もう彼是50年以上の昔の話だが当時はアマチュア無線のライセンスを持って居なかったので多分、高校二年生の夏休みでなかったかと思うのだが?或る日に高校の無線部の島先輩(JA5BIF)と同級の樫福君(JA5BRN)から召集が掛り近くの江ノ島海岸へ集合する事に成った。自転車で現地に向かうと見知らぬ方と二人が海岸の堤防脇に見た事の無い無線機を置いてアンテナは海岸線の防風林の松林に張った状態でアマチュア無線を運用して居た。電源は近くの民家から引き込んだ様子であったが距離的には可成り長かった様に思ったが其の部分の記憶は殆ど残って居ない。
此の運用は今で言う移動運用の奔りとも言える運用で当時のメーカーの主力機種はTX-88Aと9R-59全盛の時代で重量も可成り有り重く、無線機は全て真空管式で従って使用電源はAC100Vのみで働く無線機ばかりでバッテリー電源で運用出来る様なアマチュア局向けの無線機等は全く無かった。此の時に使用して居た無線機は確かトリオ製の3.5MHzと7MHz帯の二波が出せるトランシーバー?(だったと思う)此の時期の無線機はA3の電波形式が主流で現在の様なトランシーバーの様に送受部分が共用化された構成では無く、ケース内部の構成は独立した受信部と送信部が組み込まれて送信部は水晶発信子を使い今では殆ど死語に近いキャリブレーションと言う動作で自局の発射する周波数を受信部のダイヤル操作で受信して送受周波数を合わせて運用する形式であった。
確か運用は2時間ぐらいで10局程度の交信数で終わり其の後はアマチュア局なら一番興味が有る天板を外しどの様な構成に成って居るのか?興味津々で覗いたが送信機のファイナルは当時御馴染みのUY-807が鎮座して居た。此の無線機の型番は「T?-8??」で残念ながらハッキリとは憶えて居ないがトリオの型番の並びから多分TS-80?と思うのだがパネル面が単色でなくツートンカラーか?何か幅広いラインが入って居た様な記憶が有るのだが定かで無く多分生産台数も少なかったのか?其の後お空の上でも聞いた記憶も無く最近のインターネット辺りの検索でも引っ掛からないので解らない状態で気に掛かる無線機と成って居る。
此の当時はアマチュア無線局数は少なく現在の様に移動運用をする局は無いに等しい状態で其の時に私は「此の様なアマチュア無線の楽しみ方もあるのだ此れは面白いな!」と思ったが良く考えて見ると当時のアマチュア無線局の大半は移動運用が可能な免許状では有っても殆どが免許所在地からの運用でポータブル運用であっても運用場所が(家)変わっただけで(無線機器が移動運用に向かない構成の為に)全く別の場所にアンテナを張り運用する局は余り聞いた事が無かったし50MHz帯等で山の上からの運用は有ったかも知れないが?当時は50MHz帯でまともな電波を出したり安定に受信出来る様な無線機器は余り無かった様に思う。
矢張り一般のアマチュア局が手軽に50MHz帯辺りで移動運用を始めたのはTR-1000が発売された以降で其れは2~3年後の事であった。しかもHF帯に於いては現在の様な移動運用をする局も居なかったし其れを利用したアワード達成自体に価値観を感じない時代であった様に思う。確かにアマチュア局数は少なかったとは言え当時には全国津頭浦々の市町村でQRVする局(常置場所での運用局)は居たので移動運用局の必要性や需要が無かったのが大きな原因かも知れない。
最近の7MHz帯の国内QSOを聞いて居るとアマチュア局数減少に寄る市、区、町村の供給側の不足や無線機器の使用電源の多用化やアンテナのコンパクト化に寄る移動運用の容易さや此れも大きいと思われるが人口密集地帯で諸事情によって今まで遣りたくてもHF帯で運用出来なかった方々が車社会の発達も伴い移動運用に気軽に出掛けられる事に寄り今や移動運用が大流行と成って居てアマチュア無線の世界も時代の流れと共に随分変化して居る事を実感する。
此処数日前から私の開局当時の事を彼是思い出していたら突然、当時としては珍しい無線機が有った事を思い出し現存して居ればもう一度見て見たいと思った。