今日は父親の法要事が有り久し振りに私の方の兄弟夫婦が実家に集結した。私の兄弟は5人、上から男ー女ー男ー女ー男で年齢は其々2歳違いで順序良く並んでいる。従って一番上の兄とは8歳違いに成り私が小学校の低学年の時に兄は高校生だったので余り遊んで貰った記憶は無く物心が付いた頃には兄は大人の様に見ていた。私の記憶の中で一番古い思い出はまだ幼稚園にも行っていない頃に家の近くに水門が有り水門を開けるハンドルの有る場所が道路から少し下がった窪地で坂になって居た事と日当たりが良い場所で子供達が良く遊んでいたが私が誤って水門の前の川に落ち込みおぼれそうに成った時、兄が川に飛び込み助けてくれた事で小さいながらも其の水に落ちて水門の中に吸い込まれそうな状況や兄が飛び込んで助けてくれた時の情景はハッキリ覚えている。
水門の下流は10m以上のトンネルの様な状況で流れ込んでいたら今の私は無かっただろう。其の意味で命の恩人で有る。一番上の姉は私より6歳年上で私が幼稚園時代は小学校の6年生位で当時は小学校と幼稚園が同居して居たので其の頃は連れられて幼稚園に通っていたがお弁当を姉から貰うのを時々忘れて「弁当が無い」と時々泣いた事が思い出深い。私が幼児の頃は何時も姉の背中にオンブして貰っていた記憶がある。姉との一番古い記憶は姉が私をオンブした状態で 二階からの階段を途中で足を踏み外し地面に落ちた事、私は背中なので姉がクッションに成り痛くなかったが姉が痛そうにしていた事と私を傷付けたら両親から叱られると思ったのだろう かなり心配そうにしていた事は良く憶えている。余り小柄では無かった姉が大きく成って「私の背が大きく成らなかったのはお前を何時もオンブして子守をして居たからだ」と時々言われた。中学。高校時代は何時も机に向かい勉強していた姿と親父から「遅くまで勉強するな」と良く叱られていたが非常な努力家であった。
直ぐ上の兄は4歳違いなので時々泣かされた思い出がある。上の姉とは違い全く勉強をしないタイプで勉強をして居る兄の姿は思い出せないが成績は優秀だった。子供の頃は同じ布団で寝ていたので思い出は多い。直ぐ上の姉とは2歳違いなので一番馴染みが深いが其の分、軋轢もあった。高校時代はバスケット部のキャプテンで夏休みの合宿をするので親父に許可を求めたら「娘が学校で寝泊りする等、許さん」と叱られた時、ストライキを起こし頑固親父から許可を取付けた事は一つの事件であった。我家の代々に一人は必ず居る男勝りの豪傑で私は巴御前とあだ名を付けて呼んでいた。とにかく其々の上の兄弟は皆優秀であった。
私は親父を男、女と歳を上手く空けて製作しているので「子作りの天才」と思っていたが最後の最後で失敗、私が生まれる前には戦争で衛生兵として外地に行っていた。任務の関係からレントゲン機器を扱う機会が多かったので「もう子供は要らない」と言う事で子種を無くする為に下腹部にⅩ線をよく浴びせていた等と、冗談か本当か解らないが良く言って居たのでひょっとすると精巣がX線で犯され戦争から帰って生まれた私は「出来ないと思って出来た」出来の悪い失敗作に成ったのかも知れない。考えてみると色々思い当たる事が有る。多分多量の電磁波を浴びたと思われる・・・・は其の後、人間に成っても電磁波を扱うアマチュア無線に異常に反応したり、根性のひん曲がりは其処らに原因が有るのかも知れない。
今日は行事が終わり実家に戻って御馳走を頂きながら色んな話しに花が咲き、楽しい時間を過ごした。私が一番下なので其々にリタイヤ組で少し時間と気持の余裕からか?気が付くと17時を回って天気の性も有ったのか外は既に薄暗く成っていた。