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『天皇寺』(てんのうじ)は香川県坂出市西庄町八十場にある真言宗御室派の寺院で山号は金華山。過去の経緯から院号の高照院(こうしょういん)で呼ばれて居た事もある。本尊は十一面観世音菩薩で四国八十八箇所霊場の第七十九番札所。
境内は崇徳上皇を祀っていた白峰宮に隣接し、白峰宮が崇徳天皇社であったとき其の別当寺であった。現在は、崇徳上皇を祀っては居ないが歴史的経緯から天皇寺の名称を持つ。
伝承に寄れば、古代に南海の大魚を退治しに向かった讃留霊王ら88人の兵士が大魚に船を呑まれて倒れた時、横潮明神が金山の麓にある泉の水を持って現れ、其の水を兵士に飲ませた。すると、全員が命を吹き返して助かったという。其処から此の泉は「八十場(やそば)の霊水」と呼ばれる様に成ったと云われて居る。
其の後、寺伝に寄ると、天平年間に行基は、カナヤマビメカナヤマビコが鎮座される金山に薬師如来を本尊とした堂宇を開創した。さらに後、空海(弘法大師)が八十場の泉を訪れたとき、金山権現の化身である天童が現れ、金山中腹より湧き出る御神水を大師に給仕し、此の山の 仏法を守る様にと宝珠を預けた。大師は此の宝珠を峰に埋め、荒廃して居た堂舎を再興し、其の寺を『摩尼珠院妙成就寺』(まにしゅいんみょうじょうじゅじ)と号した。また大師は、其の霊域にあった霊木で本尊の十一面観音、脇侍 阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を刻造して安置した。そして、金山ノ薬師は札所と成り、其れ等の霊験は著しく七堂伽藍が整い境内は僧坊を二十余宇も構えるほど隆盛した。
時代は下って、崇徳上皇は、保元の乱(1156年に起こった皇室の皇位継承問題で対立した崇徳上皇と後白河天皇の対立から起きた京都での武士を巻き込んだ内乱)で敗れ讃岐国阿野郡西庄町に配流となり、長寛2年(1164年)に死去した。其の年の内に、上皇の霊を鎮めるため二条天皇は、十一面観音が本尊であった事も在り、其の跡で此所に崇徳天皇を勧請し御廟が建てられた。また、後嵯峨天皇の宣旨に寄り摩尼珠院は崇徳院永代供養の寺という役割を担わされ別当寺となった。そして、何時の頃から札所は金山ノ薬師から崇徳天皇社と其の別当摩尼珠院となった。故に人は皆、摩尼珠院を「天皇寺」と呼び、崇徳天皇社は「天皇さん」と親しまれる様に成った。また、此の辺りを「天皇」と云う地名で呼ぶように成ったが、恐れ多いので「八十場の霊水」から名をとり、現在は「八十場」と呼んでいる。
明治初年の「神仏分離令」に寄って摩尼珠院は廃寺と成り、79番札所は筆頭末寺の奇香山・高照院が引き継いだ。崇徳天皇社は白峰宮と改称し、また明治天皇の宣旨に寄り崇徳御霊は京都白峰神宮へ戻られた。
私達は立派な鳥居がある『白峰宮』は直ぐに解かったが此の札所の場所が解かり辛くて、可也道に迷った挙句に白峰宮の北側に札所がある事が漸く解かり納経する事が出来た。