今日も朝から曇天の天気で時折、雨がぱらつく天気で外に出る事も出来ずに午前中から暇で時間を持て余して居た。ハイバンドの国内コンディションが開ければ楽しみも在るのだが今朝のコンディションは今一の感じ・・・・・・
先日に水害にあった人吉市内をグーグル・アースのストリート・ビュー機能で見ていたら以前と違い可也細かい部分まで見られたので私は暇に任せて2013年のゴールデン・ウィーク中に移動運用に出掛けたトカラ列島の十島村の第二番目の島、中之島の景色を急に見たくなってストリート・ビュー機能を利用して確認してみたら島内の主要道路は勿論の事、島の南側で移動運用地を探す為に通った道の殆どの景色が映像で見られて懐かしく其れを見て居たら時間が経つのを忘れて夢中に成って居た。
私は2009年から1014年までの6年間で日本全道府県を回ったが此のトカラ列島の中之島では自分の不注意で最初で最期の公(地元、派出所のお巡りさん)の御世話になる失態を起した。其の事から全国を移動運用で回った場所の中では此の場所が一番印象に残って居たので此れまでも何回か此の機能を使って思い出の場所を見たいと思って時折、確認して居たが過去では見えない所が大半であったが今回、久し振りに試したら映像バージョンが2017年度に成って居たので『若しかして?』と確認したら御岳の周回道路周辺の景色は見られなかったが其れ以外の道路周辺の景色を7年振りに見る事が出来た。
其れにしてもゼンリンさん、此の様な離島まで立体カメラを搭載した自動車を乗り入れ撮影するとは本当に凄い有難う。御蔭で今日は此の島の映像を見ながら色んな出来事を思い出して楽しかった。
十島村(中之島)の東、西温泉
中之島(十島村)での運用は私が予想した交信数に遠く及ばなかった事とこの日に昨日に私が乗って来た下り便が上り便と成って中之島港に入港するので思い切って一つ北側の口之島に移動する事にした。
何故なら次に中之島に入港する便は5月11日の下り便と成り南側の島に下る事は出来ても翌日の上り便で即、鹿児島港へのトンボ帰りの行程に成る。週末の土、日曜日を移動に使うのは勿体無いし、此の日の便を使い口之島に移動すれば週末の運用地は同じ十島村に成るが別の島からの運用として有効に使えると考えたからである。アンテナを撤収して山を下ったが途中の七つ山海岸の分岐点で右折してヤルセ灯台方面に向って20分位走った所で道路は改良工事中でユンボで道が塞がれていた。現場の小父さんが「10~15待ってくれたら通れる様にする。」と言ってくれたが其の場所から灯台までは距離も有る為「話の種」だけに向うのもと考え諦めて踵を返して港へと向った。
港近くの乗船券売場に行き、乗船の予約変更を申し出たが本日の乗船受付けは既に終了した様子だったが無理を覚悟で御願いすると女性の方が各部署に連絡戴き其の結果、乗船が可能と成った。支所を出た所で昨日、大変御世話に成った駐在さんとバッタリお会いし再度御礼を言う事が出来た。フェリーの入港までに2時間程の時間の余裕が有ったので島内の温泉に入る事にした。
最初に港近くの西区温泉に向った。上段2番目が温泉の建物、道路から下がっており看板も無いので見付けるまで前を数回往復した。中は小型の大衆浴場の感じで御湯は乳白色で良い温泉で有った。料金は御気持ちの集金箱が有ったが私以外は入れている人は居なかったので無料なのだろう。私が入った時は地元の一回り以上の御年配の方が数名入浴中で有ったが「徳島から来た」と言ったら徳島の事を色々聞かれて話が弾んだ。西区温泉を出て直ぐに東区温泉に向かい折角の機会、温泉のはしごをする事に成った。構造的には西区温泉と同じ感じで贅沢な作りでは無かったが両温泉共に綺麗に管理されており気持ちが良かった。
温泉を出て来ると自動販売機が有ったので喉も渇いたしジュースを購入しようと入ったが2台有る内の1台は故障中の張り紙が有り別の自販機に最初150円入れたが受付けないので次に100円硬貨を2枚入れたが再度受付けず「おかしいな?」と別の100円玉を入れたら受付けたので100円玉を更に入れたら其れは受付されず返却口に落ちる。何回しても同じなので返却レバーを動かしても最初の100円玉が返ってくる事は無かった。
そうこうしている内に道路に車の止まる音がして車から「小父さん其の自販機は故障しているから駄目です。もう少し先に行くと自販機が有るので其方で買ったら」と教えてくれた。車を良く見ると先程、この自販機の前に停車する時に対向した車であった態々引返して教えてくれたのか?用事終わって帰り道なのか?解らないが其の親切心で100円玉が取込まれた事は腹が立たなかった。そして教えられた自販機を探して走っていると突然、大柄な人が行く手を塞いだので何事かと?車を停めると「車は上がって良かったね うどん美味しく戴きました有難う。」と言われたので総てが解った。
昨日、駐在さんに御世話に成ったので何かの時の為に持っていた讃岐うどんを渡そうとしたら「私は警察官として当り前の事をしたまで戴く事は出来ない。」と辞退されたので「そんな堅い事を言わずに」と言ったら「其れではジャッキを借りた民宿の方に御渡しすれば貴方の感謝の気持ちも相手に伝わるし、私も道具を借りた事の御礼の気持ちを相手にお伝えすると言う事で預かります。」と実に立派な大岡裁きと成った。其の方はジャッキと道具を貸して頂いた民宿の御主人だったのだ。
私も直接会えたので御礼を申し上げたが昨日、山で御会いして御手伝い頂いた方が偶々、宿泊していた民宿だったらしく、其の方から御主人さんは私の山で起こった経緯は聞いて総て御存知だったらしく、徳島ナンバーと屋根に乗っているポール等で私の車が解った様子で有った。そして私の車内を見渡し「流石に色んな物が載っているなぁ~此れだけ荷物が載っていると小型のジャッキでは無理だったんだろう。」と呟いていた。
この調子で行くと小さい島、私の御岳での武勇伝が島内に知れ渡るのは時間の問題、昼のフェリーで中之島からの脱出判断は正解であった様に思う。12時頃に「フェリーとしま」は港に入港、車として乗船したのは2台のみ直ぐに少し波が荒い海を口之島に向けて出港した。