私が学生の頃に初めて開局したアマチュア無線局のコール・サインはJA5CBB(1966年の8月15日開局)でした。当時の此の世界に興味がある若者にとっては個人のアマチュア無線局の開局は夢の又夢で ましてや学生の身分での開局と成ると更にハードルが高くメーカーの無線機で開局すると成ると経済的に可成り恵まれて居なければ実現出来ず。私の場合は学校のクラブ局ではメーカー製の送信機(TX-88A)を使用して居ましたが受信機は高1中2のバラックの受信機を使用して居ました。
私も最初の内は此のクラブ局で運用して楽しんで居ましたが矢張り此の世界に入ると如何しても自分の個人局を開局したい思いに駆られ其の個人局が開局出来たのは高校3年生の夏でした。
前に此のブログにも書きましたが私が工業高校の電気科に進学した大きな目的は経済的(学力も含めて)に大学への進学は望めない事情とアマチュア無線の免許を取得する事が目的で本来の進路である電気の世界に進む事が目的では無く些か不純な動機であった様に思いますが結果的にはアマチュア無線にどっぷりと浸かった日々を送った事で弱電の世界に入り何とか恙なく社会に巣立ち卒業する事が出来ました。
私が個人のアマチュア無線局を開局した当時は並み以下の無線設備で其の為に国内との交信が中心でしたが社会人に成り自分で稼ぐ様に成ると其の給料は自分が思う様に出来たので無線に対する思いは更にヒートアップし現在に至って居ます。
其の後20代の後半で結婚し1年間はアパート暮らしをしましたが其処での生活では大好きなアマチュア無線を十分に楽しむ事が出来ないと30歳で一念発起し現在の場所に無借金でボロ屋を建てるとアマチュア無線に掛ける思いは更にヒートアップして熱病化して行きました。
其の段階での無線の運用形態は国内からDX中心と成り20代後半から50代中盤に掛けては週末の夜などは徹夜で無線を楽しんでいました。そして私が此の世界にのめり込んだ時の第一目標であった全世界との交信を達成すると一時、目標を失いましたが其の時にはまだ日本国内の全市区町村との交信が達成出来て居らず(150箇所ほどの未交信地区が残って居た)此れでは片手落ちと思い平成の大合併時期前に国内の未交信エリアとの交信に目標を定め此の達成に開局以来50年近く掛かり大変な苦労をする事に成りました。
其の段階で此の目標達成までに此れだけ苦労をするのだから皆さんも大変な思いで努力されて居るのだろう?と思い全国の運用の少ない町村を移動運用で廻る事を思い付き(此の時点で私の未交信地区が30か所ほどあったが其の全てを移動運用した。)2008年を皮切りに2014年まで400日ほどの車中泊をしながら全国行脚を始め夜は無線の移動運用を行った。
移動運用も一応の目鼻が付くと其の後に私は完全な年金生活に入ったので観光を兼ねた無線の移動運用の軍資金も枯渇し2014年を最後に出来なく成り現在は『瞬太郎の一途を辿る状態!』だが昨年の年末に過去の交信状況を詳しくチェックした中で未だ大きい目標が残って居る事に気が付いた。其れはCWモードでの全市区町村エリアとの交信達成で此れは私が若い頃にCWモードの運用を殆ど遣らなかった事が起因して居るのだが遅まきながら今後、此の目標に挑戦するする事にした。
現在のアマチュア無線局減少化状態の中で此の目標達成は可成りハードルが高いが半面に現在は大きな移動運用流行り、週末とも成れば可成りアクティブに全国各地からのCWモードの移動運用局がQRVして来るので最近、週末は確り1.9MHz~10MHz辺りを時間を掛けてじっくりと聞く様にしてCWモードでの未交信エリアを潰す運用に心がけて居る。
先週は余り実績が上がらなかったが今週は国内コンディションに助けられ金曜日から今日の夕方まで確りワッチして1.9~10MHz帯で129局(CW)と交信し未交信エリア16箇所と交信する事が出来た。(1.9MHz帯 3箇所、3.5MHz帯 6箇所、7MHz帯 3箇所、10MHz帯 4箇所)まだまだ先は長いが目標さえ確りもって居れば何とか成る様な気もするが果たして如何だろうか?
今後更に何年間 アマチュア無線が楽しめるか如何かは解らないが何の因果か?此の世界にどっぷりと浸かった此の身、『こうなりゃ~トコトン付き合おうじゃないの!』と覚悟を決めて居る。