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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

そうだった!

2015年08月18日 23時19分23秒 | 日記
一応、厚木の街の目抜き通りとして厚木一番街という通りがあります。これは本厚木駅の北口を出て信号を渡ってから市役所の方に向かって続く通りの一つで、日中は歩行者専用道になっています。バスセンターや大型量販店に一番近いこともあって、事実上の中心街になっています。

私が厚木に住まうようになってから、この通りに面した店がいろいろと変わりました。かつてはもう少し先に長崎屋やPARCOといった大型店があったのですが、それも今は昔。かつてはこの通りにあったCDショップや、二つあった本屋もみんな無くなってしまって、私が来てから変わらず存在し続けている店は数えるほどしか残っていません。

そんな中、厚木一番街の中程に新しい建物が完成しました。そうしたら、今まで三軒隣の建物で営業していたラーメンチェーン店の日高屋が、その新しい建物の一階に移転して、それまで使っていた建物が空き物件になりました。

『へぇ、わざわざ移転したんだ』などと新店舗を横目に見ながら駅へ向かって歩いていて、ふと今まで営業していた建物の前に来たら、それまでかかっていた大きな看板が撤去されて、下の壁が露出していました。

それを見て思わず「あっ!!」と声に出して驚いてしまいました。御覧の通り、日高屋の看板の下から、かつてここにあったファーストキッチンの看板が現れていたのです。

かつてこの通りには、ファストフード的なお店が5つありました。それが、サブウェイ(サンドイッチ)・シャノアール(喫茶店)・シェーキーズ(ピザ&パスタ)・ファーストキッチン・マクドナルドでした。その中でサブウェイは早々にドトールに取って代わられましたが、ファーストキッチンとマクドナルドは拮抗するほど近くにありながらも、それぞれにお客が入っていました。

しかし、残念ながらファーストキッチンはしばらくした後閉店してしまい、どちらかと言うとファーストキッチン派だった私はかなり残念な思いをしたことを、この看板を見て思い出しました。

ここに今度はどんなテナントが入るのかも分かりませんし、入ってしまえばまたこの看板は覆い隠されてしまうでしょうが、これが見えているしばらくは、かつての一番街の賑わう姿を思い出してみようかと思います。
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雨の日と月曜日は…

2015年08月17日 23時13分58秒 | 日記
お盆明けの仕事始めだというのに、朝からとんでもない大雨に見舞われました。

こうなると自由業のいけないところで、やる気の無さがムクムクと頭をもたげてきます。一応それには打ち勝ってちゃんと教室には行きましたが…。

そんな今日に相応しい一曲、カーペンターズの《雨の日と月曜日は》をお聞き下さい。カレン・カーペンターの素晴らしい歌唱をお楽しみ頂ければと存じます。

The Carpenters - Rainy Days And Mondays
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最終形

2015年08月16日 23時50分52秒 | 日記
今日は町田市成瀬で、みらいあいこさんの参加するアコースティックライブにサポートで参加してきました。

ライブ終了後、あいこさんから「はい、これどうぞ」と、この一枚のCDを渡されました。これが、私が先月からアレンジ・サポートプレイ・作詞作曲で関わってきた、彼女の活動開始10周年記念アルバムの最終完成形のコピーでした。

実はこの前にも、スタジオで録音したそのままの音資料CDも貰っているのですが、そちらは全体の音量やバランスの調節がされていない状態でしたので、トラック毎にムラがありました。これはその後、みらいあいこさんとレコーディングディレクターさんとで全体のバランスを整えたものですので、断然聞きやすくなっています。

個人的に、自分のヴァイオリンやヴィオラの音程だったり、ピアノの一部がミスタッチっぽかったりして『むむ?!』と思うところもあったのですが、ここから更に録り直しなんかしていると9月の発売日に間に合わなくなってしまうので、聞いた方々に寛容になって頂くことにしました(オイ…)。

ジャケットやインデックスは鋭意作成中ということですので、出来上がりが楽しみです。
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終戦70周年を迎えて

2015年08月15日 19時26分00秒 | 日記
今日は大東亞戦争が終結して70年目の節目を迎える日となりました。本来でしたら去年に引き続き靖国神社に参拝に行きたかったのですが、どうも体調が思わしくないため今年は止むを得ず断念しました。

その代わりと言っては何ですが、今日は厚木神社の境内にある戦没者忠霊塔の出かけました。残暑の蝉時雨の中、正午の時報と共に居合わせた人たちが一斉に黙禱を捧げ、戦禍に散った御霊安かれと祈りました。

安倍首相から戦後70年を迎えるに当たっての談話が発表されましたが、過去の戦争に至るまでの歴史を正確に精査し、戦時中の国内外での戦闘行為に痛恨の念を表し、戦後国際社会からの赦しの下に様々な協力を得て焼け野原の中から復興を遂げたことに感謝し、未来へ向けて国際平和に貢献していくことを高らかに宣言した、実によく出来た談話であったろうと思います。特に、特定の国々に対しての過度のお詫び行脚について釘を刺せたのは特筆すべきものがあります。

世界では今も様々な地域で紛争が絶えません。また、21世紀になっても未だに徴兵が義務という国も存在しています。そんな中で日本はあくまでも世界の恒久平和を祈念していき、そのために貢献すべきに貢献できる国家であり続けるべきであると、改めて思いを新たにすることが出来ました。今はただ、この場をお借りして全ての紛争における戦没者の御霊に哀悼の意を表したいと思います。

合掌。
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お勉強しておいてネ…

2015年08月14日 21時34分27秒 | 日記
今日も残暑の厳しい日となりました。なるべく外出せずに済まそうと思っていたのですが、五線紙が無くなってしまったことを思い出して、楽器店に出かけることにしました。

某有名楽器店に着いて売り場をチェックしてみたのですが、お目当ての五線紙は置いてありませんでした。そこで会計カウンターに行って、受付のオネエサンに

「声楽用の五線紙を下さい。」

と聞いてみました。そうしたらそのオネエサンは私の顔を凝視して

「セイガクヨウノゴセンシ…?」

と言ったままフリーズしてしまったのです。

私の言い方がマズかったかな?と思って、もう一度

「はい、声楽用の、五線紙を頂きたいのですが」

と、抑揚を強調した言い方に変えてみました。すると、

「……ちょっとお待ち下さい。」

と言うと、オネエサンはやおら物凄い勢いでパソコン検索を始めました。しかし、そもそも探さなければいけないモノが何だか分かっていなかったようで

「…すいません、五線紙って五線譜のことですか?」

と真顔で聞いてきたのです。

内心ズッコケながらも

「はい、そうですが、どんなものだか御存知の上で検索かけていらっしゃいますか?」

と問い返してみたら、何だか要領を得ない返事しか返ってきませんでした。

そこで、『これは連想ゲームしているより正解をみせた方が早い!』と思った私は、売り場にあったピアノ&ヴォーカル譜を持って行って

「こんな風に、上に一段五線があって、その下にピアノ譜を書く大譜表が二段一組で書いてあって、それを左側で三段一セットにしてある五線紙が欲しいんです。」

と、これ以上どうやって詳しく説明するの?というくらい事細かく説明してあげました。

そこまで説明されて、さしもののオネエサンもやっとモノが何だか分かったらしく、再びパソパソし始めました。すると、

「大変申し訳ありませんが、当店では扱いがないようです。」

…いやいやいや!そんなわけなかろう!!

「あの、この商品はオタクの本店で購入したことのあるものですから、分からなければ本店に電話してごらんなさいましな。」

と言ったところで、ちょっと立場の高そうなオジサマが登場したので事の経緯を説明したところオジサマがパソパソして、ものの1分ほどで当該商品を探し出して発注してくれました。

帰り際にオジサマが

「不調法を致しまして申し訳ございませんでした。」

と謝ってくれましたが、最初に応対したオネエサンは2歩くらい引いたところで黙って突っ立っていたので

「分からない時には一人で解決しようとしないで、周りの人に助けてもらうことも大事ですよ。あと、お客様に向かって『すいません』とか『ちょっとお待ち下さい』といった軽い日本語はお慎みなさいませ。」

と言って早々にお店を出ました。

世の中に完璧な人間なんていませんから、知らないことがいけないとは思いません。ただ、分からないことを分からないままにしておいて、自分勝手な判断を下してしまうことが恐ろしいと思うのです。自分でももしかしたらそんなことをしてしまいかねないな…という自戒の念も抱きつつ、次回のオネエサンの対応に期待しようと思います。
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遺品

2015年08月13日 21時52分15秒 | 日記
昨日の伯母の告別式の後、従姉に呼ばれて行ってみたら

「母の遺品なんだけど、要る?」

と言われて、このブローチをくれました。

「これどうしたの?」

と聞いてみたところ、従姉が葬儀で使う御念珠を探していたら、伯母の小物の入った引き出しから出てきたものだということでした。ただ、いつ買ったものかは分からない…と言うより、そもそもこの何となく雑な造作からしてこれを伯母が自分の趣味で買ったとは思えないから、誰かからの貰い物かも知れない、と言うのです。

何だか妙に小さなサイズだし、私も貰ったところでどうしていいかも分からないから…と、一度は断ったのですが、

「他にこういう楽器のデザインのアクセサリーを着ける人がいないから」

というよく分からない理由で、結局貰い受けることになりました。

まあ、持っていて損するものではないので貰ってはきましたが、さて、どうしたものでしょうか…。
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昨日とは違った古楽によるモーツァルトの《レクイエム》を

2015年08月12日 21時13分50秒 | 日記
今日、伯母の告別式と初七日法要を無事に終えてきました。従姉は憔悴していましたが、「どこかで死期が近いであろうことは覚悟はしていた」と言っていました。

脳梗塞に倒れた後リハビリに励みながら5年もの時を生きた伯母もいれば、スキルス性胃癌が発見されて余命半年と言われながら3か月ももたなかった父もいる…人の一生とは、つくづく分からないものです。

昨日カール・ベームの指揮によるモーツァルトの《レクイエム》を転載しましたが、それをきいていて思い出したことがあります。御存知の通りモーツァルトの《レクイエム》は未完の大作として知られていて、モーツァルトの死後、弟子のジュスマイアーによって補筆完成されて依頼主に手渡されました。しかし後の音楽学者がジュスマイアーの凡庸さを嫌って、バイヤー版やモンダー版、ロビンズ・ランドン版といった、ジュスマイアー版を否定する立場で作られた様々な補筆完成版が発表されました。

しかし、伯母にいろんな《レクイエム》を聞かせてみたところ、ジュスマイアー版が一番好きだと言っていました。それを聞いて「私は音楽は何もわからないのよ」と言っていた伯母なりの審美眼にちょっと感心したのを覚えています。

そんな伯母が、カール・ベームの他に好きだったもうひとつのモーツァルトの《レクイエム》がありました。それが古楽器オケによる演奏のものです。始めは興味半分で聞かせてみたのですが、「これはこれでスッキリしてていいわね」といっていたので、これはこれで気に入ったのだろうと思ってCDをプレゼントしたのがフィリップ・ヘレヴェッヒェ指揮のものでした。従姉に聞いてみたら、これはこれで喜んで聞いていたようでした。

そんなわけで大変恐縮ですが、昨日に引き続きフィリップ・ヘレヴェッヒェによる《レクイエム》を転載しましたので、お付き合い頂きたいと思います。

この演奏を昨日に引き続き、亡き人に捧げたいと思います。

合掌。

Mozart: Requiem in D minor KV 626 | Philippe Herreweghe
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旅立つ故人にモーツァルトの《レクイエム》を…

2015年08月11日 20時30分20秒 | 日記
本来なら今日は二宮町の教室をする予定でしたが、昨晩遅くに伯母の訃報が入って今日が通夜になってしまったため休講しました。

20年以上前に連れ合いを亡くしてからは娘一家と都内で同居していましたが、都内でコンサートがあった時には案内を出していて、何回か聴きに来てくれていました。5年程前に脳梗塞で倒れて、しばらくはリハビリなどしながら小康を保っていたものの、昨年あたりからは入退院を繰り返していました。従姉の話では昨日の午前中は普通に会話もしていたようなのですが、夕食後しばらくして容態が急変したらしく、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

通夜は先程無事に終わりました。祭壇の優しく微笑む伯母の写真を見るにつけ、もっとお見舞いに行っていればよかったなと後悔の念に駆られるばかりです。

「あまり音楽のことは分からないのよ」と言いながら、いろんな曲を聴いて楽しんでいたようでした。中でもモーツァルトは好きだったようで「何かお勧めのモーツァルトがあったら教えてね」と言われて、よくCDをプレゼントしたりしていました。ピアノ協奏曲やオペラ等いくつかある中で《レクイエム》も好きだったようで、今年の夏前にお見舞いに行った時に「私が死んだらモーツァルトの《レクイエム》を流してね。」と言われたことがありました。その時は「そんな話をするのはまだ先のことだよ」と笑って流していましたが、まさかこんなにも早くそれを実現しなければならなくなるとは…虫が知らせたのでしょうか。

さすがに通夜は仏式でしたからそれは叶いませんでしたので、せめて終わってからCDをかけてあげることにしました。それと同じ動画がありましたので転載してみました。カール・ベーム指揮、ウィーン交響楽団、グンドゥラ・ヤノヴィッツ、クリスタ・ルートヴィッヒ、ペーター・シュライアー、ワルター・ベリーの独唱という、そうそうたるメンバーでの演奏です。

これを故人の野辺の送りに捧げたいと思います。合掌。

Mozart Requiem Karl Bohm
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今年はダメなのかしら…?

2015年08月10日 18時58分40秒 | 日記
今週は、日数調整の必要な火曜日以外の教室は全てお盆休みに入りました。昨日レコーディングで帰宅がかなり遅かったこともあって、今日はしばらく家でのんびりしていましたが、ふとあることを思い出して出かけることにしました。

やって来たのは小田原城址公園です。ここの南側に位置する御茶壺曲輪(おちゃつぼくるわ)に程近いお堀に大賀ハスが植えられていて、毎年この時期になると薄紅色の花を咲かせるので、それを撮影しようと思ったのです。

しかし…いざたどり着いてみたら、殆ど花は咲いていませんでした。一通りお堀の近辺を歩いてみたのですが、辛うじて見つけたのがこの画面中央にポツンと写っている開花一日目の花だけでした。今年は蓮のハズレ年なのでしょうか、出足は好調だったものの、後半は本当にいいアングルと咲き具合に恵まれませんでした(T_T)。因みに写真の奥に写っているのは、小田原城の正門たる銅門(あかがねもん)です。

ところでこの小田原城南側の御茶壺曲輪、ちょっと変わった名前だと思いませんか?

江戸時代初期、寛永10(1633)年に、徳川三代将軍家光が江戸に茶を献上するよう命じます。それを受けて、4~5月にかけての新茶の時期に江戸城から茶壺と、それを運搬する茶壺付添人が京都・宇治に向けて出発します。宇治に到着してから採茶師が茶道頭立ち合いの下で茶詰めを行い、詰め終えた茶壺を封印して羽二重で包み、更に綿入れの袱紗で包んで箱にいれ、それを長柄の駕籠に乗せて江戸へ向けて運ばれるという『御茶壺道中』が制度化されました。

ここは小田原城の南側で、東海道に一番近い箇所でもあります。江戸時代には小田原城下が御茶壺道中の往路の宿場の一つとされ、この堀を渡ったすぐのところに茶壺を預かる御茶壺蔵が設えられていたことから、この名前が着いたのだそうです。

因みにこの御茶壺道中、徳川将軍家とその祖廟に献上するお茶ということでかなり権威のあるものとされ、五摂家や門跡と同格のものと位置付けられていたようです。そのため御茶壺道中には、徳川御三家の大名行列であっても藩主は駕籠を降りて、馬に騎乗した家臣も下乗して道を譲らなければなりませんでした。道中が通る街道も前もって入念に整備され、街道で出くわしたら大名行列と同様に通り過ぎるまで平身低頭に土下座してやり過ごさなければなりませんでした。

この時期は農繁期にもかかわらす、御茶壺道中が通過するまでは田植えも禁止されていました。そればかりか、子供の戸口の出入り、凧揚げ、屋根の上の置き石、高声、鳴り物はおろか、煮炊きの煙も上げてはならず、葬式の野辺送りの行列すら禁止されていました。

この状況を現在に伝えているのが

♪ずいずいずっころば~し、ごまみそずい、
茶壺に追われて戸っぴんしゃん、
抜けた~らどんどこしょ…

という童歌です。つまり、当時の人々は御茶壺道中に頭を下げるよりも、むしろ戸をピシャリ!とたててやり過ごしていたことがよく分かります。これは一説には『一番忙しい田植えの時期に、呑気に茶なんぞ運びやがって…』という庶民の皮肉がこもっているとか、いないとか…。

他にも、この御茶壺道中に関連したものが現代に残っています。

この御茶壺道中の全てを取り仕切っていたのは御物茶師(ごもつちゃし)という役職を得た宇治代官上林家が代々務めていました。江戸時代以降も上林家は残り、後に上林春松本店として有限会社化しました。この上林春松本店がコカコーラと共同開発したのが《綾鷹》という緑茶飲料です。

また、御茶壺道中の時期には将軍家だけではなく各大名家にもお茶は運ばれましたし、江戸に人質として留め置かれていた各大名の妻子が住まう大名屋敷にも動いていましたから、実際に動いている御茶壺の数は相当なものでした。そうすると、どうしてもそれを管理・運営する部門が不可欠となります。

そこで後に、お武家御用達のお茶の品質管理と受注・輸送のためのお茶屋が任命されました。代表的なお茶屋は一保堂、上林、永谷園、山本山といったところでした。特に永谷園や山本山は、今でもお茶や海苔の老舗として有名ですね。

何だか蓮の話より、お茶の話の方が長くなってしまいました。スミマセン…。
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レコーディング 第5弾

2015年08月09日 22時46分28秒 | 音楽
今日もいくらか涼しさを感じられる陽気になりました。『暦の上で』というのも、なかなか馬鹿にしたものではありません。

そんな中、今日は愛川町在住のシンガソングライターみらいあいこさんのアルバム作成に参加するために、小田急相模原にある《T☆ROCKS》に来ました。全12曲入りのアルバムのレコーディングも今日の録音を済ませてしまえば、後は本人が細かなサウンドチェックをしてOKテイクを作るだけなので、私が今回のアルバム作成で実質的に関わるのは今日が最後になります。

今回はアルバム収録はしない別枠の曲と、私がピアノ・ヴァイオリン・ヴィオラで伴奏するようにアレンジした曲の録音が中心になりました。事前に口頭で案を伝えただけなので、もしかしたらダメが出るかとも思ったのですが、結果OKをもらえてホッとしました。長かった録音作業も、今日で一区切りがつきました。

それにしても、録音をしていると『えっ?!』と思うくらい時間の経つのが早いです。防音の観点から、一切窓のない空間に引きこもっているためなのかも知れませんが、ふと時計を見る度に『もうこんな時間になっちゃったの?』と焦らされます。これもレコーディングあるあるなのかも知れませんね。
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立秋に《グラン・パルティータ》

2015年08月08日 22時21分15秒 | 音楽
今日は立秋、暦の上では秋でございます。そんなことを知ってか知らずか、今日も暑いには暑い日でしたが、吹く風の中にどことなく一抹の涼やかさを感じたのは私だけでしょうか。

今日は生徒のプライベートレッスンをして、午後に厚木に戻ってきてから《Caféあつめ木》のリフォーム現場にお邪魔してきました。昨年からスタッフの皆さんを中心に取り掛かっておられるリフォームも内装工事に及んでいて、徐々に完成形が見えるようになってきていました。もしかすると年内に開店できるかも知れない…と、憶測ながら思えました。

さてさて、立秋だからどうした…というわけではないのですが、折角のこの爽やかさを含んだ風を感じながら、モーツァルトでも聴いてみたくなりました。こういう時にはあまり暑苦しくないものがいいな…と思いつつ、最終的に選んだのはセレナーデ第10番《グラン・パルティータ》でした。まだ明るさの残る夏の終わりの夕暮れ時に木管楽器群の変ロ長調のファンファーレが鳴り響けば、この上なく落ち着いた心地になれます。

今宵は夕涼みなどしながら、古楽の旗手フィリップ・ヘレヴェッヒェ指揮による演奏をお楽しみ頂ければと思います。

W.A. Mozart Gran Partita K. 361, Philippe Herreweghe
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今日の《cafe32゜F》

2015年08月07日 22時28分42秒 | グルメ
暦の上では明日が立秋、つまり、あくまでも暦の上では今日が夏の終わりということになりますが、そんな風物なぞ何処吹く風、今日も横浜は猛暑日になりました。

脳天が焦げるかと思うような酷暑の中、ほうほうの体でお店に駆け込んで一息ついてから、ライムティーをお願いしました。ほんのり甘い紅茶に酸味の効いたライムの果汁を注いだアイスティーをスプーンで混ぜ合わせて頂くと、爽やかな風味が口の中を駆け抜けて咽に滑り込んでいきます。こう暑い夏には打ってつけのアイスティーです。

さて、明日から暦の上では秋になりますが、どんな陽気になりますやら…。
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これはどうよ…

2015年08月06日 23時03分03秒 | 日記
ここ最近、あまりに暑くて火の前に立ちたくないので、朝ご飯から外食してしまう率が高くなってきていました。頭の何処かでは『そんなんではいけない!』と思ってはいるものの、現実には卵焼き一つ作るのもしんどいような状況となってしまっているので…。

今日も今日とて、朝の気温が30℃に達してしまわないうちに家を出てバスで厚木市街に向かい、駅前の某チェーン店に入って朝定食をお願いしました。運ばれてきたトレーには真っ白なご飯と熱い味噌汁の他に、焼き鮭に焼き海苔、納豆に漬物といったおかずが乗っていました。

いくつか食べ進めていった中で生卵が入った小鉢に手を伸ばしたら、何だか様子がおかしいのです。『?』と思ってよく見てみたら、写真にあるように何だか白身がえらく濁っていたのです。

一応臭ってみたら特に臭かったりはしなかったものの、時期が時期だけに何だか気になって店員さんを呼んで

「この卵、だいぶ濁っていますけれど、大丈夫ですか?」

と聞いてみました。そうしたら

「はあ?」

と真顔で聞き返されてしまったので

「あ、結構です。」

と言って早々にお引き取り願いました。それでも、何かしら言わずにはおかなかったので、テーブルにあった紙ナプキンに

『貴方はこの生卵を、何の抵抗も無く飲めますか?』

と書き置きして店を出ました。

ちょっと過敏だったかも知れません。しかし、もしこの生卵を食してしまった結果、食中毒なぞ起こした日には更に面倒なことになるのです。

今回は自己責任で危険を回避しましたが仮にも他人様からお金をとってモノを提供するからには、ありとあらゆるリスクを考慮してプロに徹してもらいたい…と、久々に深く感じた出来事ではありました。
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灼熱のバッハ 第2弾

2015年08月05日 22時51分22秒 | 音楽
今日も神奈川県はうだるような猛暑日に見舞われました。こう厚いと思考も停止しがちで、集中力に欠けてきます(いつものことでは…)。

今日は何だかだるくて、一日中ぼんやりしてしまいました。室内熱中症に考慮すべく、なるべく水分補給は欠かさないようにしてはいましたが、それでもこの倦怠感は如何ともし難いものがあります。

そんなわけで、今日は先日にも第1番を載せたヴィラ=ロボスの《ブラジル風バッハ》の第5番を転載してみました。前半のカンティレーナだけの動画ばかりで、後半のダンツァまで含めた全曲版を探すのにちょっと手間取りましたが、往年の名ソプラノ、マディ・メスプレの独唱がありましたので、夏の夜半にお楽しみ頂ければと思います。

Mady Mespl�・ "Bachiana Brasileira No 5" Villa-Lobos
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他人事ながら…

2015年08月04日 22時38分47秒 | 日記
二宮町の教室を終えて、バスに揺られて秦野駅に着いたら、改札口の電光掲示板に何やらテロップが流れていました。ギクッ!(lll゜Д゜)…と思いつつ近づいたら小田急線ではなく、東海道線と横須賀線が、京浜東北線の架線故障のあおりを受けて運転見合わせというお知らせでした。

とりあえず安堵しましたε=(x。x;)。いや、そういってしまうと、実際に運転見合わせで途方に暮れておられる東海道線や横須賀線や京浜東北線ユーザーの皆様方には大変申し訳ないのですが、一時期人身事故に次ぐ人身事故で電車内にカンヅメにされたり、振替連絡という逃げ道のない駅のホームでひたすら運転再開を待ちぼうけたりした身からすると、『当該者ではない』という事実だけでもホッとするのです。

本厚木に到着した段階でも、まだ運転再開はされていませんでした。幾分涼しくなったとは言え、相変わらず不快指数の高い中で身動きが取れなくなっていつ方々が一刻も早く帰宅出来ますよう、祈念して止みません…。
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