今日はハッピーマンデー的成人の日です。厚木の街中にも、艶やかな振袖姿の新成人が闊歩していました。
時計の下に見事な生花が飾られていました。
桃山時代の絵師長谷川等伯の《松林図屏風》が展示されていました。等伯は当時、狩野派の地位を脅かすほどの画力を誇った一派の長でしたが、狩野派による妨害や後継者たる息子の長谷川久蔵の謎の死によって悲しい運命を辿った絵師として知られています。
この《松林図屏風》は、絢爛豪華な襖絵や障壁画を多く手がけた等伯が、墨の濃淡のみで霧に煙る松林の光景を描き出した晩年の傑作として国宝に指定されています。
左隻には真っ直ぐに伸びた松と遠くに霞む山を描き、
右隻には長い年月の強風に吹かれて傾いて立つ松を近く遠く配しています。観ていると、まるで画面の中の世界に入って行けるのではないかという錯覚を起こしそうになる屏風です。
長い長い列に並んで入場を待ち、50分ほどで建物内に入りました。部屋の前でテロ対策として一人ひとり金属探知機を通過してから、特別展示室に入りました。
絢爛豪華な高御座と御帳台が置かれていました。
高御座は総高6.48m、幅6.06m、奥行5.45mで、朱塗りの高欄を巡らせた四角形の継壇(つぎだん)を基壇とした上に八角形の床板を2段に重ね、そこに8本の円柱を立てて八角形の蓋(きぬがさ)を支える造りになっています。蓋の頂上の露盤(ろばん)には瑞鳥である大鳳を1羽、蓋の各角にある蕨手(御神輿にも付いているクルンとカールしたパーツ)には同じく瑞鳥である小鳳を8羽、合計9羽の鳳凰を戴き、全体にわたって旭日の光を表す銀鍍金の鏡光(きょうこう)や瓔珞(ようらく)等の飾り金具で装飾されています。
天皇の座す御椅子(ごいし)があり、その左右に皇位継承者の証である剣璽と國璽及び御璽を置くための案(あん)という小卓があります。
一方の御帳台は
儀式中の映像では観ることの出来なかった裏側までバッチリ観賞することが出来ました。紫色の帳(とばり)が何とも美しいもので、思わず見惚れてしまいます。
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という御束帯、
闕腋袍(けってきのほう)の上に鎧を着けて帯剣し弓を持った武官や
鎧を着けない武官である衛門や、太刀・弓等を捧持する威儀物捧持者という文官、
縫腋袍(ほうえきのほう)を着て手に笏を持った近衆の文官に
皇后陛下の裾捌きをしていた緑色の唐衣を着た十二単姿の女官の人形が置かれていました。こちらも撮影OKでしたので、
襲(かさね)の色目の細かな部分まで観察することが出来ました。
即位礼で使われた楯や桙(ほこ)、太刀、弓といった道具や鼓(こ)、鉦(しょう)といった鳴物も展示されていました。
本来であれば、これらの者が
宮殿中庭にズラリと配される予定でした。しかし即位礼当日は雨だったため、残念ながら大幅に人数を縮小しての即位礼となりました。
それでも、あれだけの王朝絵巻が現存する日本という国は、何とも豊かな文化を持った国だと思います。こうした千年にも渡って受け継がれてきた文化をこれからも大切にしていって頂きたいと、強く感じた一日となりました。
そんな中、私は上野の東京国立博物館に足を運びました。こちらで開催されている特別公開を観るためです。
チケットを購入して、先ずは本館2階の国宝室を目指しました。本館の入り口には新春らしく大きな立花が飾られていました。そして本館名物の大階段にも
時計の下に見事な生花が飾られていました。
こちらの国宝室では、今日まで
桃山時代の絵師長谷川等伯の《松林図屏風》が展示されていました。等伯は当時、狩野派の地位を脅かすほどの画力を誇った一派の長でしたが、狩野派による妨害や後継者たる息子の長谷川久蔵の謎の死によって悲しい運命を辿った絵師として知られています。
この《松林図屏風》は、絢爛豪華な襖絵や障壁画を多く手がけた等伯が、墨の濃淡のみで霧に煙る松林の光景を描き出した晩年の傑作として国宝に指定されています。
左隻には真っ直ぐに伸びた松と遠くに霞む山を描き、
右隻には長い年月の強風に吹かれて傾いて立つ松を近く遠く配しています。観ていると、まるで画面の中の世界に入って行けるのではないかという錯覚を起こしそうになる屏風です。
実はこの屏風について、どのようなきっかけで制作されたのかといった詳しいことは分かっていません。
描く筆致は、濃いところはまるで藁を束ねたものに墨を含ませてゴシゴシと押し付けたような荒々しさを見せていて、およそ富裕な権力者のために描かれたとは思えないような質素さです。描かれた紙もあまり上質なものではなく、何枚かの紙を継いで屏風の大きな画面を作り出すために、通常であれば隣同士の紙の継ぎ目を揃えるのですが、この屏風の紙の継ぎ目は見た目にも分かるくらいにズレているのです。
一説には、この画は本来屏風ではなく、障壁画として描かれたものであるとも言われています。また作品としては、大切な息子を亡くして結果的に狩野派に打ち勝つことの出来なかった等伯が、己の運命を嘆いて描いた心の自画像とも言われています。
今までにも何度かこの屏風を観たことがありますが、観る度に何とも切ない気持ちになるのです。もしかしたら、等伯の哀しい物語がそうさせるのかも知れません。
さて、国宝室を出て一度外へ出ました。
現在、東京国立博物館の本館1階の特別室で、昨年10月に行われた新天皇陛下が御即位を内外に宣明する『即位礼正殿の儀』で天皇陛下が登壇された高御座(たかみくら)と皇后陛下が登壇された御帳台(みちょうだい)が特別に展示されています。今日はそちらも拝見することにしていたのです。
長い長い列に並んで入場を待ち、50分ほどで建物内に入りました。部屋の前でテロ対策として一人ひとり金属探知機を通過してから、特別展示室に入りました。
高いガラスの壁に囲まれて
絢爛豪華な高御座と御帳台が置かれていました。
高御座は、古代から天皇の即位の儀式に御座として用いられてきた調度品です。御帳台は近代以降、皇后の御座として即位の儀式に用いられるようになりました。現在の高御座と御帳台は大正天皇の御即位に際して製作されたもので、通常は京都御所の紫宸殿に置かれています。昨年、平成の即位礼の時と同様に京都御所から皇居宮殿松の間に運ばれて即位礼で使用されたものが、今回特別に公開されました。
高御座は総高6.48m、幅6.06m、奥行5.45mで、朱塗りの高欄を巡らせた四角形の継壇(つぎだん)を基壇とした上に八角形の床板を2段に重ね、そこに8本の円柱を立てて八角形の蓋(きぬがさ)を支える造りになっています。蓋の頂上の露盤(ろばん)には瑞鳥である大鳳を1羽、蓋の各角にある蕨手(御神輿にも付いているクルンとカールしたパーツ)には同じく瑞鳥である小鳳を8羽、合計9羽の鳳凰を戴き、全体にわたって旭日の光を表す銀鍍金の鏡光(きょうこう)や瓔珞(ようらく)等の飾り金具で装飾されています。
内側には
天皇の座す御椅子(ごいし)があり、その左右に皇位継承者の証である剣璽と國璽及び御璽を置くための案(あん)という小卓があります。
一方の御帳台は
総高5.67m、幅5.30m、奥行4.77mと高御座よりも小振りになっています。造りとしては高御座に準じていますが、蓋の上には尾羽のカールした鸞(らん)という瑞鳥を戴いています。
今回の展示は360度から観賞出来るようになっていたので、
儀式中の映像では観ることの出来なかった裏側までバッチリ観賞することが出来ました。紫色の帳(とばり)が何とも美しいもので、思わず見惚れてしまいます。
それにしても、当日天皇陛下は
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という御束帯、
皇后陛下は
御五衣(おんいつつぎぬ)御唐衣裳(おんからぎぬも)姿と、両陛下ともかなり大きなお召物でこの壇に昇られたのですから、大変だったことでしょう。特に、いわゆる十二単姿で
この階を昇り降りされた皇后陛下は、さぞや大変だったのではないでしょうか。
さて、この特別展には第二会場があり、そちらでは即位礼正殿の儀で使用された服装や道具が展示されていました。
会場には
闕腋袍(けってきのほう)の上に鎧を着けて帯剣し弓を持った武官や
鎧を着けない武官である衛門や、太刀・弓等を捧持する威儀物捧持者という文官、
縫腋袍(ほうえきのほう)を着て手に笏を持った近衆の文官に
皇后陛下の裾捌きをしていた緑色の唐衣を着た十二単姿の女官の人形が置かれていました。こちらも撮影OKでしたので、
襲(かさね)の色目の細かな部分まで観察することが出来ました。
また、
即位礼で使われた楯や桙(ほこ)、太刀、弓といった道具や鼓(こ)、鉦(しょう)といった鳴物も展示されていました。
本来であれば、これらの者が
宮殿中庭にズラリと配される予定でした。しかし即位礼当日は雨だったため、残念ながら大幅に人数を縮小しての即位礼となりました。
それでも、あれだけの王朝絵巻が現存する日本という国は、何とも豊かな文化を持った国だと思います。こうした千年にも渡って受け継がれてきた文化をこれからも大切にしていって頂きたいと、強く感じた一日となりました。
《松林図屏風》の展示は今日で終了しましたが、高御座と御帳台の特別公開は来週19日まで開催しています。明日14日は休館日ですので、興味のある方は15日以降に上野の東京国立博物館へお越し下さい。
尚、高御座と御帳台の特別公開のみの観賞は入場無料です。それ以外の展示を観賞するには、窓口で総合文化展のチケット購入が必要となります。