今日は私の母親の命日に当たり夕方に実家に出向きお供え物を置き、お線香をあげて来た。母親は確か大正8年生まれなので元気であれば101歳を迎えて居た筈だが74歳の時に夜の道路を横断中に若者の運転する自動車に跳ね飛ばされて74歳で此の世を去った。母親は元々、体は丈夫な方で私は母親が病気で寝込んだ姿を見た事は一度も無かったし、兎に角、仕事師で頑張り屋であった。
従って此の事故に遭遇しなかったら母親は100歳まで生きられたのでは?と思うと本当に残念で成らない。実家の仏壇がある部屋には母親が70歳くらいの時に母親の兄弟全員(母親は7人兄弟の一番上)が集って奈良旅行に出掛けた時に奈良公園の鹿に鹿煎餅を与えている、にこやかに微笑んでいる写真が飾られて居て私が母親を思い出す時は全てが此の顔や姿で母親の若い頃の顔などは全く思い浮かばない半面、逆に母親の凄く老いた姿や顔は全く思い浮かばない。
私の中で最近は母親の顔を思い出したり、夢の中で見る事も殆ど無く成ったが今日は久し振りに母親の写真を見て居たら過去の母親との思い出が走馬灯の様に浮かんでは消えて行ったが其処に出て来る母親の顔や姿は矢張り写真と同じで若い頃の母親のイメージが無い事に気が付いた。私は後12日ほどで72歳の誕生日を迎え段々と母親が亡く成った年齢に近付いて居る。
私の場合、私自身は写真に写るのが嫌いで、私自身が写った写真は殆ど無い状態だが後々の事を考えて『爺ちゃんもこんな時があったなぁ~』と子供や孫達に思い出して貰える程の印象に残る写真を過去の数少ない自分の写真の中から探して於かねばと思ったが果たして有るかなぁ~?一応探してはみるが結果の程は極めて心細い・・・・・今日は実家からの帰り道でその様な事を感じた。