ富士と呼ばれトカラ列島の最高峰である。お話では可也の高さまで車で登れ最上部に駐車場がある事をお聞きしたのでひょっとして良い運用場所が在るかも知れないと思い山に登る事にした。駐在さんの「気を付けてね」に送られて出発したのだが40分後に今回の移動運用中の最大のアクシデントが待構えていよう等、思いも拠らなかった。
山を登り始めた最初の内は道路も広かったが1Kmほど登ると道は狭く成り、落石は有るは竹や雑木の伸びた枝を掻き分けて進む道と成った。離島で観光客が少ないのか?近々に車が登った形跡も無く道の途中はギザギザと尖った落石が彼方此方に散在していた。20分くらい登った所で同年輩の徒歩で登る登山客に会って会釈をして5分くらい登った所で少し道が広くなり登り始めて初めて下界が見えた事も有り不注意にも瞬間、よそ見運転をしてしまった。高い場所でよそ見をした為 本能的に山側に寄り過ぎていたのだろう視線を戻し「いかん」とハンドルを切ったがゴトンと音がして排水路の蓋の無い所で後輪を脱輪してしまった。
正に「おお~神様」と言う状態!車から降りて確認すると後輪が排水路に落ちた為、後輪の車軸が完全路肩に閊えて路面からの隙間にはジャッキが入らない。残された道は排水路の底からタイヤに当て木を当てジャッキで持ち上げる方法しか無いと考えたが以外に排水路の深さが有りジャッキのストロークが足りない事が解った。以前の徳之島で砂に潜って脱出に苦労した経験からコンパネの40 x 80cmの板は4枚程、ノコギリも車に常に積んでいたが20cm近くをかさ上げする様な物は積んで居なかった。残る方法は大きい石を見付け嵩上げする方法だが小さい落石は有った物の大きいものは途中の道筋には見当たらなかったので山頂の方向に探しに歩き始めた。
暑い中、徒歩で5分ぐらい登った場所で使えそうな大きい石を3個程、確保したが可也重い、2回に分ける方法も有ったが2往復は嫌だったので「火事場のくそ力」宜しく2個の岩に上に小さい岩を乗せ「欲張り競争」状態で来た道を帰った。其の後、登山客の人も手伝って下さり彼是、試してみたが上手く行かない。30分程、お手伝いを頂いたが車は上がらず。登山の予定が有る筈なので御礼を述べて登山に向かって貰う事にして分かれた。
其の時「自分で頑張る気持ちは解るが早い段階で警察に連絡して助けて貰う様にした方が良い」とアドバイスを頂いたが自分の遊びで来て公に御世話に成る事は考え無かったし、自分で時間は掛かっても車を上げる自信は有った。幸いに食料は十分有るし今晩1泊しても自力で遣ろうと思った。兎に角、冷静に成ろうと暫く下界を眺めながら休憩した。
車を上げる前に少しでも車を軽くする為に、中の荷物を降ろす為にサイドのドアを開けようとしたが何故かドアが開かず、後ろのハッチバックから重い荷物を降ろし軽くしてから排水路の底に岩を敷き其の上にジャッキを乗せ後輪を引き上げ始めたが車重が掛かり始めると火山岩で出来た岩が少しずつ崩れ始めジャッキの底部の水平が崩れ始めジャッキが傾き、後少しの状態でジャッキが変形してしまった。万事休す、一度ジャッキを下げハンマーで叩いて変形を直したが一度変形した物は脆く直ぐに同じ状態に、ジャッキの予備は持って居なかったので万策尽きた。
頼みのジャッキが使えなかったら自力脱出は無理と判断、カーナビの周辺検索で自動車屋さんを調べたが情報が無い。この段階で駐在さんに頼る事しかないと判断し電話を掛けた。最初に島の自動車屋さんが有るかどうか?聞いたら「この島には自動車屋さんは無い」との事、困った状況を察した駐在さんは「車を上げる為の必要な物が有れば持って行く」と言って下さった。私としては非常に恐縮したが「島に訪れた人が困れば其れをお助けするのは私の仕事、遠慮する事は無い」と言って現場に来てくれる事に成った。30分位するとバイクで駐在さんが来られてダルマ型の大型のジャッキとバタ角の木片を渡してくれた。私の軽四の四辺形のジャッキと比較して底部や其の構造は頑丈で少々の重さでは壊れる事は無いと思った時、車は必ず上がると思った。
今回のジャッキは伸ばしてみると可也の背丈が有るので排水路の底に直接ジャッキを固定出来たので傾く事も無く20cm長のバタ角をタイヤの間に入れジャッキを上げると意図も簡単にタイヤは道の高さ以上に成った。前記のコンパネをタイヤの前後に敷き、車に乗り込みエンジンをスタートし深呼吸した後に前進にシフト・レバーを入れジャッキを蹴飛ばす様にスタートしたら簡単に車は側溝から脱出する事が出来た。
車が脱出し荷物の積み込みと成ったら駐在さんも暑い中、お手伝い頂き「大変だったね 遠慮しないで早く連絡くれれば良かったのに!」と言った後、「後を付いて来て下さい、展望台まで案内します。」と展望台まで先導頂き眼下の中之島の景色を見ながら説明をして頂いた。駐在さんは直ぐに山を下って行ったが私は感謝の気持ちで最敬礼でお見送りした。この5年間の全国での移動運用中にたくさんの職質問などで少々閉口気味で有ったが今回の事で警察官に対する気持ちが随分違って来た。
一服した後、御岳を下り再度移動運用の場所を探しにキン岳の北側の道の行き止まりのマイクロ波無線設備のある場所の500mくらい手前の道端に車を止め(北緯29度50分02秒 東経129度52分22秒)キン岳の稜線385mHの場所で運用した。中之島での運用は5月7日の15:46JST~22:37JSTと翌朝05:12JST~07:46JSTと7MHz帯の運用で603局との交信で終わった。この十島村からの移動運用はプチ・アワードが始まってから2局目だったので今回の移動運用で初めて600局の大台を少し超える事が出来た。しかし私には無線運用よりも脱輪して困った事と自分の趣味の遊びで全国を移動運用中に公の機関の御手を煩わせる事だけは無い様に心掛けて行動してきた心算が今回は守れなかった事にショックを感じ単独での離島等への移動運用は年齢的にもソロソロ限界だな?と感じた。
如何やら自分では気付いて居なかったが行動面や健康面で衰えが出ている事を実感した。今後は身の丈に合った場所での単独の移動運用は有っても今までの様な移動運用は止めようと思っている。今後、トカラ列島等の離島に移動運用に行かれる方は是非とも事前に駐在さんに届け出る事をお奨めする。私も最初に挨拶に行っていなかったら面識の無い所に電話をする事すら出来なかった様に思う。今回は事前に会って説明して居たし相手が私の事を知って貰って居た事が幸いしたように思う。兎に角、移動中は何が起こるか解らない。私も結果的に誰かが此の地の駐在さんの所に挨拶に行かれると語り告げられる様な不名誉な武勇伝を作ってしまったが離島の移動運用は我々が通常生活している生活環境とは可也違う事を知って貰う為にあえて恥を承知で此処に書き込んだ。