昨日の第九の疲れが抜けないまま今日を迎えました。
合掌している勧進所像とは違って、手を衣の中に入れておられます。ただ、こちらは通常非公開なので滅多に拝観できません。私は2010年の平城遷都1300年祭の時の特別開帳で拝観することができましたが、勧進所像よりもより幼い感じの面持ちだったことを覚えています。
ところで、第九の楽譜と一緒に送られて来たタイムテーブルや練習場所の地図の紙を楽譜と別にするためにクリアファイルに入れていたのですが、そのクリアファイルを練習場で見た人から
「何ですかそれ?!」
と声をかけられました。
というのも、そのクリアファイルの柄が
こんなものだったのです。
ここにプリントされているのは奈良・東大寺の塔頭の一つである勧進所に安置されている『五刧思惟阿弥陀如来坐像(ごこうしゆいあみだにょらいざぞう』の御写真です。2010年に期間限定で東京に出開帳された時に、ミュージアムショップで売られていたグッズでした。
阿弥陀如来がまだ修行時代に法蔵菩薩と号していた頃、如何にすれば全ての衆生を救うことが出来るかということを五刧という長い時間をかけて思惟され、遂に『阿弥陀仏の四十八願』と呼ばれる悟りを開かれ、阿弥陀如来となられました。五刧思惟阿弥陀如来坐像は、その時の思惟の御姿を表したものです。
『五刧』とはとてつもなく長い時間のことです。仏説によれば、三千年に一度天女が須弥山に舞い降りて羽衣で一撫でし、須弥山が擦り減って無くなるまでの時間を『一刧』としました。それを五回分というのですから、とんでもない時間です。そんな長い時間、朝も晩もひたすら思惟し続けた結果、切らずにおいた螺髪が伸びまくってしまった…というのが、この五刧思惟という御姿なのです。
因みに、その仏説を織り込んだのが『寿限無、寿限無、五刧の擦り切れ…』、そう、皆様御存知落語の『寿限無』です。
この御像は年に一度10月5日にだけ勧進所の御開帳の日に拝観できますが、それも仏教関係者と一部の仏像マニア以外にはあまり知られていませんでした。しかし、いつの頃からかこの独特な見た目から『アフロな仏様』として有名になり、出開帳までするに至ったのです。
東大寺には勧進所以外に、五刧院という塔頭にも五刧思惟阿弥陀如来坐像が安置されています。こちらは
合掌している勧進所像とは違って、手を衣の中に入れておられます。ただ、こちらは通常非公開なので滅多に拝観できません。私は2010年の平城遷都1300年祭の時の特別開帳で拝観することができましたが、勧進所像よりもより幼い感じの面持ちだったことを覚えています。
仏像には様々な特徴を持ったものが見受けられますが、思索の時間経過の長さを髪の毛で表現しようとした先人のセンスには脱帽です。こういうところから、仏像に興味をもつ方が増えてくれてもいいのではないかと思っております。