国道168号線を十津川村に向かい北上中、十津川温泉を通過したが雨も降っており良い場所が見付からずパスして湯泉地温泉に向かう。十津川村役場の手前に「道の駅十津川郷」が在ったが前日の運用中、何方かが本日に道の駅から「湯けむりのサービス」を行うと言っていたので其の場所ではバッティングに成るので十津川村観光センターの横に広い空地が有ったので観光センターで運用の確認を取ったが私有地で(元、レストランが有った場所で現在は更地に成っているが許可を取るべき方法が解らない)許可の確認が取れないので不可だとの事、道の駅方面に引返し湯泉地温泉の公共温泉側に左折、温泉郷に入ったが運用場所は山手の方の道路の脇に何箇所かあったが釣竿アンテナでしか行えない場所ばかり山側は絶壁の壁、反対側は川で道路には落石が可也有り気乗りしなかった。
奥から引返す途中、佐久間信盛と楠木氏の墓所がある十津川村武蔵に向かう登り坂が有り興味が有ったので向かう事にした。アスファルト舗装はされていたがクネクネとした急勾配の道を走ること数十分、行止まりに集落があり佐久間氏の墓所は直ぐに解ったが楠木氏の方は探したが解らなかった。
楠木正成の家紋は「菊水流れ」家内の実家は江戸時代から続く寺町にある寺の住職であったが家内の爺さんの時代に坊さんに成るのが嫌で継ぐ事を放棄したが其の流れが有ると聞いたので興味が有った。楠木氏は現在の千早赤坂村の出身、今回の移動運用で訪れたいと思っていたが出来なかったので、この地の楠木氏の墓所に興味があったが何故か見付けられ無かったで地元の人に聞こうと思ったが誰とも出会わなかった。
仕方が無く引返す事に、帰りは急勾配の坂道を下る事にトルコン車の為にエンジンブレーキがあまり効かず軽四の割には荷物を多量に積載していた事も有りフートブレーキを多様する事に成り段々とブレーキの効きが甘くなり心配していた事が現実と成った。此の侭だと危険と思い途中の平坦部で車を止め確認するとホイルは温度が高く手で触ることが出来ない位、熱く成っていた。長年車に乗っているがこの様な状況は初めての経験、知識としては知っていたので事前に気が付く事が出来た。
1時間程、冷却の為休憩を取る事し、仮眠し其の後、取り合えず「道の駅十津川郷」に寄ったが無線運用中の車は見当たら無かったので運用する為、釣竿アンテナをセットして聞いて見るとソコソコ聞こえていたので運用する事にしたが電波の乗りが悪いのでSWR を測定すると2.5程ある。駐車場の5m間隔に有る水銀灯のポールがアンテナに影響を与えている様子(車は端っこに駐車した為ポールまでの距離は2.5m程で其のため共振点が上の方にずれていた)共振点を下げる為に先端に線を追加させる為、アンテナ基台から外そうとしたら基台のメス側のM栓自体が共回りしてアンテナが取り外せない状況に成って居る。悪い事は重なるもので雨合羽を着て雨の中で基台の修理をする羽目に陥った。30分くらい掛かったが基台を分解組み直した後、釣竿アンテナの先端に7cmほど線を継ぎ足しカット・アンド・トライでSWRを1.2まで落とした。
運用場所は「道の駅十津川郷」北緯33度59分17秒 東経135度47分39秒で海抜172mH、運用は15:56jst~19:24jstまで7MHzで行い212局と交信した。アクシデントが有ったり運用条件の悪い中、先ず先ずの結果と思っている。アクシデントも有り湯泉地での写真は道の駅の駐車場からフェンス越しに撮った熊野川の川原の写真しか写っていない。(写真の2枚目)
この日はこの場所で車中泊と考えて運用後足湯に浸かっていたが終日雨が降り続いて居た事で村役場からの放送が明日以降の通行制限や時間制限の可能性についてアナウンスが有り「此れは拙い」と判断、谷瀬の吊り橋が有る所まで今日中に向かう事とした。雨が降り続く悪天候の中、谷瀬に着くと23時を回っていた。翌朝、テレビ等によく映る「谷瀬のつり橋」を渡る事にしたが早朝の為渡っていたのは私一人であったが吊り橋の中央部では揺れたが「徳島の祖谷のかずら橋の揺れとは比較に成らない」安定したものであったが途中の踏み板が少し沈んだ時は「およよ~」となり次からは片足毎にキッチリ2枚の板を踏んで歩く「ハの字」および腰歩行に成っていた。
この橋の近くは駐車禁止、近くの有料駐車場しか無かったので有料駐車場に入れたがラッキーな事に早朝の為に料金所に人が居なかったので15分位で帰り、無料に成ればと思ったが昨日から運に見放されている様で帰ると叔母さんが掃除をしている。横を通るので「お早う御座います」と挨拶「15分ぐらいの駐車なので少し負けて欲しいわ」と笑いながら冗談交じりで言うと相手も「ほんまやネ」と笑いながら言いつつ「丁度、係りの人が来た所」との話、其の侭走る訳にも行かず料金所に行き同じ事を言ったが「500円です。」の一言、高い駐車料金になった。
最後の写真は旧大塔村の「道の駅大塔」しかし残念ながら村では無く五条市に成っており運用を諦めた。この時はまだ知る由も無かったが不運は次の下市町まで続く事と成った。