今日も涼しい一日となりました。朝は寒かったくらいで、寒くて目が覚めてしまったほどでした。
さて、今日10月21日は《皇帝円舞曲》が初演された日です。《皇帝円舞曲》作品437は、
ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)が1889年に作曲した演奏会用のウィンナ・ワルツで、日本では原題のまま《カイザー・ワルツ》と呼ばれることも多いようです。
《皇帝円舞曲》はヨハン・シュトラウス2世の晩年の作品の中では最も高い人気を誇っている作品で、シュトラウス2世の『十大ワルツ』に数えられています。特にその中でも、《美しく青きドナウ》《ウィーンの森の物語》とともに『三大ワルツ』に数えられています。
1889年10月19日、ドイツ帝国の首都ベルリンで『ケーニヒツバウ(国王の建築)』と命名された新しいコンサートホールが開場することとなり、10月19日から5日間の『こけら落とし演奏会』が催されることとなりました。著名な音楽家たちに作曲・指揮の依頼が行われ、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世も依頼を受けた音楽家の一人でした。
シュトラウス2世は当時新作オペラの作曲に取り組んでいて多忙だったことから、一度はこの依頼を断ろうとしました。しかし、五夜にわたる祝典演奏会の最初に指揮するという名誉ある要請であったことと、楽団が総勢100人という大構成で報酬も良かったことから、結局シュトラウス2世は考え直してこの仕事を引き受けることに決めました。
発表当時、この曲は《手に手をとって》(Hand in Hand)という題名でした。この演奏会には、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の臨席が予定されていて、《手に手をとって》は独墺両国の親善を祝う意味でつけられた曲名でした。
後にベルリンの楽譜出版社ジムロックが曲名を《皇帝円舞曲》と改めたほうがよいと強硬に主張し、シュトラウス2世がこれを受け入れたことで現在の曲名に変更されました。初演日は10月19日ではなく2日後の10月21日にずれ込んでしまいましたが、それでも予告通り100人編成の大オーケストラによって演奏されて大成功を収めました。
このワルツは
ブラームス(1833〜1897)からも大いに称賛を受けました。
ブラームスとシュトラウス2世は大の親友でしたが、ブラームスは当時シュトラウス2世のことを年老いて創造力が減退したと思っていたようでした。しかしそんなブラームスも《皇帝円舞曲》については非常に好意的にとらえていて、
「この作品は管弦楽法が素晴らしいので、見事に鳴るのだ。しかし結局、魅力の秘密なんか考えても仕方がない 」
などと語っていて、ジムロック社からこのワルツの楽譜が出版されることを心から喜んだといいます(因みにシュトラウス2世にジムロック社を紹介したのは、他ならぬブラームスでした)。
心浮き立つようなマーチ風に始まり、優美なワルツが次々と展開していくこの作品は、今日でもシュトラウス2世の代表作として親しまれています。またウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでも度々取り上げられていて、その人気のほどがうかがえます。
そんなわけで、今日はヨハン・シュトラウス2世の《皇帝円舞曲》をお聴きいただきたいと思います。アルフレッド・エシュヴェ指揮によるウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の演奏で、一度聴いたら口ずさんでしまうようなシュトラウス2世の名旋律をお楽しみください。